外国語を学んで出会う世界
私は現在海外に暮らしています。学生として主婦として日本を含む4カ国に住み、2人の子供を育てて通算26年の海外暮らしになります。日本人として日本に生まれ日本の教育を受けたかつての私と同じように海外を目指す若い人や、将来語学や海外に興味を持つかもしれない子供を育てるお母さんの励みになるようなお話ができたらと思っています。エビデンスに乏しく感覚的な文章ですが、おばあちゃんの知恵袋的に読んでいただければ幸いです。
外国語を学びたい人へ
まず、語学はいつから始めたらいいのでしょう。内容はさておき、早ければ早いほどいいと私は思います。世の中には実際、父親と母親が別の言語を話し、両親いずれの母国でもない第3国に住み、現地の環境に即した生活をして、生まれた時から否応なく3つの言語を学ぶ子供もいますし、語学は学問ではなく生きるための道具だと考えれば、必要に迫られればいつからなど関係なく学ばなければならないものです。
それほど必要に迫られなくても、語学教育は早いほうがいいと思う理由の一つには、聞く耳を育てるということがあります。多言語を話す人と単一言語しか話さない人の違いは生まれ育った環境に因るところが大きいと、経験上そう思っているからです。
誤解しないでいただきたいのは多言語を話す人が優れていて単一言語しか話さない人が劣っていると言っているわけではありません。そのことについてはもう少し後でお話したいと思います。
聞く耳を育てるということは、脳や器官が未発達な赤ちゃんが成長する過程で言語が持つ音を獲得する手助けをするということです。子供のうちに外国語の音を聞き分ける耳をつくるのです。ピアノなどの習い事と同じかもしれません。
どのように学習するか
日本人の大部分は外国語として最初に英語を学びます。英語の学習を早くから始めるなら、耳の訓練を中心に楽しく学ぶことが大事です。学習を強制して英語嫌いになってしまっては学校での授業や受験など大いに差し障るからです。
それではどのように学習すればよいでしょう。
YouTube などで英語の動画を見たり、字幕のついたテレビや映画を見るのがいいと思います。語学の動画も豊富にありますし、スペイン語や北京語、ヒンディー語など使用人口の多い言語の動画など英語にこだわることなく見ていれば、世界中何処へ行っても困らないかもしれません。耳に覚えのある言葉は親しみやすさの度合いも変わるからです。親が面白いと思うもの選び、できれば一緒にみるのがいいでしょう。親が楽しそうにしていることに、小さい子供は興味を持つものです。
まだ海のものか山のものかはっきりしない幼いうちから本格的に英語漬けにさせるのはよく考えたほうがいいと思います。海外で他に選択肢がないならまだしも、日本に住む日本人なら地に足をつけて学ばなければならないことはいくらでもあります。高い教材を買うのも、子供が興味を持って楽しく勉強できるのかどうかよく見極めないと無駄になってしまうような気がします。語学が得意でなかったり他のことにより興味があって勉強が進まなくても、語学の勉強は楽しいものだという記憶があれば、本当に必要になった時にしっかりと集中して勉強できるのではないでしょうか。
就学後は学校の勉強を最優先に
語学を勉強する上で環境は重要です。日本でいくら英語を学んでも、アメリカやイギリスなど現地で触れる言語には到底及びません。生活に即した生きるための道具としての言語は身につくのも早いです。反対に日本に住んでいるなら、日本の学校でしか学べないことも山ほどあります。外国語を学ぶ前に日本語や日本文化をきちんと学び、自分のアイデンティティを確立しておくことはとても重要です。将来外国語を使うような人生を歩むことになった時に必ず必要になるからです。
母国語を含む言語学習はコツコツと語彙力を蓄えることがとても大切です。学校で勉強することは基礎の土台を築くこと。また普段の生活で自然に耳に入り使用する言葉は語彙力の大きな源になります。そうしてできる土台が大きく厚くしっかりしたものであればあるほど、そこに積み上が語彙の山は大きなものとなるでしょう。
幼いうちから複数の言語を学ぶということは、この土台を複数作らなければならないということです。大きな山を一つ作るのか、小さな山を複数作るのか、どちらがいいかはわかりませんが、将来的には両者の得て不得手は違ったものになり、社会生活も違うものになると想像できます。
外国語を学ぶ目的を明確に持つことは大切
外国語を流暢に話すことには誰もが憧れますが、それだけで社会的に成功できるかと言えば残念なことにそうではありません。
そういう私は日本の公立高校を卒業してから語学留学をしました。幼児の頃から何か習い事をしていたなど特別なところは何もありませんでしたから、一生懸命勉強したとて通訳者や翻訳家が関の山、労働者として現地企業に採用してもらえれば御の字です。
高校くらいから留学すると日本語は高校生レベルでストップし、留学先では学校の授業もろくに聞き取れず、新しい知識を取得するために非常に努力を要します。
また勉強もままならないのに、周りに青春を謳歌している人ばかりいる中、勉強以外のことに時間を取られることもよくあることです。
英語を始めとする外国語を学問として学びたいのか、職場で要求されるコミュニケーションスキルを得るためなのか、それとも外国で生活するための道具として学びたいのかなど語学の目的をしっかりと考え、何をどのように勉強するかなどをある程度明確にしておくと、やみくもに勉強して時間を無駄にしなくてすみます。それほど言語の学習には際限がないのです。先にも言いましたが語学は才能ではなく、とにかくコツコツと語彙力を蓄える作業です。逆にいえば、無理なく長く続けることで誰でもある程度は外国語をマスターできるのではと思います。
海外で専門分野で活躍する人はかっこいい
日本に生まれ育ち必要最低限の英語を学んだ人が海外を目指す場合、どのような道があるでしょうか。学校でしっかり勉強し母国語の大きな語彙の山を築き、さらに専門の知識や技術を修得していれば、その専門性を持って海外に行くことは可能です。そしてその専門性が必要とされれば、どの国でも受け入れてもらいやすいです。
住む国の言葉を学ぶには辞書というツールがあります。その知識にあてはまる外国語を探して覚えるだけなので効率的ともいえます。母国語の大きな山を持っていれば外国語の大きな山を築くことも可能です。反対に、母国語の山が小さいならば外国語の山も必然的に小さくなるでしょう。
言葉は最低限しか話せなくても専門知識や専門技術を持って海外で活躍している人は沢山います。研究者が外国の大学でも教鞭を執れるのはそのためです。学生にとっては授業の内容が重要であり言葉が流暢かどうかは二の次です。また、翻訳通訳はAIの仕事になりつつあり、自分で語学を勉強するよりAIを使いこなしたほうが利便性がいい場合もないとは言えません。
世界の中の日本人
日本人として日本の言語や文化を正しく伝えられる能力は、専門知識や技術を持って海外に行く立場でなくても必ず役に立ちます。例えば、あなたがもし日本に住む外国人と友達になるとしたら、あなたは日本のことを色々と教えてあげる代わりに外国の言葉や文化を教えてほしいと思いませんか。日本人が外国に住む場合、その国によほど長く住んで言葉や文化に精通し、現地の人の受け入れられているような人でさえ、日本人として日本のことを何でも教えてもらえるものだと思われやすいです。というのが今までの日本人に対する一般的なイメージです。
私が子供の頃40年くらい前は、語学を勉強して世界の架け橋なることに憧れていた人が沢山いましたが、そんな時代は遠い昔のように思えるほど、今はインターネットが普及し外国がグッと近くなりました。AIの発展で翻訳や通訳も手元のスマートフォンで間に合うようになるでしょう。国の垣根が低くなり、〇〇人というアイデンティティが個人のプロフィール程度のことになっていくように感じます。日本人である自分から日本人でもある自分、日本人の自分から日本人な自分というように自分のナショナリティを無理に背負わなくてもいいような時代になってきているのではないでしょうか。
そして今は日本のことをよく知っている外国人が沢山いますから、日本人であるということだけで特異性を持てる時代ではなく、個人の特性の中に日本人であることが含まれるというような認識でいたほうがいいでしょう。ただ余程強い個性の持ち主でない限り、日本に関する知識が豊富で程よく日本人であることは海外で頑張るための武器になることは間違いありません。
外国語は苦手という人へ
これまで外国語を学ぶことについて色々とお話してきましたが、少し逆説的なことを申し上げるなら、私は世界が身近になればなるほど日本語を深く学ぶことは大事だと思っています。むしろ日本語を極めて古典文学も勉強して、歴史や文化にも精通する生粋の日本人になりたいくらいです。外国人がどんなに努力しても侵入できない領域、精神世界に住みたい。そして私が外国語を勉強したり話したりしなくても、外国人が通訳を伴ってまたは自ら日本語を勉強して話を聞きに来てくれるくらいには日本を極めたいと、もし可能であるならそうありたいです。
どんなに長く外国に住もうと、いや長く住めば住むほど自分が日本人であることを思い知らされ日本についてもっと知りたいと思うものです。海外に住む人は、少なからずそういう自己矛盾を抱えて生きています。
最後に
ほとんどの日本人が最初に出会う外国語は英語です。英語をマスターすれば次に習う外国語のハードルはグッと下がります。英語を勉強すると同時に外国語を勉強するコツなども意識無意識に学んでいるからかもしれません。
外国語を学び会話をする楽しさを覚えたなら、目の前の視野はもっと広がるはずです。世界は広く色々な人がいて学ぶことは無限にあります。世界の様々な人々と言葉の壁を取り払い一歩踏み込んで理解し合うなら、そこには根本的にはみんな同じものを持っている人間なんだということに気がつくでしょう。心の扉を開けてわかり合える人間が日本以外にも、世界のどこかにいるとしたら、それはとてもロマンチックなことだと思いませんか。