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大学学費無償化はいまいちなアイデア

大学の学費を無償化すると聞いて思い出すのはピエール・ブルデューが国家貴族で描いた、フランスの東大、グランゼコールが学費無料だけど富裕層が入学生のほとんどを占めるから、格差をむしろ拡大してしまっている、という話だ。

もう一つ大切な問題は、大学教育を受けることで大学教育以外のキャリアを積むチャンスを失ってしまうことだ。

また、座学が苦手な人は一定数いるけど、その人たちに座学をさせ続けることで、学問を嫌いになり他の学習方法で知識を身につける機会を奪ってしまう、というのもある。

実際僕の地元で勉強は苦手だけど大学に行った人たちの多くは中退してしまった。
「大学なんか行っても意味はない?――教育反対の経済学」も、米国の事例ではあるが、勉強が苦手な人は大学を卒業できない可能性が高いし、その場合は大学教育に費やした時間とお金が無駄になると、膨大なデータをもとに主張している。

この本が書かれていた時期には大学教育の意義が期待されていた時期で、だいぶ逆風が感じられたようだけど、実際にはこの本に書いてあることは概ね現実をうまく描いているように思う。

大学に行くかを悩むポイントは学問的興味、大卒の資格を得ることで期待できる利益、大学を卒業できる可能性、それから学費だろう。
そして大卒資格の価値は、人的資本の増加とシグナリングがある。

大学無償化は大学入学者を増やすことが期待できる。
大学が無償化した場合、大卒者が増えるから、シグナリング効果は低下する。

これに関して上記の様に大学一年生が主張していて、アカデミアの人たちに(大人げなく)マウントを取られていた。
こういうマウントを取るわりに、実証的なデータは乏しいのが切なさを感じる。実際、この学問領域を専攻して得られるものはほぼシグナリングでは?と思うものはある。

さて、無償化の話に戻ろう。
大学の財政は無償化より国家財政に依存する度合いが高まるから、政府が困窮すると大学の財政も貧しくなる。
それに、大学運営のための歳出も増えるから国家財政はより不安定化しやすくなる。

貧しい大学はリッチな大学に比べて乏しい教育資源しか投入できず、人的資本の増加効果も下がるだろう。

結果として大卒の価値はかなり目減りする。

大卒者自体は増えるかもしれないけど、彼らが大卒で得られた価値は少ないから、非大卒者とくらべて高い給与が期待できない。
大卒者の窮乏化だ。

となると、エリート過剰生産の足音が聞こえてくる。

つまり大学を無償化すると、ピーター・ターチンが語る国家が崩壊する三大要因のうち、国家財政の窮乏化とエリート過剰生産を引き起こしうるのだ。

これはよろしくない。

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