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高齢者は医療費が安いことによって得をしているのか?

僕は決してそんなことはないと思う。
むしろ、医療費が安いせいでいろいろな決断をしないで済んでしまう。色々な問題を病院に任せてしまうのだ。

まずは典型的な高齢者救急医療を考えてみよう。

自分が認知症の高齢者になって施設に入所している気持ちになって読んでほしい。

あなたは10m程度であればなんとか歩ける、トイレには行ける。服は簡単な助けがあれば着れる。体を洗うには手助けが必要だ。

あなたは自分の名前と生年月日は言える。88歳である。自分が施設にいることも把握している。しかし周りの状況を見て、どこにいるか、何が起きているかを推察することはできない。「痛い」「帰りたい」「助けて」「はい」「いいえ」「お腹すいた」などの限られた言葉は言えるが、複雑な文章を話すことはできない。

施設に入所した認知症高齢者が誤嚥性肺炎を発症する。
本人は苦しくないが、発熱と経皮的酸素飽和度が低下しているのを、施設職員が発見する。家族への連絡と救急要請が行われ救急病院に搬送される。
あなたは具合が悪いので病院に行きます、と言われる。
しかし、あなたは苦しさを感じていない。ぼーっとしている。

 入院すると行動制限に関する同意があなたの前で取得される。
心肺停止時に蘇生処置を実施するかを確認される。あなたはその内容の多くを理解できない。何か非常に切迫した怖い話をされているように感じるが、内容が理解できないから、答えられない。代わりに家族が答える。

その結果肺炎です、入院ですと言われる。あなたは入院が何を意味しているかがわからない。
(看護師が点滴を刺入する)
見知らぬ人が見知らぬ場所で右手に針を刺す、痛みを感じる。点滴路が確保される。その痛みは持続的なものだ。外そうとすると身体拘束が開始され、あなたは右手を動かせなくなり、ベッドからうごくことができなくなる。
あなたの胴体にはベルトが巻かれ、あなたの両手には手袋が装着される。あなたはかゆい場所をかくこともできない。
 助けてくれ、助けてくれというと、何か薬を点滴され、ぼんやり感が強くなってくる。

少し頭がはっきりしてくると、「肺炎は良くなりましたよ」と見知らぬ人に言われる。手足が自由になっていることに気づくが、ベッドに策があり、抜け出すのはむずかしそうに感じられる。
知らない人が来て、自分の手や足を動かしていったり、歯を磨いたり、口の体操をさせてくる。その時はプリンやゼリーなどを食べることができる。

(嚥下食が開始される)
あなたの目の前にペースト状の物体が出される。あなたはそれを食事と感じることができない。看護師があなたの口のそのペーストを運ぶ。おいしくはない。

肺炎が良くなり、自分が入院している、という状況が飲み込めてくる。家族と話すことがあり、具体が悪くなって入院した、と把握する。
徐々に食事は形を保ってくる。食事はおいしいので、急いで食べる。

(常食を食べて、誤嚥性肺炎を再発する)
またぼーっとしてくると、点滴がはじまる。
痛みを感じるので抜こうとすると、身体拘束される。

食事が再開されるが、ペースト食しか出てくることはない。
食事変えて、といっても食事を変えてくれることはない。

気づくと歩けなくなっている。
排泄はオムツになる。食事だけはなんとか自分で食べることを許されている。

元の施設では受け入れが難しくなっていることが判明する。入院してから2か月後に退院する。あなたは見知らぬ施設に行き、見知らぬ職員に介護されることになる。次の誤嚥性肺炎を起こす確率は決して低くない(平均80歳のコホートで、抗菌薬中止30日以内の再発が5.5%)(本例は入院中に再発してるから、もっと再発率は高いはず)が、それが起きるまでは施設で過ごすことができる。

上記は、3人に1人くらいの認知症を背景に持つ誤嚥性肺炎の患者さんが辿る典型的な経過を、本人の視点に立って描いてみたものだ。
医療スタッフはやや多忙ながらも比較的丁寧な診療を行っていると想定している。

えっ、丁寧なの、と思ったかもしれない。確かに本人の体験としては良いものではない。
なぜ丁寧なのかといえば
・身体拘束が解除されている。
・早期からリハビリが介入し、身体機能を維持・回復するための工夫がされている。
・食事をなるべく形態を保ったものに戻す努力がされている。
・心不全、褥瘡などの悪いイベントを経験していない。

丁寧ではない場合
・行動制限が解除されない。
・リハビリが行われず、経口摂取が開始されず、末梢点滴が続く、ないし経鼻胃管から経管栄養が続けられ、胃ろうが造設される。
・尿道カテーテルが留置され、2週間ごとに交換され続ける。
・施設ではなく(より自由の少ない)療養型病院に転院する

というシナリオがあり、こちらの方が苦痛が大きい。

次に、日本では滅多にないシナリオも考えてみよう。

本人は苦しくないが、発熱と経皮的酸素飽和度が低下しているのを、施設職員が発見する。家族の前で施設の医師が話をする。


「Aさんは恐らく誤嚥性肺炎を起こしていると思います。もともとご高齢なので、勿論命にかかわる可能性がありますが、88歳であれば大往生と言って差し支えないのかもしれません。Aさんの認知機能を考えると、入院するとせん妄を起こして身体拘束を受ける可能性が高いです。今、ご本人は苦しくないようですし、肺炎が苦痛というわけではないようです。ご本人が何を体験するかを考えれば、飲み薬の抗生物質でなんとかしてみるのが良いと思います。また、どんなときに、なんのために救急車を呼ぶのかは、しっかりここで考えておきましょう。お話しした通り、ご家族で過ごせる最後の時間になるかもしれません。食事に関しては、食べることができる範囲のものを食べるのが良いでしょう。ゼリーやプリン、アイスなどは味も良いし、誤嚥もしづらいので少量摂取できることが多いです。苦しそうでなければスプーン一杯くらいの量を食べさせてあげても良いと思います」

親戚が集まり、本人と少し話をしたり、本人の前で他愛ない話をする。

三日ほど経つと、抗生物質が内服できなくなる。再び医師が家族に話をする。

「やはり飲み薬だけでは厳しいようです。脱水も進んでいます。ただ、ご本人はそれほど苦しくないように見えます。私としてはご本人は今までよく頑張ってこられたのだな、と思います」

本人はぼんやりしており、何を言っているかははっきりとは聞き取れない。ただ、見知った声で穏やかに話をされていることがわかる。

家族が声をかけると、時々目がひらことがあるが、それもあまりなくなり、少しずつ脈が遅くなり、死を迎える。

恐らく医療費としては、救急要請された前者は60日入院し、1日平均5万円の費用が掛かることから、医療費は300万前後を要するが

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsg/28/4/28_366/_pdf/-char/ja

自己負担額は高額療養費を使用したと仮定すると、5-10万円ほどである。


施設で診療された後者は医療費としては3回程度の医師の診察と内服の抗菌薬のみであり、緊急往診にかかる費用を含めても2万円、自己負担で言えば2000円程度だろう。

前者の方が確かに寿命は延びる。だが体験としては後者を選択したい人も少なからぬように思う。少なくとも僕は88歳の時には後者を選びたい。

なぜ体験にしてみれば2万円の医療が、300万円の医療より良いと思われるのに、300万円の医療が選ばれるのだろう。

 まず、救急要請が無料であり、救急要請をすることの心理的障壁が施設職員にとっては極めて低く、家族にとっても低いことがあげられる。また、救急病院の入院費用も、年金が支払われることを考えると、あまり負担にならない。何もしなければ見殺しにしたように感じるのであれば、救急車を呼んで救急病院に入院することは理にかなっている。

 もう一つは、他の選択肢が選択肢に入らないことだ。発熱して呼吸状態が悪いので救急車を呼びます、と言われたら断る選択肢を持てる人は少ないだろう。

 最後に、施設職員としては、誤嚥性肺炎が起きた状態を見過ごすことは自らの責任に繋がりかねない。誤嚥性肺炎に対してできる限りの対応をすることで、自分や自分の職場が訴えられる責任を逃れることができる、と考えるのは自然なことだ。

 実際、認知症を持つ施設入所中の97歳女性の誤嚥に対し、119番通報せずに施設職員が様子を見ていたら、施設側の過失となり292万円の賠償が命じられた判決(2007年)

88歳男性がロールパンをのどに詰まらせて窒息し、2490万円の支払いが命じられた判決(2023年)

90代男性がゼリーをのどに詰まらせ窒息死し、2365万円の支払いが命じられた判決(2023年)

があり、このような判決を回避しようと思えば、救急要請しようとする施設を責めることはできない。

では施設嘱託医といえば、基本的には急性期病院退職後のセカンドキャリアとして考えられている傾向があって、平均年齢は60歳代だろうか、24時間の対応は難しい。考え方としてはやはりなるべく長生きしてもらう、という発想を持っている先生が多いだろう。また、セカンドキャリアでリスクを積極的に取りに行きたくはないだろう。

 理想的には発熱と酸素飽和度が低下したときにどうするかを医師と本人、家族が入所前にしっかり話し合い、何が本人の希望に沿うかを決めておくことが大切に思われる。

 救急車を呼んでも、長期に入院してもお金がかかるわけではないと思うと、話し合いを積極的に進める理由もないし、何かを決めるのは、決めようとする意志を持っている人がいないと基本的には難しい。
さらに言えば、認知症である自身が主体的に物事を決めていくのは非常に難しい。

 このようにして医療費の安さが人生の終末期における体験を大きく変化させる決断をさせることを妨げ、本人の終末期の体験を悪化させてしまう。

もし入院費用が3割負担で、高額療養費もないとして、2か月の自己負担が90万円、救急要請に1万円かかり、入院以外の選択肢もあるとわかればどうだろうか。

真剣に、施設に入所する前にどちらの選択肢が本人にとって良いかを考えるのではないだろうか。また、70歳で頭がはっきりしている健康な人も、肺炎を起こしたときにどうするかをシミュレートして家族と話し合っておくのではないか。

そして、発熱や酸素飽和度の低下が起きても、施設で可能な範囲の対応以上のことは希望しないが、できる限り一緒に過ごせる時間を望む、という家族の言葉が施設入所時に記録されれば、施設職員は裁判のリスクを恐れずに、穏やかな時間を助けることができるのだと思う。

他にも高齢者医療が安価であるから色々な病院を受診し、不安がかえって強くなり、不要な予防医療を受けてしまうケースも散見される。

具体的には
・血圧が心配で救急外来を頻回に受診する85歳(誰も85歳以上で降圧薬を内服することは長生きに繋がらないことを教えてくれない)
・受診する病院が5つあり、それぞれの病院で何のために薬を飲んでいるかわからないが、15種類の薬のために具合が悪くなっている90歳(さすがに15種類の薬を代謝するのは負担が大きい)
・2mmの脳動脈瘤が偶発的に発見されて年1回のフォローアップを受けている80歳。(3mmに拡大すると、破裂する確率が0.36%/年になる。そして81歳で3mmに拡大したとして、100歳までに破裂する確率は7%程度。それまで脳にいつ破裂するかわからない爆弾を抱えていると考えながら生きていくことになる)
・85歳で他の病気にかかったことはない。無料で受けた健診で脂質異常症が指摘されて、毎月コレステロールの採血が行われ、脂質降下薬を内服している(死亡率低下効果なし)

 こんなふうに、認知機能が保たれている場合でも、普通に医療費を負担してたら適当に病院に行かなくなっていらぬ苦しみを背負わずに済んだんじゃないかな、と思う例が外来やっていると結構ある。

 だから高齢者医療が1割負担だから高齢者だけが得している、という主張は多分間違っている。

 じゃあ医者がどうなのかっていうと、診療所の医師の平均年齢は60.4歳だ。

60歳ってガンガン働いて借金返していくぜって年齢でもない気がするんだよね。だから敢えて今現在沢山患者を抱え込む必然性がそんなにない先生も多い気がするし、開業医で60歳ともなればそれなりに資産はあるはずだし、わりと仕事を続けているのはやりがいとか義務感がメインな気がするんだ。

というか、2022年に東京都医師会主催で行われたアンケートで、開業医の42.3%があげるべきだって言っているんだね。
もちろん勤務医の62.6%や薬剤師の66.6%に比べれば低いけど、めちゃくちゃ利害が対立しているってほどの差はない。

実は3割に増やせない理由って、多くの人が高齢者1割負担を変えようとしたら誰か 大文字の他者に怒られるかと思っているからなのかもしれないね。

 


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