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146 久しぶりにファシリテーショングラフィックをする

久しぶりにグラフィックレコーディングをする。
もういつ振りだろうか。

11月頭にある町研究会に向けて、授業づくりの過程も少しだけでもいいから小学校の先生たちと共有できるように、と提案があったので、急遽描くことに。僕は美術授業づくりチームに所属している。
授業者に誰に指導案づくり責任者になってほしいかを聞いて、その人は必ずメンバーにいれてあとはバランスを見ながらグルーピングしました。
責任者の依頼は、先週の木曜日にしたのですが、その放課後や金曜日には責任者の先生が「責任者になったからよろしくね」と授業者に声をかけてくれて、なおかつ「こんな授業検討の仕方があるのですが、やってもいいですか?」と聞いてきて、恵まれた環境にいるなって思いました。

美術の授業は「見せる」となると、どこをどう見せるのがいいのだろうか?それが今回の話し合いで、ずっと議論されていたことだった。結局、話し合いの時間では決まらなかった。
よくあるのは、5時間計画の1時間目「題材との出会い」の場面、もしくは5時間目「鑑賞」の場面だ。数学みたくどう鋭く発問するか?ではないので、参観日であれば作業しているところをじっくり見てもらえばいいのだけれど、教師に作業しているところをただ見せるのは、意味があるのだろうか?というハテナがみんなで話しながら授業者に考えてもらったのだけど解決できなかった。
こうなると、僕はいつもこの本のことを思い出す。

上條氏は『「生産者的」好きではなくて、「消費者的」好きによって実践すること若い教師が増えていった』という問題点を指摘している。さらに、理想の授業づくりは個人の「好きなこと」をベースに授業をつくることで、その解決につながっていく、と上條氏は述べている。

今回もこの考えをベースにして、グラフィックを描きながら授業者に質問しました。