英語で話すべき内容が湯水のように湧いてくる方法
こんにちは!
「話せる英語を身につけるブログ」のmioです。
21歳で英語を本格的に始めるまで100%日本語環境で育ち、今では帰国子女に間違えられるくらいに英語が話せるようになりました。
今の英語はこんな感じです。
さて、これまで英文法に焦点を当てることが多かった私のnoteですが、この記事では「内容」について語って行きます。
話すための「内容」を生み出す方法です。
というのも、皆さん英語力そのものもさることながら、英語で「何を話せばいいかわからない」と言うことを深刻に悩んでいるからです。
「英語を話す以前に、そもそも何を話せば良いかわからない」
実はこれは日本人が感じる典型的な壁の一つで、私の生徒さんもここでつまずいている人はかなり多いです。
何人かそういう生徒さんがいた、ではなく、半数以上の人に見られる傾向です。
もちろん、過去の私もそうでした。
頑張って会話についていこうとしても、自分は質問に対して一言返すのが精一杯。
私より圧倒的に相手の話している時間が長い。
当時は、私の英語力が足りないことが原因だと思っていました。
しかしよくよく考えてみると、
日本語でも何と言っていいのかわからないのでは…?
と後から気付くことが一度や二度ではなかったのです。
そもそも「何を話せば良いかわからない」と言う状態では、いくら英語力を磨いたところで話せるわけがありません。
このことを指摘されると、
「自分の意見がないみたいで情けない」
「大人として恥ずかしい」
そう思って自分を責める人もいるでしょう。
しかし実はこれは、個人の責任ではありません。
これは、「文化の違い」のせいです。
それにも関わらず、
自分が未熟なせいだ。
自分に知性が足りないのだ。
自分の性格が内気だからだ。
と、自分自身の問題だと履き違えてしまっている人が大勢います。
しかしそれは大きな間違いで、かつ英語学習における障害になります。
このようなネガティブな気持ちを英語に持ってしまうと、それが邪魔をして問題を冷静に直視できなくなってしまうからです。
自分のコンプレックスは出来れば見たくないのが人間ですからね。
しかし先ほど述べた通り、これは個人の能力や性格とは分けて考えるべき。
その正体を正確に理解し、正しい解決策に沿って練習することが必要です。
つまり、解決策はある。
それを練習すれば、ある程度は「誰でも」英語で話す内容を思いつくことは出来るようになります。
まずはその文化の違いの正体について、正しく学んでいきましょう。
ローコンテクスト vs ハイコンテクスト
この記事を書くにあたって、まずこの話をしなければいけません。
ローコンテクスト文化と、ハイコンテクスト文化についてです。
ちなみにこれについては、私は義務教育で教えるべきとすら思っています。
私からすれば、文法や単語の問題はある意味そこまで深刻じゃありません。
それはらは必ずどこかに答えはあるから。
しかしこの文化の違いについては日本人のほとんどは知らずに育つ上、正解がわからないまま自分の性格や能力のせいだと勘違いして苦戦している人が大勢います。
これを学校で教えてくれれば、英語に苦しむ日本人はもっと減るのに。
さて本題。
世界には、ハイコンテクスト(high context)な文化と、ローコンテクスト(low context)な文化が存在します。
コンテクスト(context)は、「文脈」と言う意味です。
ハイコンテクストとは、言葉以外の価値観(一般常識、習慣、文化など)が重要視される文化。
ローコンテクストとは、言葉そのものが重要視される文化です。
上記にある様に、日本などいつくかのアジアの国々はハイコンテクストな文化だと言われています。
これが何を意味するかと言うと、つまり日本では「一般的にこう考えられる」という暗黙の了解のようなものがほとんどの人の価値観の中にあり、言葉でいちいち理由や背景を説明しなくても、言葉以上に多くのことを相手が汲み取ってくれるのです。
例えば職場でのこんな一コマを思い浮かべてください。
この「ちょっとね…」だけで、なんとなくネガティブな感想を持っていることが伝わりませんか?
決定的な言葉を使わずとも相手は、
「そうだよね…ちょっと微妙だよね。」
と意図を汲み取ってくれる。
では次に、夫婦のこんな会話はどうですか?
いかがでしょう。
きっとこの夫婦は出かけなかったことが想像できますよね。
この一言だけで、です。
似たような経験があなたにもないですか?
そもそも日本語では多くの場合、主語が省略されます。
「私は昨日勉強した」
と言う人は誰もおらず、「昨日勉強した」とだけ言いますよね。
これは動作の主体を明らかにしないと言う事です。
それってよく考えればかなり曖昧なのですが、それが原因で意味を履き違えたり混乱を招くことはほぼありません。
それすら前後の文脈や空気感でわかってしまうのが我々日本人と、日本語の特徴。
「曖昧さ」を残すのが美徳とも言える文化なのです。
このように私たちは、全てを口にしなくてもある一部を話すだけで、もしくは声のトーンや表情に意図を込めるだけで、後は聞き手に意味を汲み取ってもらうと言うことを日常的に行なっているのです。
「そんなのどこの国でもそうなんじゃないの?」
と、思いますか?
実はそれは大きな間違いです。
日本の常識が世界でも常識であるとは限りません。
では英語圏の常識はどうなっているのでしょうか?
英語を話すアメリカやイギリスなどの国は、ローコンテクストな文化だと言われています。
つまり、言葉にしなくても意図を汲み取ってくれると言う前提は通じず、言葉にしたものしか伝わりません。
「ちょっとね…。」
と言ったところで、
「ちょっと…なに?」
と、より具体的な説明が求められる文化ということ。
また、英語ではほとんどの場合で主語が誰なのか、何なのかを明確に表します。(IやYouから文章が始まると言うことです)
「誰が、なぜ、何をした」
これらの情報をいちいち言葉で説明し、一にも二にも具体性が求められるのがローコンテクストな文化なのです。
この文化の違いによる「ズレ」は、日本人と英語話者のあらゆる会話の中で発生します。
例えば、
「なぜあなたは車を持たないのですか?」
と言う英語の質問に対して、
「電車の方が便利だからです。」
のような回答だけで終わってしまう日本人がとても多い。
しかし英語話者からすると、これでは具体性が全く欠けているのです。
「なぜ電車の方が便利なのか?」
「地域による差はあるのか?」
「あなたが思う電車・車移動のメリットデメリットは?」
など、英語話者からすると気になる事はたくさんあります。
しかし、多くの日本人はここまで話すことをしません。
英語力に自信がないのも理由の一つですが、それ以上にハイコンテクストな文化に慣れすぎていてこれらの追加情報をほぼ相手の汲み取りスキルや経験から来る共感力に頼っているからです。
「電車の方が便利だから」
と言えば相手が
「だよね、わかる」
と汲み取ってくれるものだと無意識に思っているのです。
慣れすぎているため、その先を考えると言うことすらしない。
つまり「言語化」ができません。
そのため「なぜ?」と改めて聞かれると、そう聞かれることを予想すらしていないので、
「え?!なぜ?? なぜって…。そんなこと考えたこともない…。」
と、頭が真っ白になってしまう。
しかし逆に英語話者からすると、
「電車の方が便利だから。」
とだけ言われても、「え?それだけ??」という感想を持ってしまうのです。
彼らからすると、もっと詳細な追加情報が当たり前に与えられると思って待っているので、あまりに回答が短いとびっくりして戸惑ってしまうくらいです。
外国人と話していて、自分としては質問にきちんと答えたつもりなのに相手から反応がなく沈黙が流れる…
という経験、あなたにもないですか?
これは、相手が「まだ説明が続くのだろう」と思い込み、追加説明を待っている状態であることが多いです。
だから何も言わないのです。
しかし、日本でそんな反応をされることはないため「あれ?私なんか変なこと言った?通じなかった?」と、理由がわからずに困惑。
結果、会話のリズムが崩れてどこかギクシャクし始めてしまう。
これがハイコンテクストな文化とローコンテクストな文化が交わったときに生まれる、典型的な「ズレ」です。
和をもって尊しとなす
もう一つの大きなズレは、聖徳太子による有名な言葉、「和をもって尊しとなす」に起因します。
「みんな仲良く調和できる社会こそ素晴らしい」と言うこの一文。(意訳)
要は私たち日本人は「周りとの調和を何よりも大事とする文化」をもってい
る国民性なのです。
そのため、自分の考えをガンガン主張する事に慣れていません。
考えてみてください。
個人の性格とは関係なく、一般的に日本人はあまり議論というものを好みませんよね。
自分の意見を強く主張する事はあまりしないし、特に反対意見は言いたがらない。
角が立ちそうなことは言わず、当たり障りのない発言でその場を丸く収めることが模範的な振る舞い。
それが仲のいい友達同士であっても、職場の人間関係であっても、あらゆる場面でこの特性は見られます。
「他人に迷惑をかけてはいけない」
と親から教育されて育った、と言う人も多いのではないでしょうか。
自分がどうしたいかより先に、周りのことを考えることが一般的には求められるのです。
「あなたに意見がない」のではなく、日本がそう言う社会なのです。何百年も昔から。
特に欧米諸国出身の人と比べるとその違いは顕著。
だから一個人としての意見を求められると戸惑ってしまう。
これも、いざ自分が話すターンになっても「話す内容が浮かんでこない」という現象の大きな原因の一つです。
もちろん個人差はあるし、こう言うことを教えなくても自然とできる日本人も中にはいます。
しかしこの記事が目に入って、今あなたがここまで読んでくれていると言うことは、少なからず「自分にも当てはまる」と感じる部分があるのではないでしょうか。
違いを認識し、対策する
つまり、
「自分の意見がなくて英語を話せないなんて、なんて恥ずかしいのだ」
と思うことは間違いで、正しくは
「文化の違いにより欠けているスキルを補うことで、英語でより円滑なコミュニケーションを取れるように練習する。」
これを認識することが非常に重要です。
原因がわかれば対策できます。
そしてそのスキルを習得してもらうのが、この記事の役目です。
そう、このスキルは習得可能。
「日頃からニュースを見ていないから意見が言えない」
とか
「政治や経済や歴史を知らないから意見が言えない」
とか、そんな話じゃありません。
少なくともその国際情勢や政治や経済を話せるようになる前に、もっともっ
とやるべき事があります。
「自分は日本語でも雑談が得意じゃないから」
「日本語でもおしゃべりな方じゃないから英語ならもっと無理」
と、ハナから「自分には素質がない」と諦めモードな人がいますが、日本語で出来ないからと言って「だから英語ならもっと出来なくて当然」と諦めるのは本当に勿体無い考え方です。
これはトレーニングして習得する「スキル」です。
生まれながらの性格や素質の話ではありません。
私もかつては、自分が話す番になって「シーン」となっていました。
だって、日本語でそんなに意見を求められることも主張することもほとんどなかったですから。
何か言いかけては「いや、なんか違う気がする。。」とごにょごにょし始め、気まずい沈黙が流れる。
こんなの何百回と経験してきました。
しかし今では、場合によっては相手の入る隙がないほどたくさん話すことも
あります。
話しすぎて「あ、私ばっかり話してごめん」となることもしばしば。
この様な感じ↓ (※ このcambly講師とは初対面)
改めてお話すると、私は21歳まで英語圏に住んだこともなければ英会話教室や英語塾にも通ったことがない、洋楽好きでも英語アニメ好きですらなかった、正真正銘100%日本語育ち、英語との接点は義務教育以外ほぼゼロで、極め付けは20歳の時点でTOEIC400点の実力でした。
36年の人生のうち、英語圏で過ごしたのは成人してからの1年9ヶ月のみです。
(私が英語を話せるようになった過程についてはこちらの無料記事にも詳しく書いています:成人まで日本語環境で育った私が帰国子女に間違えられるまで)
しかし、今はそれなりに会話をこなすことができます。
言うべきことが自動的に湯水のように湧いて来るのです。
方法を知っているからです。
もっとリアルな事を言うと、この様に英語でベラベラ話しているときは「おぉ〜我ながらすごい喋ってるな〜w」と、未だにどこか驚いている自分がいます。
本来はここまで喋る人間じゃないからです。むしろ無口な方です。
しかし、英語文化に合わせる方法を知っているので、英語ではそのように振る舞うことがあります。
これがその「スキル」を発揮している状態。
すると、びっくりするほどすんなりと英語文化と会話に馴染むことが出来るのです。
この様に、人生のほとんどを日本で過ごしてきた私でも「沈黙にならずに話し続ける」事は可能。
そして皆さんにも、そのスキルは習得できます。
それを私と一緒に学びませんか?
このnoteをオススメする人:
ここまでの内容に共感、納得する人
単語や文法以前に、そもそも話す内容が思いつかないと感じる事が多い人(特にお勧めします)
外国人と話すと会話が止まったり沈黙になる事が多い人
質問に答えたつもりなのに相手に「ポカン」という顔をされる事がある人
いくら単語を覚えて文法を勉強しても話せるようにならない人
スピーキングを伸ばす次の一手がわからなくなってしまった人
このnoteをオススメしない人:
ここまでの内容に共感しない人
既にかなり長い文章を一気に話せる人
今すぐ結果が欲しい人
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