ドイツの娯楽コーヒーカードに1つの可能性が・・・
あくまでもですがこれは、可能性の1つとして調べている事で
私の説が正しいと主張するものではありません。
その前提で、ドイツの娯楽コーヒーカードについて
調べている事を、ここに書き綴って行きたいと思います。
無料範囲内でサイトを使っておりますのでコメントのやり取りも
出来ませんので、こちらを読んで頂けた方は、おのおので一緒に
考えてみてもらえると嬉しいです。
ドイツの娯楽コーヒーカードは1796年の物が
大英美術館に所蔵されております。クッキーを許可すると
カードや説明書のデータも自由にダウンロード出来て閲覧可能です。
https://www.britishmuseum.org/collection/object/P_1982-U-4637-1-32
※カードの絵は大英博物館に著作権がある様なので、
コピーしたカードの販売は出来ないようです。
ダウンロードした説明書などは一旦下記のサイトでテキストに変換すると
翻訳サイトで日本語に翻訳がしやすくなります。
↓
説明書にはエジプトの写本との出会いからシャーベット占いをコーヒー占いにあてはめて作ったなどの経緯が書かれていて、あまり深く考えずに、その歴史やルーツなど調べていたのです。そのために色々な質問サイトにも登録をしました。
・・・ところがいろんな質問サイトでもドイツの娯楽について書かれているサイトでも、史実が「うさんくさい」と目にする事が多く、占いをあまり知らないキリスト教徒の方にまで「これはうさんくさいと思いますね」と言われるしまつ・・・・
でも・・・嘘にしては何か違和感・・・出来事が何か生々しい感じがする。
エジプトの流行に乗っかった占いゲーム・・・どうせ嘘をつくならもっとエジプト神秘っぽくするだろうし、絵もヒエログリフっぽくない・・・
嘘が荒削りすぎる・・・
占いの構成はしっかりしていて、タロットぐらいは当たる気がするし。
これは何か嘘ではない部分があるのではないか・・・。
作者の批判も目にして、シャーベットの占いは調べても全く何処からもどの国からも出てこない・・・私もこれはやっぱり眉唾なのかなぁ・・・そんなふうに諦め始めた時、ふと少し前の買って置きっぱだったナショジオから出ている「ユタの福音書を追え」という本が目に留まり・・・何となくパラパラパラ・・・とめくって、コンスタンティヌスがエジプトから持ち帰ったあたりの時代なんだ~と思いながら・・・35ページ目。目に飛び込んで来た文字が「この文章の場合、大半がコプト語で書かれていた」
あれ!?あのヒエログリフじゃないの???
他のパピルスの本など取り寄せて調べて見るも・・・ほぼほぼこの時代は何千年も前のヒエログリフでは無くコプト文字で書かれていると書かれていました。
もしかして作者はエジプトの写本だと渡された本を見て、コプト文字あるいは周りの挿絵何かをヒエログリフと思い込んでしまったのか???そう言えばカードの絵がエジプトっぽくない理由がこれなのかもしれない?
色々調べていくうちに私が感じた考えられる可能性として・・・この説明書の本当では無い部分だと唯一思えるエピソードが
「西暦320年にコンスタンティヌスがエジプトから持ち帰った本」
の部分。もちろんコンスタンティヌスが320年にエジプトに行った史実は何処からも出てこないのです。
そこに至る経緯を想像するに、作者がドイツの修道院を訪れた時
「エジプトについて書かれた本があると聞いたので訪ねて来ました」
と言うと
案内係りの人が、あくまでも想像ですがエジプトの本(占い本が混じっていたのかもしれません)を持ってきて、
「噂によるとこれ西暦320年にコンスタンティヌスがエジプトから持ち帰った本の写本らしいよ」なんて言った事を
「えぇ!そうなんだーすごーい」なんてうのみにしてしまったストーリがうかんできます。
あとの書かれている事は本当なのかしら??ですよね
次は何故多くの人にうさんくさく感じさせてしまうのかについて
書き綴ろうと思います。
もちろん私は色々調べてみて、今現在コンスタンティヌスの部分しか疑っていないのです。そして、やはりベースに見え隠れするのは「土占い」
アラビアの土占いとナポレオンも持ち帰ったエジプトの土占いは
流派が違うようです。現在のコーヒー占いがエジプトに入る以前のもっと前・・・古代エジプトにあったと言われている飲み物の占い
作者が”ちゃんと理由”もあってシャーベットと言った占い・・・