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震災映画の挑戦と結果
こんにちは!ツアーガイドのFujikoです✨
13年前に書いたスペイン留学ブログ「不惑のハポネサ」を、25回のシリーズで別バージョンでお届けします。映画業界で働いていた頃の体験をお楽しみください!
■開催まで1か月足らず⏳
ビクトル・エリセ監督の招へいに関しては、国際交流基金へゲタをあずけることになった🎬とはいえ、上映作品のデータや素材の手配に加え、もう一人のゲストである松林要樹監督の日程調整や飛行機の手配など、私の仕事はまだまだ山積みだ💼
はるばる日本から来西する松林さんには、ぜひエリセ監督と対談してもらおう!なんて考えたりしていた💡
■想定内ではあったが...😅
そんなある日、国際交流基金のSさんからこう言われた
「エリセ監督からもらったメールの表現が 'Intentaré' になったんだよねー。もしかしたら難しいのかな」
英語でいう "try to" に近い表現だろうか。エリセ監督の来場の可能性が低くなったというニュアンスが感じ取れる。新作の撮影の真っ只中にいるエリセ監督。映画づくりというのは、一度撮影に入ると予定の順延や変更が多発する。最悪、キャンセルも想定する必要があるかもしれない📽️
そして上映前日、Sさんから電話が入った📞
「藤子さーん、エリセ監督、キャンセルですー」
なんと、そうきたか........😨
生ものゲストにはドタキャンはつきものだ。もちろん覚悟はしていたが、やはりショックだった💔U所長宛に送られてきた彼のメールに観客宛のメッセージが添えられていたのが、唯一の救いだった📩こんな内容だ。
オムニバス映画、 『3.11 A Sense of Home Films』 への参加に至るまでに河瀬監督と意見を交わし合ったこと、その中で彼が手掛けた『Ana, tres minutos(アナ、3分間)』を撮影するために、休暇中の女優アナ・トレントをマドリードへ帰国させたこと🎥
偶然にも広島に原爆が投下された8月6日に撮影を行ったこと。「なら国際映画祭」へ参加するために、日本を20年ぶりに訪れたこと。多くの人が家や愛する人を失った震災の日から1年、困難を乗り越え復興を遂げようとする日本の姿に感銘を受けたこと。自分は遠くにいるけれども復興を願う気持ちはみんなと同じであること……
そしてメールの最後にはこう記されていた
「P.S. Un saludo afectuoso para Fujiko Asano.(追伸:浅野藤子さんによろしくお伝えください)」
これはもう、鼻血が出るくらい興奮する一句だ😍それもP.S.(追伸) だから、なんか特別扱いされているようで(監督はそんな気持ちは無かったかもしれないが)天にも舞い上がるような気持ちになった☁️
舞い上がったり落ち込んだりと、ここ数週間の私の気持ちの乱高下はまるでジェットコースターのようだった🎢
■気を取りなおして...
国際交流基金マドリード事務所のU所長の計らいで、上映会のオープニングセレモニーで挨拶をすることになった🎤それもスペイン語で💬
観客のほとんどがスペイン語を話すから当然のことだが、渡西して3か月目、英検2級レベルの私にはなんともチャレンジングな仕事だった💦
「ス、スペイン語でですか?」と不安げな私😨それを見て、スタッフのS女史が「日本語で書いていただければ、うちのスペイン人スタッフに訳してもらいますよ」と声をかけてくれた。あー、良かった🙏スペイン語で原稿を書くのはまだ不安だけど、読むくらいなら練習すれば大丈夫だろうと安堵した💨
スペイン語に訳された原稿が上がり、自宅で読みの練習をしてみたのだが、これが意外と難しい🤔特に "r" と "rr" の発音がうまくできない。2日間練習しても不安が残る😓「上手く発音できて壇上で満足している自分を想像する」というイメージトレーニング(泣)も試してみた。
■いよいよ当日...📅
2011年3月7日、オープニングセレモニー当日🎉
私を含めて4人の挨拶があるとのこと。上映会場であるマドリード州文化局の局長、国際交流基金所長のU氏、エリセ監督のメッセージを代読する日本映画研究家/大学教授のロレンソ、そして私だ📜
私がトリとは……、なんだか申し訳ないなと思いつつ、練習の成果を発揮しようと気合を入れた💪
私の出番が来た
「2011年3月11日午後。私は銀座にある東京国際映画祭の事務所にいた
大きな縦揺れを感じ、すぐに外へ逃げると、そこで目撃したのは、銀座の大通りに面するデパートや映画館、レストランがマッチ箱のように左右に揺れている光景だった。映画の1シーンのような状況を目の当たりにし、恐怖で足がすくんだ。心の中では『もしかしたらこの世の終わりを目撃しているのかもしれない』と思った……」
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結局、かみかみの連続で終えた😅
観客の中には、スペイン語の先生で映画好きなピラールがいた👩🏫彼女は仕事の忙しい合間をぬって、写真家の旦那さんと一緒に来てくれた
私のつたないスピーチにも、目をつむって耳を傾けてくれた👂
「あなたのスピーチは、詩のようだったわ🎶状況が頭の中にメロディーのように浮かんできたの」
かみかみでも、発音がうまくできていなくても、伝わったのだと安堵した😌
エリセ監督が来られなかったのは残念だったが、彼の作品を上映し、特別なメッセージをもらえたことを考えると、これで良しとしよう🎬
■上映会のその後...
マドリードでの上映を3月17日に終え、次はバルセロナ、そして5月には2008年国際博覧会が開催されたサラゴサでも上映が行われた🎥スペイン国内3か所での上映は、私の予想を超える広がりだった🌍
こうして、2011年11月から準備を進めていた震災特集の上映会を無事終えた私は、本来の留学目的であるスペイン映画の研究に、心機一転シフトチェンジしていくことになった🎓