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一時しのぎの処置の永続化、読み替えによる倫理的優位性

高齢者の延命の話は決定的に読み替えられ、優生主義に帰結させられてそれ以上の議論が止められることがある。

しかし優生主義というのは純血種を作るための人為的な淘汰であって高齢者医療における延命に当てはめるにはかなり無理矢理な解釈を要する。

そして高齢者医療の最大の問題は命の選別ですらない。
本人の意志が表明できない状態で苦痛を伴う延命が経済的利益や倫理的判断を先延ばししたいという医療側や患者家族の要望によって、本来は苦痛を伴うために一時しのぎとしておこなうべき医療処置が永続化することだ。

さて、この長い文章をはじめから考えてみよう。
本人の意志が表明できないというのは、認知症のために意思の表明ができない状況を含む。
また、加齢に伴って判断力が低下し、現状の認識が難しい場合も含む。具体的には90歳だが自分の年齢を50歳だと認識している場合などを想定している。

苦痛を伴う延命とはなにかといえば、侵襲的な処置を伴う延命だ。
経口摂取ができない場合の経鼻胃管は苦痛を伴う。
ずっと鼻から胃まで4mmの管が入っている状況を考えてもらえばわかるだろう。実際経鼻胃管の自己抜去というのはしばしば経験することだ。
中心静脈カテーテルや末梢点滴も、皮膚を貫いてプラスチックの管が入り続けているわけで、違和感はずっと続く。
挿管チューブともなればその違和感を和らげるためには麻薬と鎮静を要する。
行動制限も苦痛を伴うだろう。
手首や胴体をベルトで縛られたい人間がいるだろうか。
また、胃瘻もときに自己抜去されることがある、胃と皮膚の間に穴を開けてそこを永続的につなぐ処置がなんの違和感も抱かせないということはない。
もちろん、本人が納得して理解しているなら、うまく付き合っていくことも可能だろう。

しかし造設を理解できない場合は、当然ながら違和感があり抜去したくなるだろう。

経済的な利益をもとにした延命というのは、あり得る。本人が得ている年金、相続の先延ばしなどが高齢者医療の自己負担が格安であることと組み合わさって無制限の延命を要求されていると感じられることはときに経験する。
問題は医療従事者に面と向かって年金のために延命を求めます!と言う人は滅多にいないということと、制度がそうした延命を促してしまうことだ。

本人の意志を無視して経済的な利益のために苦痛を伴う延命を家族が要求し、その要求が公金で叶えられることは、倫理的に許容されるだろうか。

また、倫理的決断の先延ばしという問題もある。
つまり、家族も医師も親の死期を自分で決めたくないということだ。その結果として延命されるのはどのように倫理的に肯定されるだろうか。

残念ながら医療倫理の教科書でこうした物事、特に経済的な要因を扱ったものを読んだことはない。
しかし、金銭のために親を延命させる決断をしている、と公言する人がいないのはその倫理性に関する何よりの否定に思える。

そして、先程述べた経鼻胃管、気管チューブの挿入、点滴、中心静脈栄養、末梢点滴、行動制限のいずれも本来は一時しのぎの処置として生まれた。
経鼻胃管は例えば意識障害で栄養が取れないが、急性期を乗り越えれば経口摂取飲み込みがある場合に、点滴は短期的には腸を使えないときに脱水や低栄養の被害を減らすために、気管チューブの挿入は意識障害、で舌根沈下となり呼吸が止まることを防ぐために、行動制限は一過性のせん妄や不穏状態のとき、それを改善するための医療処置を実施可能にするために。

こうした処置の永続化はときに「一度はじめられてしまって、医療処置をやめたら死につながるからやめる事ができない」という理由で永続化する。

しかしご家族と真摯な話し合いを続けると、苦痛を伴う処置の永続化は避けられることが多い。

大切なのはこれらの医療処置を経鼻胃管や中心静脈栄養といった言葉で済ませずに、鼻からのどを通って胃に管を挿入する、絶えず違和感を生じさせる本来的には一時しのぎの処置、と具体的に伝えることだ。

侵襲的処置への無関心は次なる侵襲的処置を呼び込む。
なにしろ侵襲性を無視すれば必要性はたしかにあるし、侵襲性を軽視する医師は複数の侵襲的処置もあまり問題にしないからだ。

しかし実際には、経鼻胃管、点滴、心電図モニター、弾性ストッキング、と体に装着される器具が多ければ多いほど自己抜去の可能性は高まり、身体拘束の必要性が高まってしまう。

身体拘束さえすれば確かに自己抜去は止まる。
しかしそのままでは急性期病院から移動することは難しくなる。

こうした状況では時に生命の限界が近づいており、身体に装着、刺入する器具は利益が乏しく、装着することで永続的な身体拘束が求められてしまうことを話すことにしている。

装着する器具を最低限に減らし、可能な範囲の経口摂取にして、時にごく少量の鎮静薬を併用することで驚くほど不穏、せん妄状態が改善することが多い。

こうした状態になってはじめて施設や自宅に帰ることを検討することができるようになる。

こうした話をするのが難しいのは、高齢者医療が様々な要素を内包しているからだ。

当然ながら高齢者の認知機能や身体機能にはばらつきがある。そして、全体として高齢者は元気な高齢者を、若い世代は入院している元気ではない高齢者を念頭に話をすることが多い。

だからまず、高齢者医療の話をする前に前提について話し合うべきなんだ。
どのような高齢者医療を念頭に置いていますか?と。

もし70歳でハイキングに行く高齢者の医療を差し控えるべきという話をしているなら、私はそのような話をするつもりはない、85歳で食事以外の日常動作に介助が必要な、名前は言えるが生年月日は言えない程度の認知機能の高齢者にどれくらい侵襲的な医療を行うべきか、という話をしています。
と話すべきなんだ。


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