111 美術授業「15歳の存在証明」


中3は今日で美術授業がラスト2回となりました。
来週水曜日で卒業です。

人生最後の美術授業は「15歳の存在証明」に取り組んでもらっています。(山崎正明先生の追試です。授業の様子については、石川晋さん『学校でしなやかに生きるということ』、「授業づくりネットワークNo.12「学びのしかけ」から生まれる対話のあふれる授業」に記載されています)



「自分という人間の存在証明」という投げかけに、生徒はこれまで学んだことを生かして、一人ひとりが自分なりの答えを出そうと誠実に取り組んでいます。

ある生徒に、これまでの活動を写真で記録してもらいました。明日は不在だということで、その子だけ今日でラスト授業でした。
「あと5分で授業終わりだから、あと1枚写真撮ったらおしまいね」とぼくが言うと、「じゃあ先生!」と言った瞬間、僕が胸いっぱいになりました。その子としては、目の前にいた人をただ撮っただけなので、特に理由があったわけではないと思うのですが、ぼくの写真を「15歳の存在証明」の活動のラストに選んでくれました。そして、写真を撮り終わったあと「先生、笑ってる」という一言にも、感極まって泣いてしまいそうでした。

学校の先生をしていてよかったな、という瞬間でした。

そして、翌日は中3美術授業がとうとう終わりました。山崎正明さん(https://yumemasa.exblog.jp/)のおかげで、子どもたちだけではなく、僕もたくさん成長できました。
美術授業がおもしろいのは「子どもたちの発想やニーズに応えようとする」ことができるからだ、と僕は考えます。この一年たくさん100均に行って、素材を集めたり、教室環境を整えたり(9割は後輩がやってくれました)、研修会に参加したり、教室を見学させてもらったりしました。僕が準備した材料に手を伸ばし、それを使ってのびのびと活動する姿を見ると、そこには言葉では言い尽くせない喜びがありました。
これまでの活動を振り返ると、僕はそのために教師になったんだ、ということを思い出させてくれる時間が美術授業でした。僕にとっては、それが「ふつう」にできるのが美術授業のです。