序論 『エレクトラ』との出会い
転がる血まみれの死体たち。
不気味に静まり返る惨劇の跡。
呆然と立ち尽くすクリュソテミス。
そこに切り裂くように響き渡るオーケストラ。
彼女はそのオーケストラの響きでやっと我に返ったように虚空を見上げ、何かにすがるように両手を伸ばす。
「オレスト! オレスト!(„Orest! Orest!“)」
絶望に満ちた彼女の最後の歌声、それを無視するかのように響き渡るオーケストラの荘厳な和音、そして唐突な暗転の後に湧き上がる拍手喝采。
この作品を初めてオペラ座で観たときの、このクライマックスの流れは今でも私の目と耳にはっきりと焼き付いている。
2011年9月から翌年7月にかけて、私はオーストリア・グラーツ大学への交換留学の機会を頂いた。
その10ヶ月間、勉強は、ほとんどしていない[注1]。
街にある劇場とオペラ座に通い詰めては当日券の列に並び、舞台作品を鑑賞し続ける毎日だった。
『エレクトラ』に出会ったのは、そんな生活を続けていた冬のことである。
プログラム表から“ELEKTRA“というタイトルを見つけ、1時間45分という上演時間の短さに惹かれ、私はあらすじなどの何の予備知識もつけないまま全くの気軽な気分でオペラ座に足を運んだ。
そして、音楽はもちろんのこと、その「演出」に完全に目を奪われてしまったのである。
それから自分なりにあらすじや対訳を調べ、『エレクトラ』という作品を少しずつ理解していくうちにますます自分が観た『エレクトラ』の奇抜さが浮かび上がってきた。
その後私は半ば取りつかれたように、最終的には6回この『エレクトラ』のためにオペラ座に足を運ぶこととなる。
帰国そして卒業論文を執筆するにあたり、やはりあの『エレクトラ』が忘れられず、気が済むまでこの作品のことを考えてみたいという思いからこのようなテーマ設定に至った次第である。
この論文では、私が実際に鑑賞した2012年グラーツ歌劇場での『エレクトラ』(2012年1月21日初演)における演出を確認し、その意図や解釈を考察する。
私が求めるのは、この『エレクトラ』という作品を足がかりに、
「演出」と「作品」、また「学問」と「芸術」の関係性を考えることだ。
またこの卒業論文を執筆するにあたり、筆者は2012年9月9日から15日にかけてオーストリア・グラーツに再度滞在した。
その際、当時の『エレクトラ』にドラマトゥルクとして関わったベルント・クリスピン(Bernd Krispin)氏の多大な厚意により、演出家ヨハネス・エーラト(Johannes Erath)氏に直接インタビューさせていただくというまたとない機会を得たため、第3章の考察はこの記録をもとに構成している。
それではまず、原典となるソフォクレスからホフマンスタールの翻案による戯曲、そしてシュトラウスのオペラ化に至るまでの『エレクトラ』という作品の変遷をたどっていくことから始めたい。
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[注1]卒論第一稿にも「勉強はしていない」旨は書いたが指導教授に「していないのは分かったからせめて『勉強の傍ら』とは書いてくれ」と言われたために大学への提出版にはそう書いたがやっぱり納得がいかないのでここでは正直に書くことにする。