1-3. 動作と演出
この項目では特にエレクトラとオレストの再会から終局に至るまでの演出を取り上げ、第3章における考察につなげていきたい。というのもこの部分の演出こそ留学中の筆者に衝撃を与え、この論文の執筆を決意させたものだからである。エーラトの演出は、過去に多くの演出家によって上演されてきた『エレクトラ』の歴史に一石を投じるものであり、彼のオリジナリティはこの部分に凝縮されていると筆者は考えている。ここではできる限り詳細にその演出を確認し、第3章の考察の手がかりとしていきたい。
「1-2. 音楽と演出」で述べたように、グミの木が下りた舞台で姉弟は再会を喜び合い、復讐を決意する。エレクトラはオレストの傍らに跪き、彼の左手をしっかりと握る。彼らの中で復讐の思いが燃え上がっていくのに合わせ、グミの木は今度はゆっくりと上昇し、消えていく。そこにオレストの世話人が現れる。家の中には誰もいないと告げられたオレストは、エレクトラの手を振り払うように舞台奥へと消えていく。
そしてこれ以降、この演出においてオレストは一切登場しなくなる。
一人残され、斧を渡しそびれたことを思い出すエレクトラ。そこに響くクリュテムネストラの叫び声。
「もう一度打って!」(”Triff noch einmal!”) _1
エレクトラは彼女の叫び声に対し、(ト書き)「悪魔のように叫ぶ。(”schreit auf wie ein Dämon”)」
そして、彼女はクリュテムネストラが舞台上で脱ぎ捨て、そのまま残していったハイヒールを取り上げ、踵部分で自身の左手首を切るのである。そこに下女である患者たちが戻ってくる。一人は出血したエレクトラの腕を見て悲鳴を上げる。
混乱の中、エギストの帰還を知った彼女たちは舞台中央の檀上に集まる。
エギストの帰還。
(ジークムント・フロイトに扮した)彼は患者たちが置き忘れていったおもちゃの木馬に躓く。
エレクトラとのやりとりの後、エギストは患者たちが待つ中央檀上、ビニール幕の向こう側へと誘われていく。
彼の柔和なヘ長調の主題がより暗い変ホ長調で繰り返され、そこに壮大なハープのグリッサンド。
そこに起こる狼狽と動揺の響き。
各々が血糊、はさみや編み物棒などの凶器を持った患者たちは一斉にエギストに襲い掛かり、ストロボによる照明効果が差し挟まれる。檀上に吊り下げられたビニール幕には夥しい血が飛び散り、凄惨な殺人が演出される。
「アガメムノンが聞いている!」(“Agamemnon hört dich!“) _2
エレクトラは高らかに歌い上げる。
エギストは息絶え、殺人を成し遂げた患者たちはゆっくりと立ち上がり、それぞれ中央壇の縁に沿うように並ぶ。彼女たちは大きく手を伸ばし、吊り下がったビニール幕に大量の血をこすり付けていく。
そして舞台は回転し始める。壇に吊り下げられたビニール幕は上部から流れてくる水に濡らされながら、ゆっくりと上っていく。檀上に残るのはただ両手を大きく広げた患者たち。その目にもはや生気も表情もなく、ただ死者がそこに立っているかのような印象を与える。
舞台は回転し続ける。それにより、背後に隠されていた、クリュテムネストラとエギストを模したかのような、寄り添う二体の人形が現れる。
エレクトラとクリュソテミスは舞台の回転部分から外れた両端に立つ。ハ長調による荘重な二重唱。クリュソテミスは歌いながらピンクのドレスを着る。
「私はお兄様のもとへ行かなくては!」(”Ich muß bei meinem Bruder stehn!”) _3
クリュソテミスは檀上へと向かう。
ではここからの総譜に書かれたト書きを確認したい。
エレクトラはゆっくりと敷居から降りてくる。彼女はまるでメナーデ[注1] のように頭をぐっと後ろへ反らした。彼女は膝を曲げ、腕を伸ばす。それは名前のない踊り。彼女はさらに前へと歩を進める。( „Elektra schreitet von der Schwelle herunter. Sie hat den Kopf zurückgeworfen wie eine Mänade. Sie wirft die Kniee, sie reckt die Arme aus: es ist ein namenloser Tanz, in welchem sie nach vorwärts schreitet.“) _4
つまり、本来ならばここでエレクトラによる「名前のない踊り」が舞台上で展開されることになる。
しかし、エーラトは彼女を踊らせなかった。
舞台は回り続ける。
そこにワンピース姿で血まみれのクリュテムネストラが奥から登場する。彼女は舞台中央までよろよろと歩き、エレクトラと対峙する。エレクトラもまた彼女に気付く。エレクトラへと手を伸ばすクリュテムネストラ。
そこにオーケストラが突然低音木管楽器とワーグナー・チューバ [注2]が運命的な変ホ長調の和音に沈む。
ここでも再度ト書きを確認したい。
エレクトラは一緒に倒れこむ。クリュソテミスが彼女に近づく。エレクトラは横たわって動かない。(“Elektra stürzt zusammen Chrysothemis zu ihr. Elektra liegt starr.“) _5
すなわち、ト書きに従うならばここでエレクトラは「倒れて動かなく」ならなければならない。しかし、この2012『エレクトラ』において、ここで倒れるのはエレクトラではなくこの血まみれのクリュテムネストラ、および中央壇上に立っていた血まみれの患者たちだった。
周囲が死に包まれる。
エレクトラは表情を変えることなく立ち尽くしている。
ゆっくりと天を仰ぐクリュソテミス。
その顔は無表情に凍り付いている。
「オレスト! オレスト!」(„Orest! Orest!“ ) _6
クリュソテミスの手は虚空に伸ばされ、荒々しいハ長調の和音が物語を終わらせる。舞台はまるで蛍光灯が消えるかのように唐突に暗転し、幕が下りる。
*** *** ***
[注1]ギリシャ神話、ローマ神話に登場するディオニュソス(バックス)の女性信奉者マイナスのこと。「わめきたてる者」を語源とし、凶暴で理性を失った女性として知られ、彼女たちの信奉するディオニュソス(バックス)は泥酔とワインの神である。
[注2]オーケストラで稀に見られる中低音域の金管楽器であり、主にホルン奏者が持ち替えて演奏する。この楽器はワーグナーが『ニーベルングの指環』の上演に際し、新たな音色を求めて編成に取り入れたものである。変ロ調(B♭)のテナーとヘ調(F)のバスの2種類があり、通常は2本ずつで用いられることを想定されている。
1. Hofmannsthal, Hugo.v.: Elektra tragödie in einem Aufzuge, Mainz: Fürstner,1987, p.54.(以下この版からの引用はHofmannsthal, Hugo.v., 1987と表記)
2. Hofmannsthal, Hugo.v., 1987,p.59.
3. Ibid., p.63.
4. Strauss,Richard: Elektra tragödie in einem Aufzuge, Op.58, Adolph Fürstner(Hg.), Berlin, 1916, pp.353-345.(以下この版からの引用はStrauss,1916と表記)
5. Strauss,1916,p.369.
6. Hofmannsthal, Hugo.v., 1987,p.64.