風車村ドミヌラとは何か
考える金仮面卿のワンポイント考察です
今回は、とっても可憐な風車村、ドミヌラを解剖します
まず場所ですが、アルター高原の一番奥
この下は崖の高台なので、王都の近く、一番安全な場所に隠されている
とはいえ日陰城のような日陰でもない、見晴らしの良い場所に置かれている
そんな印象を受けます
村のぱっと見のイメージ
初見で立ち入ったときのイメージとしては
・ゾンビの老婆がなぜかくるくる回って歌い踊っている
・老婆が刃物を持っておそってくる
・皮を剥がさないでくれと懇願する幻影がいる
・風車がたくさんある
・花がたくさん咲いている
・高台になぜか神肌の使徒がいる
・意味不明すぎて怖いんだけど
そこから導かれる謎
①この老婆たちは誰なのか、なぜ老婆しかいないのか
②なぜこの老婆たちはゾンビのように血に塗れながら踊っているのか
③テキストを読むと「祝祭」というものをしているらしいが、「祝祭」とは何なのか
④なぜ神肌がいるのか。命令されているのか
⑤ドミヌラという村の誕生から今までの経緯
こういったものがまるきりの謎として、皆さんに残っているのではないでしょうか
では一つづつ考察していきます
①この老婆たちは誰なのか、なぜ老婆しかいないのか
キャラメイクの稀人顔のテキスト
DLCにより、異界とは長年ヴェールで隠されていた「影の地」であったことが判明しています
影の地の巫子村、マリカの出身地であるそこが稀人の出身地と考えるべきです。マリカの出身地の詳細についてはこちらもご参照ください→
マリカ(稀人)は永遠の都出身ではない理由
キャラメイクの稀人顔はどう作っても老婆顔になることから、次のように妄想してます
かつて神マリカが影の地で誕生して、ゴッドフレイと成婚し現在のローデイルに引っ越すとき
・巫子村で老婆だった者……ドミヌラで隠居させる
・巫子村で若かった者……黒き刃の刺客として引き抜く
このようにして、巫子(稀人)を全員影の地から救って引き上げてきました
このうち、若い黒き刃の個体は隠密のため隠され、一般の市民は見たことがなかった
民衆が見たことある稀人はドミヌラに棲んでいる個体だけだったため、稀人=老婆・長寿というイメージになりました
そう考えると、ドミヌラがアルターの安全で見晴らしも日当たりも良い一等地に隠されている理由も理解できます
なお、現在のドミヌラはある一つの理由であのような形になっているのではなく、長い時代、たくさんの要因を経てああなっていると考えられます
つまり
A. 影の地坩堝時代の巫子村の文化風習
B. アルター北に移住してきたとき、マリカ王権下の状態
C. ラダゴンの時代の扱い
D. 破砕戦争後
といった環境や時代の変化の中で、現在の惨状……可憐な状態になっていると考えます
昨日今日できたのでなく、風習と共に影の地時代からいた老婆を連れてきた、という経緯からそう考えるのですね
ではさらに詳しく見ていきましょう
②なぜこの老婆たちはゾンビのように血に塗れながら踊っているのか
これらのテキストを見ると、穢れた皮、つまり罪人なのでしょうか、そんな人間や、大きすぎる頭蓋骨、というから亜人や獣人などでしょうか、そんな生き物を殺して皮を剥ぎ、骨や肉や脂に解体し、最終的には「祝祭脂」なるアイテムを製作するための祭りだと考えられます
そしてドミヌラ自体風車があり、小麦を引いているだろうこと、村の風車牧場などの名前があることから、牧畜と耕作をしている村であるとわかります。ゆえに祝祭も、本来はしょっちゅう開催されているわけではなく、謝肉祭のような、収穫の豊穣を祝ったり祈ったりする季節の祭りだと解されます
それで祝祭脂については武器に塗るとルーンが得られる効果を持つという
祈りと実利も兼ねて、殺し皮を剥ぎ、血まみれになっている、ということですね
③テキストを読むと「祝祭」というものをしているらしいが、「祝祭」とは何なのか
そのような、季節の祭りのようなものが、そもそもなぜ始まり、しかも人を殺す儀式になっていったのでしょうか
これについては手がかりがあります
古い習俗とあるので、マリカがアルターに連れてくる前、坩堝の時代の影の地巫子村時代からあった、ということですね
そしてそれは残酷な儀式なのですが、黄金樹、つまりマリカ王政は黙認していた、とテキストにはあります
祝祭はそれだけ、マリカにとってポジティブな、あるいは、やむを得ない事情があったと考えられます
マリカにとって祝祭とはなんだったのでしょうか
そこで、マリカと巫子村は、かつてどのようなものだったかを考えます
マリカが神として誕生する前は、巫子村は悲惨な状況で、ボニ村やモースの都市からやってくる人買い・人攫いたちが巫子を拐って、壺に詰め込む陰惨な事業をしていました
そうのうちにマリカが神となり、現在影樹と呼ばれる黄金樹を立て、現在の影の城の原型となる教区や露台、拝樹教会などを建てて、人攫いが容易に巫子村に近づけないようにルートを絶ったのですね
それは影の地のアクセス、「影を仰ぐ露台」にいくルートが隠されていることから分かります
そのように、神になりたてのマリカが布教や勢力拡大に勤しんでいる時代、それでもまだ巫子村に人攫いや人買いが潜入することがあったと思うのです。時代の過渡期ですから、古い因習はそうなくならない。彼らのような背徳者たちの儲け話でもありましたから
そういう事情があった一方で
坩堝の時代、つまりファルム・アズラの時代は異種族の交流が盛んで、今より寛容な時代だったと考えます
ノクステラの文明とエルデの文明も分け隔てなく技術交流をしていた
坩堝というのは、そういう生命だけでなく文化もごっちゃの時代でしたから
ゆえに、巫子村にもノクスの神肌やノクスの夜人などが派遣され、共に技術交流や文化交流をしていたと考えられます
ノクスは基本的に霊術を用いた魔術がその発祥ですけれども、夜巫女やノクス僧などはその体裁が神に仕える祈祷系の巫子です
それは、巫子村で交流したノクスの夜人が、祈祷の文化を取り入れて誕生したのが夜巫女やノクス僧である、と私は考えています
同様に巫子もノクスから学びます。例えば、巫子は弱くて、ゆえに角人から蹂躙された悔しい過去があります。そこで神肌を招いて、神殺しの刃の刃捌きの術を学ぶのですね。それが発展したのが、黒き刃の刺客たち暗殺術だと私は考えるのです
エルデもノクスも対立していたばかりではなく、少なくともファルム時代の前半は仲がよかった時期もあるのでしょう
祝祭、祝祭脂も、このようなノクスとエルデの交流のための祭りと名物だった、と
④なぜ神肌がいるのか。命令されているのか
このような交流の祭りだったから、本来神肌は稀人を支配するものではなく、言うなれば、祭りの共催者で、かつ祭りに招かれた客人で、講師的な関係だったと考えられます
この年乙女の青マントには、神肌の紋章が縫われています
この祭りが巫子と神肌との共催であることが伺えます
さて、前述した巫子たちのこれまでの不遇な境遇から、さらに当時まだ絶えない人攫いたちの侵入があったのでは、といいました
そのことと、祝祭を考え合わせるに
祝祭の誕生は、このような人買いの輩が侵入してきたものを捕らえていたのを、神肌の協力で始末し、捌き、祝祭脂を作ってルーンを山分けし、巫子村の慈善活動などの資金にしていた、といった事情があったのかと考えられます
つまり、祝祭は、憎きモースやボニの角人たちへの復讐、そしてのちに黒き刃の刺客の原型となる暗殺術の確立、そして稀人のルーンの収穫(奪われたものを奪い返す)などの、様々なアグレッシブな意義があったのではないか、と考えています
そのような復讐のために、神肌の協力を仰いだ、と。もちろん壺漬け事業では神肌も切り刻まれて漬けられた被害者です(だからその禁忌はマリカに移りメスメルへと引き継がれたのです)。モースやボニの悪人相手に、神肌にとってもまたとない復讐の機会です。しかもルーンと皮膚が手に入りますから。楽しい祭りだったと考えられます
そのような祝祭が、影の地からアルターに持ち込まれ、罪人相手にひっそりと続けられた、ということになります
マリカの心情としては、これは止めないでしょう
本来角人への復讐と、黒き刃の訓練、暗殺術習得の機会というマリカにとってもポジティブな意味があった祭りですから
もちろん今は、暗殺術の技術体系が確立して、祭りによらずとも、黒き刃の別働部隊によって伝えられています
また、角人への復讐、人買いの殺処分という名分もアルターの地では消えました
ゆえに祝祭を残しておく必要性は乏しくなったとはいえます
ただ、自分の故郷の先輩老婆たち、苦労をした彼女たちが、いつも笑顔でいきいきと踊って歌ってエクササイズしている
マリカとしてはそれだけで、まあ微笑ましいことでしょう。だから禁止するでもなく、ひっそりとそれを黙認していたのではないでしょうか
⑤ドミヌラという村の誕生から今までの経緯
さて、これまで見たところから、かなりドミヌラの意味、経緯が絞られてきました
A. 影の地坩堝時代の巫子村の文化風習
・巫子村に侵入してきた人買いなどを殺処分し、暗殺術を会得する
・季節の収穫を祝う
・ノクスとの技術交流を祝う
・地元の友好的なエルデの信者との交流、布教
・村の活動資金を稼ぐ
そういった、お祭り、無礼講の意味があった
・神マリカが誕生して、壺の悲劇が減ったお祝いもあったのでしょう
B. アルター北に移住してきたとき、マリカ王権下の状態
・アルター引越し後は、若い巫子は黒き刃として隠されたので、老婆の稀人だけが村に棲んだ
・単なる踊りとして季節ごとに行われ、殺生も罪人や動物に限られる節度あるものだった
・皆おさげをマリカと同じように片側だけ切っている。神マリカを祝福する意味もある
・マリカは彼女らの慣習を止める気持ちにはならなかった
・先輩おばあちゃんのエクササイズ、お小遣い稼ぎと思って見逃していた
・おそらく神肌は冒涜の蛇と繋がるので、この頃は風車村にはいなかった、または常駐していなかったと思われます
C. ラダゴンの時代の扱い
・このような根拠の曖昧な儀式は、黄金律原理主義からは望ましくない
・が、閉鎖的な風習で人目につかないため、排除すべき事項としての優先順位は低かったでしょう
・また、祝祭脂はルーンを稼ぐ。王政資金の一部になるので、むしろ作らせ接収した方が利益になる
・そういった意味でやはりお目溢しされていたと考えられます
D. 破砕戦争後
・エルデンリングが破砕され、ただ淀んだ永遠の命があるだけで、健全さがどんどん失われていった
・皮を剥ぐ等は衛生的によくないので、稀人老婆たちの健康状態や精神状態が悪化してゆく
・また、本来の神肌も常駐するようになる。皮膚と脂を手にいれるため、季節の祭りはやがて常態化した
・老婆は自分の腕を噛んで毒の血を吐くなど、カニバリズムも横行している印象を受ける
・節度あった可憐な祭りは、節操のない残虐な殺戮になってゆく
それが破砕戦争後、崩壊した狭間の地の現在、私たちが見るドミヌラの状態です
以上、今回も妄想多め、辻褄重視の考察で、ドミヌラ、そして祝祭という謎の風習のはじまりと変遷を考察してみました
いきなり現在のような形であれば、おそらくマリカは止めたでしょう
おばあちゃんたちの健康にも精神衛生にもよくありません
しかし、過去はそうではなく、また別の積極的意義もあった
それが破砕戦争などを経てぐしゃぐしゃに変質して、今のようになってしまった
神肌などは、カオス耐性が高いですから
特に悪気もなく、血湧き肉躍る祭りが常に盛り上がってて楽しかったと思います
今日はそんなドミヌラを解剖してみました
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