誰かを応援するということ

 FC東京を応援している時にも感じたことだけれど、私にとって誰かを応援するというのは、一緒に一喜一憂するということなのだろうと思う。私一人で生み出せる日常の起伏などたかが知れていて、だからこそ別の誰かと一緒に喜びたいし、憂いたいのだ。
 私はFC東京に常勝など求めてはいない(まあそうなればいいね、という願望はあるけど)。勝てるときもあれば負けるときもある、それも酷い負けを繰り返す時期だってある。それでもチケット代返せ、とは思わない。チケット代はあくまで一喜一憂する権利であり、勝利が約束されているわけではないのだ。
 私のこの姿勢はスポーツだけでなく、クリエイターさんを応援するときもたぶん同じなのだと思う。応援する作家さんには活躍して欲しい、素晴らしい作品を発表して欲しい、もちろんそういう思いはあるけれど、それはそれとして、私はあなたと一緒に一喜一憂したい。そこに投資するのだ。

 今月、私の応援しているとある作家さんが商業誌デビューをする。私はその道がどれほど険しいものなのかはわからないけれど、少なくとも容易ではないことだけはわかる。様々な道の中からあえてその険しい道を選んだあなたの判断を称えたい。その道を、あなたはスイスイと軽やかに進むかもしれない。不吉な予想ではあるがこの先別の壁にぶち当たるかもしれない。妙な言い方ではあるかもしれないが私にとってそれはどちらでも構わないのだ。
 私はあなたに投資している(全然まったく大した額ではないが)。それはあなたが何の憂いもなく成功するのを眺めるためではなく、なにか直截的な特典を求めているわけでもない。あなたが泣いて、あなたが笑うとき、私も一緒に泣いて、一緒に笑いたいのだ。もちろん泣き笑いだって構わない。
 だからあなたは無理に笑う必要はない。泣いたっていい。怒ったっていい。その時に私も一緒に泣かせてほしい、怒らせてほしい。そして一緒に笑わせてほしい。

 それが私があなたに望むことです。

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