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WaikikiRecord始めようかな、と思いました。

あくまで自分の年代の認識で恐縮ですが、CLUBイベントは主にDJが音楽をかけて、踊るフロアと、お酒を飲んだり、タバコを吸ったりしておしゃべりするフロアがありまして、ライブハウスは、バンドが演奏するステージとお客さんのスペース、という大まかな作りになっております。近年その中間もたくさんできておりますが、まあ最大の違いはライブは出演者の表現を2時間ぐらいのなかで鑑賞する、演劇とかと同じ要素があり、受け身で大丈夫。もちろんライブを積極的に楽しもうという楽しみ方もありますが、いいのよ、観に行く人が偉そうに、楽しかった、楽しくなかった、面白かった、面白くなかったと好き勝手言っても。

CLUBの楽しみ方は、どちらかというと、まずお酒やおしゃべりとかを自分から楽しむ空間に音楽があったりして、そうねー、大衆酒場やBARみたいなもので自分が選んでその空間で自分で楽しむみたいな認識でしょうかね?鳥貴族に行って、お店に、「まわりがうるさい!!!」とか怒るんだったら、静かなお店に行け!というような感じで、好きなクラブイベント、箱はお客さんが選ぶスタイル。

その相反するCLUBイベントとライブイベントを主催してみて、おもったのは、それぞれのいいところ合わせられないかな〜?でした。

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*まさにクラブのフロアにスネアだけ持ち込んで、小さいアンプでギターを鳴らし、無理やりライブをやっておりました。

そこで挑戦するのが、「下北沢CLUB QUE の オールナイトイベント の主催」。

まず、当時下北沢CLUB QUEが敷居が高く(今と比べてという意味で、今現在敷居が低いということではないですよ)、一見さんの持ち込み企画というのは受け付けてくれなかったんですね。もちろん前回書きました、お昼のオーディションという方法もあるのですが、これは主催とは違い、出演者を選べませんし、DJを入れるとかの自由がきかないため、なんとか主催したかったのですが、オールナイトの企画は比較的に企画を通しやすく、かつ、前回出てきたクラブイベントを主催していた友人・吉田くんが、ライブハウスに興味を持って、アルバイトでQUEで働き始めていたので、融通が利きやすかったという偶然もあります。

上記の理由と、クラブ文化をライブハウスに混ぜるためには、時間帯はもちろん不謹慎で、「良い子はねんねしな」、な、オールナイト!を選択、そしてライブとDJだけでなく、お笑い(+α)も要素として加えるべく、そういった不確定要素を入れるには、やはり主催をしないと絶妙な一体感が生まれないので、あくまで主催にこだわりました。(例の吉田くんが大学の「オチ研」に所属していたので、そのグループが出演)

まあそのイベントが数字的に成功したかどうかは覚えていないですが、めちゃくちゃ楽しくて、始発が過ぎても下北の飲み屋でわいわいしてたのを覚えているんで、それは成功と思っていいのではないでしょうか?


イベントはこうやって回を重ねていきます。もちろん金銭的にきついときもあれば、思ったよりお金が戻ってくるときもあるし、回を重ねれば、いろんなことが新鮮でなくなり、身内ノリや、自分自身のクオリティが気になることもあったりなかったり、、

まあイベントの話ばかりになりましたが、こうやってイベントを重ねれば、当然、ELEKIBASSのCDを出したくなります。デモテープはなんの知識もないなか無理やり録音して作り、オリジナル曲も数曲増えてきたので、ちゃんとレコーディングスタジオに入ろうと思います、、、が、レコーディングの前に何を思ったか、7インチのレコードを作ろうと思ったんですよね。

だって100枚とか200枚でいいんでしょ?と思い(当時自分が買っていたUS/UKインディのレコードが、全世界で200枚とかのナンバリングが入っているようなのがザラだったので)、まだインターネットがあまりない時代でしたので、音楽雑誌や友人づてにレコードを作ることのできる会社を紹介してもらい、そこに電話、そしてFAXで注文書をもらい、それに従い、音源のマスターを郵送して、デザインを友人にお願いして、曲数もあまりなかったので、当時好きで、たまに一緒にライブをしていたSWARMS’ ARMというバンドにスプリット出しませんか?とお願いして、プレスをすることに。(SWARMS’ ARMは当時coaレコードというインディからリリースしており、SWARMS’ ARMのギターボーカルの塩谷さんのソロ「Home Sized」という名義のCDをWaikikiRecordでリリースすることになります。これも縁ですね。)

お金もなかったので、例の吉田くんに相談したらお金を貸してくれるとのこと(いやー、お互いなんでだろうね?ってぐらい迷いがなかったと思います、こういう時の気持ちって説明がつかなかったりしますよね。不思議で面白い)

そして屋号、そう、レーベル名をつけようということで、吉田くんがお金を出してくれたので、「よしだや」という名前をつけてアナログ7インチの完成です。

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*ELEKIBASSのデモテープにも「よしだや」の文字が!

作ったはいいものの、お店に並べるにはどうしたらいいのかな?と思い、周りに相談したところ「流通」(ディストリビューション)という仕事があり、そこにお願いすれば、レコード屋さんに並ぶらしい。

ということで、これまた飛び込み電話をして、流通お願いします、と話します。当時はインディーズというシーンもある程度売れる、という勢いがある時期だったので、個人のこういった持ち込みもわりかしきちんと相手してくれたのもあって、流通に乗せることになります。

ここで発注書というものを作るんですが、、、この時、レーベル名を記載する欄があったのですよ。

実はコーネリアスのトラットリアに憧れていた自分は、できたら、自分のレーベルで出したい、というか、ほとんど自分で作っといて、「よしだや」という名前はいやだ笑、と思い、かってに自分のレーベル名を記載して発注書を作ったのです。

そう、それが「Waikiki Record」だったのです。

プレス代を出してくれた吉田くんと盛り上がり、今後一緒にレーベルを盛り上げていこうぜと始まりかけた「よしだや」、それを寸前で、自分の「Waikiki Record」に切り替えた自分、、、

いやー、ほんとごめん!!ってか、ほら、なんていうの、まあお互いまだ学生だったので、なんか、こう思ったこととかうまく伝えられずに、筋道を違えてしまう、みたいな、ことあるじゃないですか、、、もちろん吉田くんとはその後きちんと話はして、WaikikiRecordを名乗るのを半ば強引に納得してもらい、WaikikiRecordのカタログWR-000が始まりました。(その後、ちょいちょい、吉田くんとは、もめます。いや、僕が不義理をしたのかな?、まあまだ吉田くんとの物語は続いているので、まだわからない笑、いやいや、仲良いよw)2019年9月現在

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*なんかの打ち上げ、見事なまでに目をつぶってよくわからない表情の自分と、笑顔が変わらない吉田くん

ちなみにWaikiki Recordは、フィッシュマンズのスタジオ「ワイキキスタジオ」からいただきました。(もちろん音楽が大好きなこともあったのですが、当時フィッシュマンズのディレクターさんと仲良くさせてもらっててフィッシュマンズのレコーディングや、海外でのマスタリングとかの話を聞きながら、ワイキキスタジオに一度行ってみたい!!と思っていたのですが、その夢叶わず、ワイキキスタジオは無くなってしまいました、、)

そして、なんのプロモーションも、サンプルもない、7インチレコードだけできてその商品を流通させるためだけに、レーベルが始まったのです。もちろん、事務所は自宅、在庫は100枚のアナログレコードのみ。

この時点でレーベルのお金の仕組みなんて、一ミリも知らない、、、

ここから始まったんですね、、、いやー、相変わらず、これで、後年大成功してたら、美談!!笑

しかし、ここから始まったのです、始まってしまったのです。始まったレーベル、、、どうなる?、どうする? 

次回に続く!!

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