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シンガポールを総括 その1
多民族国家としてのシンガポール 🏙️🌍
シンガポールといえば 多民族国家。
中国系、インド系、マレー系など、さまざまな 文化的背景を持つ人々が共存 している国である。
地理的にも 異文化交流がしやすい立地 であり、古くから貿易の要所として栄えてきたことが影響しているのだろう。
私がシンガポール国立博物館を訪れて 最も心を奪われたのは、1965年8月9日。
シンガポールが マレーシアから分離し、独立国家となった際の記者会見の映像 だった。
その記者会見で、初代首相リー・クアンユー(Lee Kuan Yew)が涙を流したシーン。
これは以前テレビで見たことがあったが、改めて博物館で見たときは、思わず 2回も見入ってしまった。
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リー・クアンユーは マレーシアとの統合を強く支持 していた。
しかし 経済的・政治的対立が深刻化 し、ついに 統合は不可能 となり、
シンガポールの分離が 避けられない決断 となった。
このとき、彼は シンガポールが独立国家として存続できるのか 深く懸念していた。
また、統合が叶わなかったことは、彼にとって個人的・政治的な敗北でもあった のだろう。
彼が望んでいたのは、
「民族的な統一を維持し、マレーシアと共に繁栄すること」。
しかし、それが叶わなかったことに 彼の無念さと深い悲しみが映し出されていた。
歴史が生んだ団結の瞬間 🏛️
この記者会見を見たとき、私は ツアーガイド・ワイマンさんの話 を思い出した。
1942年、日本軍がシンガポールを占領しようと爆撃を開始。
当時のシンガポールは イギリスの植民地 だったため、
人々はまさか 西洋列強が敗れるとは思ってもいなかった という。
しかし 不意打ちの爆撃 により、
シンガポールの街は 大きな被害 を受けた。
このとき、宗教の違いを超えて 人々は互いに助け合った。
仏教徒は 寺 を開放🏯
ヒンドゥー教徒は マンダル(礼拝所) を開放🛕
イスラム教徒は モスク を開放🕌
民族も宗教も関係なく、人々が支え合った瞬間だったのではないか と思う。
1942年のイギリスの敗北は、西洋の「優位性」という神話を打ち砕いた。
この出来事をきっかけに、
アジア・アフリカの国々では脱植民地化の波が広がる ことになる。
シンガポールも例外ではなく、
このとき初めて「自分たちの国を自分たちで守る意識」 が芽生えたのではないか。
多様性を受け入れた選択 🌏✨
こうした歴史的背景の中で、
シンガポールは 民族・宗教・肌の色に関係なく、多様性を受け入れる国家を目指した。
私は この選択は大正解だった と思う。
シンガポールの国土面積は 約720平方キロメートル。
これは 東京23区より少し大きい程度 のサイズだ。
そんな 小さな国がどのように発展していくべきか、
迷いながらも 挑戦を続けてきた のだろう。
経済発展のカギ 🔑
今や シンガポールは東南アジアの経済の中心 となっている。
海外からの投資を積極的に誘致 💰
国際企業の東南アジアのハブ拠点 🏢
他の東南アジア諸国に比べ、圧倒的なインフラ整備 🚆
この戦略が成功し、シンガポールは ダントツに経済的に豊かな国 へと成長した。
多様性を受け入れられる国は、力強く、ダイナミックである。
シンガポールの発展は、その 柔軟性と適応力の賜物 なのだろう。
次回 「シンガポールを総括 その2」 では、
さらに深く シンガポールの現代社会やライフスタイル について掘り下げていきたい。