「魂の系統」「魂の万国博覧会」を読み終えて
「魂の系統」「魂の万国博覧会」を読んだので、義務教育以来久しぶりの読書感想文を残してみる。
タイトルのとおり、魂の家系図やこれまでの歩みが、想像もできないスケールで記されている。
雑に区分けしてしまうならば、「スピリチュアル」な内容になる。
でも、筆者が関わるかたにセッションを受けた経験とそこから学んだこともあり、きっとこの内容は本当で、大切なエッセンスが詰まっているものなのだろうと感じた。
魂とはなんなのか。宇宙とはなんなのか。私とはなんなのか。その答えが示されワクワクするも、読み進めるうちに、脳の容量と理解をオーバーしはじめる。
むしろ、すぐには理解できなかったり難しいのは当然なのだろう。それくらい、他の本や情報では知り得ないことばかりなのだ。
記述自体は端的で、謎解きのようでもある。解釈は読み手によって多岐に分かれるだろう。
また作中には、小さな無数の物語や、読者へ向けたメッセージ、そして歌もたくさん詠まれている。
系統や万国博覧会の名のままに、多くの存在(魂)が、このひとつの本に言葉を寄せている。
本当に長い内容のため、日々少しずつ読み進めた。
丁寧な解説というより、濃縮された言葉のエッセンスがぽたりぽたりと落とされるように並んでいるため、なかなか理解や言語化が難しい。でもどこか、胸に蓄積されるものがある。
イメージで言うならば、夜空にひとつの星を見つけて、◯◯星だ!と嬉しくなる。しかし、よく目を凝らすとそのまわりにどんどん星が見つかって見つかって、追いつかなくなってきたころ、ふと夜空全体を俯瞰すると、かつてなく美しい満点の星空に、言葉を失う。そんな感じだ。
たとえ詳しく説明されていなくても、個々の短い言葉に大きな思いや景色が込められている。
また、使い古され当たり前になった言葉でも、改めて目の前に提示されると、なんだか感動したり、逆に苦しくなったり。
ぱっと分からないから、自分で考え、イメージする。そういう意味では、大切な「体験」ができる本だと感じた。
宇宙の神秘を知るのは楽しい。それでも日常生活は続く。
ご飯を作って食べ、働き、布団に入る。朝になったら起きる。
言ってしまえば、宇宙や魂がどうとかなんて、今の「私」には、というより「私の生活」には直接関係はないのだろう。宇宙や魂が存在する、とただ知っているだけだ。
それなら、宇宙や魂のことが分かったことで、彼らのメッセージや物語を知ったことで、「私の生活」がどう変わるだろうか。
地球上で衣食住しながら生きていく大筋は変わらないけれど、
誰かに声を掛けるときに選ぶ言葉、
これまで通り過ぎていた民家の丁寧に手入れされた花壇などの景色、
やってみたかったことにちょっと手をつけてみる一歩、
きっとそういった変化くらいならあるかもしれないし、そういうことでいいのだと思う。
だって、魂の家系図は言葉を失うほどの無限の連なりで、もちろん自分もその一部で、地球で色々体験したくてここに来ているのだという。
ならばなんかもう、好きにやってもいいじゃないか、と。
これまでの制限や観念をちょっぴり突破できた気がしただけでも、多分この先色々変わっていくだろう。
う~ん、言葉ってすごい。