【よむ議事録04】オープンミーティングvol.3 moimoi&安堵

※こちらの記事は、筆者であるmvchomaya(マヤ)個人の視点からのイベントの振り返りとなっています。

※イベント全体の様子はこちらの記事をご参照ください。
【アーカイブ】オープンミーティングvol.3 「ちょっときいてよ!私の子育てモヤモヤ」


〈プロローグ〉

気づき

新たな試み→ルール作ってみた!

どんなルールでも良いし、無しならないでも良い。

ただ、ここで一緒に対話を  意識を共有し、どんな対話の場にしたいか、どんな場が話やすいか、いわば「対話の理想」に思いを馳せてももらうことが、とても大切な気がしている。

尽きないモヤモヤ、需要を感じたよ!!!


この度のテーマ、子育てモヤモヤ。

一括りに「子育て」と言っても、環境や抱えている悩みは様々。でも、だからこそ膝を付き合わせ語る意味があると感じた。

そして、子育てのモヤモヤって、ごく個人的な小言や感傷からきているように見えて、実は寧ろめちゃくちゃ社会的だったり、普遍的テーマを孕んでいるのではなかろうか。

パッと思いつくだけでも、生きづらさや孤独感、パートナー・家族との価値観の違い、相手とのコミュニケーションの齟齬、生活環境や時代性などと相関関係にある。また、その事例は千差万別、且つ、正解は一つではない。日々の営みにありながら、一人一人の生涯、いや、世代を超えて連綿と繋がり、地域や社会、文化と深く紐図づいている。
そう考えると子育てしている「当事者」とは、子育て中の親(保護者)のみが該当者なのだろうか!?

一方で、もし自分が「子育て」に携わっていなかったら、、、この度の語らいをどのように受け止めていただろう?もし、自分が子育てを終えた立場だったらどんな言葉を選んだだろう?
そんなことも考えさせられる機会となりました。

結論→正直わからない、でも手応え感じる


子育ての数だけモヤモヤあり、絶えずあり続ける。
生まれいずるモヤモヤに共感あり、蘇りあり。

この語らいにどんな意味があるのか?

果たして「子育てのモヤモヤを共有しあうこと」にどれだけのメリット・デメリットがあるのか、誰の何の為になるのか、今後どんな活動に繋がっていくのか、その「必要性」を正直、今はまだ言語化できないでいる。

でも、なぜか必要な気がしている。

繰り返しになるけれど、みんな違う、だからこそ語らう意味があるのかもしれない。いろんな立場や世代間で。


▼これまでのアーカイブ記事▼


【お知らせ】オープンミーティングvol.2 数田祐一さんと語らう『哲学・思想Café』 の構想

【よむ議事録03】オープンミーティングvol.02 ざわつく金曜日

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【アーカイブ】オープンミーティングvol.1 「哲学対話、出会いのきっかけは?」

*オープンミーティングについて*



参加者同士で、哲学や対話に関する素朴な疑問について共に考えたり、語らいたいテーマについて掬い上げながら「対話のカタチ」を模索していきます。いわば「対話」の為の「対話」。ミーティングで出たテーマやアイデアは今後の実践に活かしていきます。

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