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サバイバルと社会を変革しようとする運動は相反する考えである

世の中の変化に抗う方法として、サバイブする方法と、社会全体を変化させていく方向の考え方がある。
個人の戦略としてはどうしてもサバイブする方向性になる。
それは確かに間違っていないのだが、サバイブする場合、資産やスキルを日本に軸足を置いたものにしなくする関係から、社会を変えようとする方向の力はどうしても弱くなる。

これはある意味、一人で生きていける人の方が、一人で生きていけない人ほど結婚をしない傾向にあって、また結婚生活を維持するモチベーションに乏しいことに似ている。

サバイブできるとか一人で何でもできるというのは、勿論一人で生き延びれるという良い面はあるのだけど、だからこそ他の人と協力することが難しくなってしまったり、そもそも協力するという選択を取らなくなりがちだという問題もあるのだ。

サバイブするためのスキルセットは存外多様で、そうした環境に身を置いていないと身につかないものも多い。

勿論、そうしたスキルを磨いて生き延びるというのは一つの戦略だ。

しかし、共同体主義というか、自分の属するコミュニティ全体を生存させるにはどうしたらよいのか?と考えながら活動していくのは一つの方法である。

社会がより不穏で不安定な方向に移行していくなら、サバイブするしかないだろうが、そうなる前に社会自体を変えていくことはまだできるように感じる。

ただ、サバイブするにしても、社会を変えるにしても、重税と実質的な重税としての高い社会保障費負担のもとではできることが限られてしまう。

だから、減税と社会保障費に対する疑念を常に上げ続けていく必要があるわけだ。

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