カラオケ日記
諸君。おれはカラオケが好きだ。カラオケが大好きだ。どうしてか?知ったことか。生まれたときから好きなんだから仕方ない。この世に生を受けたおれの第一声は「パパ」でも「ママ」でも「天上天下唯我独尊」でもない。「カラオケ行きてえ」だ。先輩と、友人と、後輩と、あるいは知らない人と、カラオケに行くことほど楽しいことはない。ところでさいきんのアーチストは皆異様に高い声で歌うな。おれはさいきんの若者だから御多分に洩れずさいきんのアーチストの曲ばかり聴いているのだが、いざカラオケに行ってみるとまったく歌えない。がんばって声を出そうとすればするほど声は掠れ、裏返り、ついには喉が腫れ上がって血の味がして、ますます歌えなくなっていく。絶対音感とかいうのを持っているわけでもないため、キーを下げれば音程が行方不明になる。つまり、おれの低い地声ではいちオクターブ下げでないと歌えない曲ばかりなのだ。しかしそんなことは些細な問題だった。それでカラオケが嫌になったことは一度もない。雨の日も風の日もおれはカラオケに行き続けた。己の分をわきまえず喉から絹を裂くような声を出し続けた。その結果、このままでは裂かれると思ったらしく、喉のほうが諦めた。ようやくおれの喉はそこそこ高い音の出し方を覚えたらしかった。そういうわけでおれはさいきんのアーチストの曲をわずかながら歌えるようになった。誰とカラオケに行ってもまともな人間のふりをすることができるようになったのだ。おれはカラオケがますます好きになった。そして今、おれはきびしく「複数人でカラオケに行くな」と言い渡されている。カラオケにいったら感染するからだという。あのにっくきウイルスに。おれは他人とカラオケに行くことを禁じられ、ひとりでカラオケに行った。小さな部屋で声をはりあげて歌った。せいいっぱい歌った。歌い終わって、お辞儀をした。涙がでてきた。おれは楽しみを奪われたのだ。よろよろと歩いて帰った。おれはひらめいた。「酒をのもう」友人と酒を飲む至福の時間、ああ、それはおれがカラオケと優劣つけがたいほどに好きな時間なのだ。酒を飲んでこの悲しみを忘れてしまおう。ところで今、おれはきびしく「複数人で酒を飲むな」と言い渡されている。複数人で酒を飲むと感染するからだという。あのにっくきウイルスに。おれは他人と酒を飲むことを禁じられ、ひとりで酒を飲んだ。散らかった部屋でグラスにウイスキーをなみなみとそそいだ。持っているボトルをすべて引っ張り出して飲みくらべをしてみた。飲み終わった。頭ががんがんした。おれは楽しみを奪われ、よろよろと立ち上がってトイレで胃の中のものを吐き散らかした。あのウイルスは熟練のスリ師のようにおれの楽しみを奪い去っていく。おれよりも苦しんでいる人はたくさんいる。カラオケに行けなくても死ぬわけじゃない。他人と酒を飲まなくても死ぬわけじゃない。今この瞬間もがんばっている人がいる。ああ、ああ、そんなことは知っている。言われずともわかっている。しかしそれは、おれの悲しみを否定する材料になりえない。おれは文句を言っているわけではない。ただ、悲しみのただなかにいるだけだ。そして願うだけだ。この世界中あちこちひっくり返った大騒動の、少しでも早い終わりを。好きなだけ人とカラオケに行って、好きなだけ人と酒が飲める世界を。だけどその世界が訪れたとき、おれが一緒にカラオケに行きたかったやつらは、一緒に酒を飲みたかったやつらは、きっと、会いたくても会えないくらい遠いところにいるんだろうなあ。