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日記への憧れを捨ててメモを取るObsidian DailyNote

日記に憧れを抱き、何度も挑戦したものの、三日坊主で終わってしまう体験は多くの人に共通するでしょう。私もまた、その一人でした。しかし、日記を書き続けるという行為そのものより、「毎日を丁寧に振り返る人間性」に憧れていたのかもしれません。

日記を続けることの難しさ

日記を書くには、特別な時間を設けて、その日の出来事を客観的に記録する必要があります。しかし、SNSのように気ままに投稿するのとは異なり、書くこと自体に義務感を感じてしまうため、継続が難しいのです。星新一のショートショートに出てくる「日記を書くロボット」に憧れるのも、手間なく記録ができるからかもしれません。

日記を書くロボットに見る「記録」の捉え方

星新一のショートショートには、「日記を書くロボット」が登場します。このロボットは、持ち主の1日の行動をすべて記録し、毎晩自動で「日記」を書きます。しかし、ロボットが書くのは、あくまでもその日の出来事を淡々と記録した「観察日記」に過ぎません。そこには本人の感情も、考えもありません。持ち主は「自分で日記を書く手間を惜しむのが恥ずかしい」と感じ、そのロボットの存在を秘密にしています。

この話が示唆するのは、日記を書くという行為は単なる出来事の記録ではなく、「自分自身と向き合う」プロセスに意味があるということです。もし単に記録するだけで良ければ、現代であればAIのVideo2Text機能を用いて、1日の出来事をテキスト化することも可能でしょう。しかし、私たちが日記に求めているのは、そうした「記録」ではなく、「自分の内面を整理し、記録に向き合う時間」なのかもしれません。ただそのある意味の自己分析の時間を毎日コンスタントに取るというのは動機づけとして弱く、続けることは容易ではありません。

日記ではなく「Daily Note」という発想

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