Oさんとニック・カーショウ

ニック・カーショーを聴いていた時期がある。最近になってまた聴くようになった。
当時は自分の家で夕方から始まる『おしゃべりトマト』というテレビ神奈川の番組をよく見ていた。MVを流すプロモーション番組でなかなか触れる事が出来ない情報源でもあった。

洋楽ロック雑誌隆盛だった事、一次情報はテレビ(地上波)での露出が格段に効果があった時代の事で、色々なMVを見る事ができる番組は他にもいくつかあったと思う。

MVを流す番組は深夜帯が多かったのと単発でそこまで頑張って見られなかったが、夕方から始まる「おしゃべりトマト」は、夜更かしできないティーンの子供には都合が良かった。

ブリティッシュロックの全盛期でもあり、プロモーションの来日公演なども頻繁に開催されていた時期。そんな日本のある時期の話が始まり。

ニック・カーショウはこんな歌手


  - ニックカーショーについて


ニック・カーショウ(Nik Kershaw、本名ニコラス・デヴィッド・カーショウ、1958年3月1日 - )は、イギリス・ブリストル出身のシンガーソングライター、ギタリスト。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6



ローナン・キーティング、エルトン・ジョンをはじめとする数多くのトップ・アーティストへの楽曲提供でも知られる英ブリストル出身のシンガー・ソングライター

https://store.universal-music.co.jp/product/uicy79699/

公式サイト
https://www.nikkershaw.net/news/


シンガーソングライターのみならず、作曲家、マルチ奏者(1stアルバムからギター、ベース、キーボード、パーカッションを担当)、音楽プロデューサー、ミキシング・エンジニア



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ニックカーショウの音楽スタイルやジャンル


フュージョンとロック。美しくて煌びやかなメロディと少しダークなエッセンスも持ち合わせているポップチューンという印象。まさに聴いたことのないような音楽が流れてきて、当時、テレビの前で大変な衝撃を受けた。

  当時のニック・カーショウについて、こんな事も書かれていました。

『彼の生み出すサウンドは独創的であり、今までに聞いたことがないような印象的なフレーズで、ポップス界に新風を巻き起こした。またヒットしたことに甘んじることなく、失敗を恐れず我が道を突き進む姿は、まさにロッカーそのものであった』

http://rock.princess.cc/rock-3/nik.html

音楽を始めたきっかけについては30年ぶりに来日公演を果たす直前インタビューでも。

音楽をはじめるきっかけとなった作品はありますか?
ニック:2つある。一つはディープ・パープルの『メイド・イン・ジャパン(邦題:ライブ・イン・ジャパン)』、もう一つはデヴィッド・ボーイの『アラジン・セイン』さ。

https://www.billboard-japan.com/special/detail/788

と、答えています。少しパンクでポップさがある事と、キャッチーさと作家性が同居しているものが好きなのかと思いました。


- 記事の目的


ニック・カーショウの音楽の先進性といまだに衰えない独創的なサウンドについて簡単に振り返るエントリー。

そして何より自分にニック・カーショウの魅力を紹介してくれた親友への感謝の気持ちを綴る為に。

ニック・カーショウの経歴とバイオグラフィー

  - 生い立ちや出身地について  

1958年3月1日、ニコラス・デヴィッド・カーショウは英国ブリストルで生まれる。少年時代はサッカーに夢中となるが、13才の時にスレイドの大ファンとなる。ハイ・スクールに入ると、仲間とハード・ロック・バンド、ハーフ・ピント・ホグを結成する。

https://www.linkclub.or.jp/~yk-elton/nik.kershaw.html

その後、
1978年 ジャズ・ファンク・バンド、「フュージョン」参加
1980年 アルバム・デビューを果たす。
※フュージョンへの在籍後、グループを脱退し地道に曲作りに専念。完成させたデモ・テープが目に留まりMCAレコードでの契約に至る。

1984年 デビュー・アルバム「Human Racing」発売。



このデビューアルバムの時点で既にスマッシュヒットを飛ばす。8ヶ月以上もの期間に全英チャート・インし続けた。

このアルバムに収録された楽曲では「恋はせつなく-Wouldn't It Be Good」(全英4位)を始めとして、4枚のヒット作を生み、新人のニック・カーショーのデビューは大成功。ニック・カーショーは初期から地位を確立していたように思う。



1984年  2ndアルバム「The riddle」発売。

ニック・カーショーの最高傑作といわれる2ndアルバム。
日本でも2021年にアルバムが復刻されている。

84~85年  全英チャート7曲連続トップ20ヒットの記録を持ち、ニックの代表曲「ザ・リドル」(全英3位)が収録されている他、「ワイド・ボーイ」(全英9位)、「ドン・キホーテ」(全英10位)もヒット曲としてチャートに登場している。


個人的には『THE riddle』のMVがサウンドも含めて衝撃的で印象に残っている。作家性とポップさのねじれ、アンダーグラウンドにはならずにメジャーな煌びやかさのフレーバー。一度聴いたら忘れられない作風は2023年の現在、振り返っても魅力的だ。

ニックは今作でも全曲の作詞作曲、ボーカル、ギター、ベース、キーボード、パーカッションを担当。

2ndでは前作の方向性と基本的には同じながら、センスが凝縮された作品として成立した。

一方でニックは見た目の良さからのアイドル的な扱われ方に疑問が芽生えたとされています。そして、重要な音楽的な方向転換を迎える事になる。


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ニック・カーショウのイベント参加業績(初期)



 1984年6月30日  ウェンブリー・スタジアムにて開催されたビッグ・イベントに、ニックが出演。

他にもメジャーな実力派アーティストがこぞって参加していたイベントは当時の7万2千人のロック・ファンを魅了した。


来日公演も精力的に果たして、ステージアクトとアルバムリリース、シングルプロモーションなど意欲的に活動をしていたこの第1期のニック・カーショー。

当初から天才ぶりとアイドル的人気で一旦はこの路線での活動は完結したと言って良いでしょう。

1985年以降 エルトン・ジョンのツアー、サポートメンバー(のちにプロデュースも)としても活躍。
特にギタリストとして。ツアーメンバーとして迎えられている。


ディスコグラフィー
  - ニック・カーショウの主要なアルバム


Human Racing(1984年)
MCA●MCD 01892(CD英国盤)
Produced by: Peter Collins

ニックの1stアルバム。自身による全曲ライティング&アレンジ、ボーカル、ギター、ベース、キーボード、パーカッションを手がける。

The riddle(1984年)

1st同様に自身による作詞作曲、主要パートを手がける。


15 minutes(1999年)
Produced by: Nik Kershaw

他のアーティストへの楽曲の提供やプロデュース業をしていた為か前作から10年振り通算5枚目のアルバム。全曲のライティングと各楽器担当をしながらのセルフプロデュース作。

自身の作品のアイデアが浮かんできたのは96年頃でその後、数年をかけて完成。

内容はニック本人が自分の人生と向かい合った歌がメイン。
とはいえ、重くならずに美しくもポップなメロディーラインとシンプルなアレンジはこのアルバムでも当然のように出現している。

スローなナンバーが多く落ち着いた大人の味わい。ニックの本人らしさが滲み出るような構成。

「15 minutes」は日本盤にのみボーナス・トラック曲、「ザ・リドル」のアコースティック・バージョンが収録されている。滋味が感じられるアコースティックバージョンのアレンジはニックの精神面の変化や成熟した内面が表現されているよう。


  - ニックカーショウの音楽が他のアーティストや音楽業界に与えた影響

 エルトン・ジョンとニック・カーショウ


ニックのソング・ライター、シンガー、ギタリストとしての才能に気づいたのはエルトン・ジョン。
1985年にリリースした「アイス・オン・ファイアー」でニックにギタリストとしてゲスト参加を要請する。
そして「ACT OF WAR」のビデオ・クリップでもニックがギターを弾く姿を垣間見れる。

さらにヨーロッパ&英国ツアーのサポート・メンバーに指名。それ以後もヨーロッパ・ツアーのメンバーとしてニックを招いている。

ツアーに参加しているうちに信頼関係が出来てきたのか新作の相談相手としてエルトン・ジョンと話すようになった、と言われています。


1989年5月 ロンドン公演ではサポーティング・アクトとして、ステージに立つ。

1993年  アルバム「デュエット・ソングス」に参加。収録曲の、「オールド・フレンド」を作詞&作曲、アレンジ、プロデュース、全楽器まで手がけた。

91年以降のプロデューサーとしてのニック・カーショウ


 1991年以降、ニックは他のアーティストへの楽曲の提供、プロデュース業に徹するようになる。

当時、注目されたプロジェクトはジェネシスのトニー・バンクスのソロ・アルバムに共作者&シンガーとして参加し成功させた。チェズニー・ホークスに楽曲を提供、プロデュースも手がけた事など。

 特に「ザ・ワン・アンド・オンリー」は、全英チャート5週連続第1位に輝いた名曲。

 他にもジェイソン・ドノヴァン、ボーイ・ゾーンのローナン・キーティング など。

 プロデューサー、共演者としてのニックは多数のアーティストと仕事を共にする。


1999年  ブリトニー・スピアーズのアルバムにも楽曲を提供。

他にもたくさんあるので、この後の部分は公式サイトなどで。

-ニック・カーショウの現在、今後の活動状況

  - ニックカーショウの現在の活動は過去のアルバムの再発やライブの再発と現在のバンドメンバーによる新曲の制作と発表。

過去のアルバム、ヒット曲をまとめた3枚組のCDのリリースなども。

  - ニック・カーショウのこれからのプロジェクト

2022年以降は積極的に90年代のプロデュース作を制作していた時期に溜まっていた自身の作品を発表していく事を公式サイトで宣言している。
CD再発やそれに伴ってのファン向けのイベント、ライブなどを開催している。
今後も自分の新曲を中心に発表していく事が予想できます。
もちろん、誰かアーティストのプロデュースやツアーに参加する事も考えられます。

結論

  - ニックカーショウの音楽キャリアや人物像について

  - ニックの80年代からの長期にわたる影響力は絶大で、元々マルチプレイヤーとして活躍してきた事も相乗効果で、洗練の極みを迎えているように感じます。くわえて、どこか温かみや懐かしさといったエッセンスも魅力を十分に感じさせてくれます。

現在も自身のプロジェクトが恒常的に行われている事からもニック本人の堅実さが伺えます。ライブ(ギグ)の開催回数もかなりの頻度でもう何十年も活動しているアーティストとしては積極的にファンと交流をしてくれている誠実なミュージシャンと言えます。

 

- ニック・カーショウの音楽のおススメ


やはりアルバムの1stと2ndです。
ニックの天才性と変態性(作家性?)の一番フレッシュな部分が楽しめます。
当時のニックの若い感性と先取的な表現が組み合わさって、本当に他では見られない魅力があります。
イギリスのロックポップミュージックはとてもいいアーティストがいましたがニックの存在感は今振り返っても独特です。ポジションもニックならではで、熱狂を感じながら聴けるライブ盤などもおススメです。

Oさんへの感謝


このエントリーを書くためにyoutubeを久しぶりに漁った。ニックカーショウは80年代に絶大な人気を誇り大ヒット作を連発していた。
2000年代以降はプロデュース業などが中心だった為か、アーティスト個人としては目立った活動歴が見つけづらい。
(本国では、さまざまなアーティストのプロジェクトにサポートメンバーとしても関わっている)

近年になってリマスター盤がリリースされたりロック、フュージョンという独創性のあるスタイルやテクニックが再発見されている。
久しぶりにまとめて聞いて溢れるアイデアとニックカーショウ以外では演奏する人が思いつけない、ぐらいの独自のスタイルに驚く事が多かった。



そもそもの80年代にニックを聴くようになったのは当時の親友Oさんがニックのファンだったから。

彼女は転校生ではっきり言うタイプ。
少し強い時もあったから、生意気だと男子の標的にもなった。

それでも言い返す芯の強さがあって、数学が得意だった。 
色白で優しげな外見だったのに、とてもしっかりしていて自分とは違った。


自分は国語の成績が良かったから変人扱いされて、その後やり取りをするようになり、自宅に遊びに来るくらい仲良くするようになった。冒頭で書いたテレビ神奈川の音楽番組が見れると知ってからは頻繁に自分の家に遊びに来てくれるようになった。

彼女はニッスイ(武蔵小杉)の社宅に家族と住んでいた。
(※当時は武蔵小杉の駅の周辺には日石の社宅もあり、そこから同じ学区の小学校中学校に通う子弟が多かった。自分は遠慮して数回しか行った記憶がない)
学校が終わると、さっき別れたばかりなのに私服に着替えて颯爽と自転車でやってくる。


学校では英語の曲の歌詞の翻訳をする宿題が出た。英語の担当教師はビートルズ推しだったけど、MVを見て好きなミュージシャンの英語の歌詞を聞き取って訳をつけるという事をやる事になった。番組をカセットテープに録音してそれを頼りにOさんは英語の歌詞を訳していた。

その後、数学が得意で秀才のOさんは公立高校(県立だったかも)に進学した。
自分はほぼ 国語の成績だけで推薦ルートというイージーさに全振りして試験無し進学(渋谷の教育学園)した。

一緒に同じ高校に行こうよと言われた時、受かると思うから一緒に勉強しよと言われた時に考え直していたら、高校生になっても勉強会と称して音楽番組を見ながらあれこれ言って楽しんでいたのかもしれない。

何かしらの試験勉強(受験勉強)をしていたら、女子高生ライターもしていなかったと思うし、そこからさらに違う事もしていなかったし。作家もどきにもならず。また違った景色を見ていたのかもしれないとまで思う事すらある。

(子供の頃から祖母のオリンパスペンというハーフサイズのカメラで写真は撮っていたからそれだけは揺るぎなくやっていたかなぁ)


スポイルされて育っていたので、高校から先をあんまり深く考えていなかった。
付属校もあったし専門学校に行くのでも構わなかった。
こだわりはなくて、楽しく消費していられれば良かった。将来についての不安も特になかった。
何をしようとも、できるとも思っていなかった中学生の終わり。
Oさんは進路を考えたり自発的に自分の好きなミュージシャンの歌詞を読もうとしたり、日常も勉強も熱心でとても眩しかった。


はっきり決められないまま、Oさんも諦めたのか進路は分かれてしまい。
公立の進学校に進んだOさんに会う機会はなくなってしまった。
もちろんこちらも高校生になるとライブに出かけたり、勉強が難しくなったり、違った楽しさや交流がありどんどん疎遠になってしまった。
またいつでも会えると思い込んでいた節がある。

たまたま自分がニック・カーショウのライブ配信の記事を見つけて、Oさんに電話をしたか手紙を彼女の家に出して知らせたらしい。
後日、手紙とともに彼女が作ったカセットテープが送られてきた。

ライブを知らせてくれたお礼と共に期末試験の最中で集中できないような事が書かれていた。

あなたは聴かないかもしれないけど、カセットテープを送る、と。

曲名リストはこんな感じ。


当時のニック・カーショーのステージで演奏される楽曲で煌びやかなフレーズやメロディーと共に軽く陰鬱なところもある。熱狂的で不思議な曲が並ぶ。


それを改めて聞き直した。
(その為に音源を探したけれど動画も公式が出しているし、22年にアルバムが再発になったおかげで探しやすかった)


とても良い曲揃いで改めて、当時の自分は何をどう聴いていたのか考えさせられ、色々な意味で再発見があった。


カセットテープがOさんから贈られてきてから何十年も経過している。

切手は貼られていない。当時の少女漫画雑誌の付録のようなファンシーな封筒と丸い便箋。

自分の家(実家)の住所とOさんの名前は几帳面な字で書かれており、その字体すらとても懐かしい。
通学する途中か、何かのついでにか自転車で立ち寄ってポストに投函してくれたのではあるまいかと思う。
(テスト期間だったからか、何か遠慮があったのかこっそり帰ってしまったようで残念)


令和になって、家(実家)の中の触っていなかった色々を探しながら片付けていた時にずっと大事にしていた箱から発掘した。

懐かしいのと、当時、最高に良い友人だったOさんに途中、何度か会いたかった事。彼女と話したかった事を思い出した。

高校選び間違った?という何回目かのモヤモヤと共に、ニック・カーショーへの終わらない礼賛を喋り続けていたOさんのトーク、茶々を入れていた時のことも思い出した。

音楽は変わらなくて、当時は理解できていなかった良さがなんとなく沁みるようになって。
彼女が送ってくれたカセットテープの曲の良さもようやく分かるようになった。
熱狂的に語っていた意味がようやく理解出来たように思う。


ちょっと遅かったようで気がついたら知っていた人がだいぶいなくなってしまった。ニッスイの社宅などは武蔵小杉の開発でとうの昔にない。高校から先はみんなそれぞれで普通はあまり交流する事も少ない(と思う)。

この記事は彼女には届かないかもしれない。
(その後どうしているのか知る由がないから。本人が知らせてくれないのに探し回るのはあまりいい感じがしないし抵抗があるのと、探し当ててくれる確率はとても低い)

恐らくは届かないだろうけれど。
見つけてもらえるかもしれない半分の確率にかけて。
こんなに、ダラダラと読む人が呆れるくらいにニックの活動歴や思い出しての曲の感想をまとめてみた。

直接に伝えることが出来ないのがとても残念で。他に方法が思いつかなかった。
当時は、理解できていなかった音楽の良さを感じさせるきっかけをくれてありがとう、と記録に残したくて書いた。

そして当時、少しだけライティングの仕事を始めていて、生意気で自意識過剰で仕方なかったと思われる自分はカセットテープを送ってくれたお礼を伝えそびれているだろうと反省もして。
実際には分からないが自分の感想を聴きたかったのかもしれない。

Oさんはこの事自体を忘れているかもしれないが悔いが残る。
だから思い出して感謝の気持ちを残すことにした。


Oさん、ありがとう。
どこに住んでいるかも分からないけれど自分の家はまだ同じ場所にあって時々は帰っている。
一緒におしゃべりトマトを見たリビングは改装していてもそんなに変わっていない。


きっとこれからもニック・カーショウを聴く時は思い出す。
『あなたはニック・カーショウを聴かないだろうけれど』と添えながら、無駄だと思わないで行動してくれて。
それから何十年も経過したけれど心を入れ替えて聴いてみた。

近年はニック・カーショーのアルバムが再発されていたり、2014年にはBillboard Live Tour(来日公演)もあったからOさんは行っていたかもしれない。
いつか新曲の感想を聞かせて欲しい。どんどんリリースされているし、きっとずっと聴いているでしょう?
だって、そういう人だったでしょう?

教えてくれてありがとう。

see you again too,

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