自分の「好き」がわからない
僕は、ゲイを隠し過ぎた結果、つい最近まで、自分の『好き』がわからなかった。
「自分が、本当に好きなこと」
そんな当たり前のことが、いつしか、わからなくなってしまっていた。
あまりにも「自分自身」を隠し過ぎたから。
「好きなものを、選べばいい」
ただそれだけなのに、それができない。
自分を隠し過ぎた結果が、これだった。
恐ろしいことに、ケンジと出会うまで、こんなにも重症化していることに気づかなかくて、無意識&無自覚ということが、一番「重症」であることに気づいた!
「シロさんは、何にする?」
これは食事に出掛けて、よくあるパターンだった。
「僕は、ケンジと一緒でいいよ」
いつも僕は、こんな風に答えていたのだけれど、ケンジが、
「本当は、どれがいいの?」
「何が、好きなの?」
「いつも、一緒なわけがない!」
そう言って、ハッと気づいた。
僕はいつも、まわりに合わせてばかりで、そうすることが良いと感じて、それこそが、うまく無難に生きる術だと思って生きてきた。
ゲイを隠して生きるのは、そういうことだと思っていたから。
だから、
「何が、好き?」
「どれが、良い?」
「本当に、好きなものを、選んで!」
そう聞かれても、すぐには答えられない。
もし答えることができたとしても、〝無難な答え〟や〝シェアのおすすめ〟もしくは、〝当たり障りのない答え〟しかできないし、僕は、本当の「好き」を言えない。いや、わからないのだ。
自分の「好き」がわからない…
自分にとっての「良い」がわからない…
あまりにも自分を隠し続けて、他人軸で生き過ぎてしまった結果、こんな風になってしまったようだ。
「ただ好きにすれば、いい」
それだけのことが、できない。
「なぜ、できないのか?」
それは、おそらく、日本社会の『正解』を求め過ぎて、まわりの『期待』に応え過ぎた結果なんだと思う。
僕が小学4年生の頃、こんな出来事があった。
秋の運動会の直前、両親が、新しい運動靴を買ってくれるというので、スポーツ用品店に行った。
僕は、真っ赤なアシックスのシューズに一目惚れして、
「これが、いい」
そう言うと、すぐさま、父が、
「赤は、女の子」
そう言って、紺色のシューズを持ってきた。
「好きなもの、どれでも、いい」
と言っておきながらである。
今でこそ、男女関係なく、赤やピンク、蛍光のオレンジのシューズを、みんなカッコよく履きこなせるが、30年前は、それが許されなかった。
そして、こんなこともあった。
今日は、シロさんの誕生日だから、
「好きなものを食べて、いいぞ」
そう言われて、クレープを頼もうとした瞬間、
「これは、デザートだ」
そう言われて、ハンバーグに変えた。
その時から、いや、きっと、ずっとずっと前から、そんな親や、そんな日本社会の元に生きてきて、目上に従い、彼らの言うことを忠実に守ることが『正解』だと思い込んできたから、いつしか『自分を出す』ことなんてできなくなっていた。
そうして、いつも他人の顔色を伺い、他人の許可を必要とするようになって、結果、自分の本心がわからなくなった。
日本人のほとんどが、泣いてる赤ちゃんを見ると、泣き止ませることに必死になるが、人というものは、自分勝手な基準で、相手をコントロールして、自分の思い通りにしたい傾向がある。
赤ちゃんは、ただ泣きたいから泣いているだけなのに、
「泣いてて、いいよ」
「好きなだけ、泣いていいよ」
「泣いているのは、何かな?君が言いたい時に、教えてくれるかな?」
そんな風に全肯定して、ゆっくり落ち着いて、相手の本心に耳を傾けている親を、僕は見たことがない。
泣いているのは〝悲しいから〟〝困っているから〟もしくは〝なんとかしなければいけない時〟だと勝手に決めつけて、泣き止ませることに必死だ!
どんなに泣きたくても、すぐに泣くことを阻止される!
おそらく、僕たちは、赤ちゃんの頃から、『あるがまま』でいることを許されずに育ってきたのかもしれないし、『本音』を聴いてもらうこともなく、生きてきたのかもしれない。
人は、泣くチカラをもって生まれてきたのに、いつしか、それを泣かないチカラに変えて、生きている。
こうして、すっかり自分の「好き」がわからなくなっていた僕が、ようやく自分を取り戻せたのは、自分がゲイであることを認めたからだと思う。
まずは、自分が自分を許して、自分の『あるがまま』を認めて、受け入れて、愛せるようになったからこそ、ようやく、自分の『本当の好き』がわかるようになってきたんだと思う。
だから、最愛のケンジにも、出逢えたのかもしれない。
ケンジと出逢ったおかげで、何かを選ぶ度に、ケンジが、
「それ、本当に、好き?」
「本当に、本当に、本当に、好き?」
そう聞いてくるから、否応なしに、自分の「好き」を感じ取らなければいけなくなっているし(笑)最近では、
「どれが、トキめくのか?」
「どれを選んだら、自分がハッピーになるのか?」
「ずっと、大切にしたいのは、どれか?」
そんなことを自分自身に尋ねている。
染みついたクセや意識を行動に変えるのは、やっぱり時間がかかるけれども、自分の「好き」を感じて、汲み取って、それを人生で活かすことは、とっても大事なことだと思う。
それこそが、自分の人生をより豊かに、幸せにしてくれるんだなって思っている。