『森鷗外と出会う 劇場列車(イマーシブトレイン) 鷗外号』の旅
ちょうど体験型エンタメのフリーマガジン『ATOMO』2024年5月号で「広がるイマーシブシアター」というテーマで『森鷗外と出会う 劇場列車(イマーシブトレイン) 鷗外号』を少しだけ取り上げたので、連動企画という訳でもないですが、もう少し詳しくイベント部分と現地のオプションツアーがどうだったかを紹介したいと思います。
そもそも『劇場列車 鷗外号』とはどのようなイベントなのか。プレスリリースから引用します。
すなわち、貸切列車を使った観光ツアーにイマーシブシアターの要素を取り入れたものと言えるでしょう。
イマーシブシアターが大好きで、鉄道の旅行も好きで、しかも福岡から比較的近い山口出発のイベント。石川が参加しないはずはありません。嬉々として2024年3月9日の回に参加しました。
イマーシブシアター部分の構造
列車が出発して1時間ほどして、途中の駅から鷗外役の役者さんが乗り込んできます。キャストは他におらず、基本的に森鷗外と参加者のやり取りでイマーシブシアターは進みます。なお、車両が2両に分かれている都合上、2人の鷗外役の人がそれぞれの車両に乗り込んでくる形でした。
で、この記事を読んでいる方の多くが気になるであろうイマーシブシアター部分ですが結論から言えば、さほど要素は強くなかったです。
どちらかというと鷗外視点で津和野の思い出と郷愁を淡々と語る感じです。
内容によって時々参加者とのやり取りがあったりしますが、そこも話している内容に関連して世間話的なものだったり、クイズ的なものだったり。
なので、がっつりとしたイマーシブシアター体験を期待する人にとってはやや物足りない内容だったかもしれません。
旅行演出としてのイマーシブシアター
ただ、石川がとても良かったと思うのは、このイベントは基本的に特別列車による旅行ツアーであり、旅先への興味をいかに引き上げるか、という点において森鷗外の視点で津和野の事を話すという形式は大成功していたと思ったからです。
特に良かったのは鷗外は一度も津和野に帰郷しなかったが「津和野に鉄道が繋がったら一度帰りたい」と言っていた。しかし津和野へ鉄道が開通したのは死後1ヵ月後だったというエピソード。つまりこの列車の旅は生前果たせなかった鉄道での帰郷を鷗外と共に疑似体験する旅にもなっている。
この帰郷エピソードも演劇的にもっとエモーショナルにしようと思えばできたと思いますが、最後まで淡々と語るスタイルは、まず第一に旅行に来た参加者に対してはほどよい距離感だったと思います。ここがイマーシブシアター要素はそれほど強くなかったけど石川が満足したという理由です。
現地ツアーとの連動感
こうやって無事列車は津和野に到着しました。石川は津和野がまったく初めてだったので、現地の方が実施してくれているオプショナルツアーに参加。これがまたよかった。列車内で鷗外に対する興味と解像度が上がっている所に合わせて鷗外の津和野でのあり方を追体験するような内容でした。
たとえば、鷗外の生家から鷗外が通っていた藩校に向かって、当時歩いた川沿いの道を歩く。もっと近道があったらしいのですが、何でもその近道にいる犬が怖くてこっちの道を歩いていたらしい、という地元ならではの小ネタを聞きながら、子供の頃の鷗外の気持ちになって道を歩きます。
そして最後は森鷗外の墓。「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」という遺言によって墓には「鷗外」の号はもとより、生前の階級、勲等などがまったくないという話はイマーシブシアターの時に聞いていましたが、その実物を目にすると森鷗外の故郷への思いがひしひしと伝わってきます。
観光における可能性はまだまだありそう
帰りの列車はイマーシブシアター要素はありませんでした。ここだけはちょっと残念だったところ。例えば『泊まれる演劇』がチェックインからチェックアウトまで宿泊全体を体験とした設計になっているので、現実に帰るまでの帰りの旅も何かイマーシブ的な体験があるといいなと思いました。
ということで観光を盛り上げるためのイマーシブシアターの使い方という点でとても可能性を感じました。今後こういったタイプのツアーが増えると嬉しいなと思います。
ちなみにツアーの方に「イマーシブシアターだから参加した」「このツアーがなかったら津和野に来ることはなかったと思う」という話をしたら企画意図にドンピシャだと喜ばれました(笑)
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