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成就した結婚についての語るに値しないご報告、ならびに丁寧な暮らしへのささやかな意気込み

 
 平素より格別のご愛顧を賜り、厚く感謝申し上げます。

 さて、これまで独身貴族の生活をのびのびと謳歌しておりましたが、とうとう身分を剥奪される運びとなりましたことをご報告させていただきます。
 今後は平民として、苦難と給与と狭い居住空間を分かち合い、身を寄せ合ってつつましく生きてゆく所存です。

 さて、なぜこの不安定な時代にわざわざ結婚などというリスキーな行為に踏み切ったのか?
 遡って考えてみると、そもそもの事の発端は飲み会でマッチングアプリの利用を唆されたことでした。
 これまでの公教育で口を酸っぱくして言われ続けてきた「インターネットの人と会ってはいけない」はどうやらもう過去のことらしいのです。今はインターネットで相手を探す時代。出会い系サイトより安全だよ。皆やってるよ。一回だけだから。とりあえず登録だけしよう。スマホ貸して。登録したから顔認証して。はいOK。
 そんな甘い言葉に惑わされた翌朝。多量のアルコールで痛む頭を抱えながらスマホの画面を見ると、半年分の利用料金の請求が届いていました。いきなり半年は多くないか?
 こうして、半ば流されるようにではありますが、皆のすなるマッチングアプリなるものを自分も始めることになったのでした。

 かねてより己の人間性や甲斐性にいささかの割れ・欠け・水漏れを自覚していた私は、アプリの自己紹介文の冒頭に「綴じ蓋を探しています」と書き、謙虚さを猛然とアピールすることにしました。
 しかしいささか謙虚すぎたのか、待てど暮らせど誰からも「あなたのような割れ鍋を待っていました」という便りは訪れません。仕方なく自分から綴じ蓋を探しに行くことにしました。
(※相手をツギハギのボロ蓋扱いするのは大変失礼なのではないか、というところまでは考えが及んでおりませんでした)
 どのような紆余曲折を経たり経なかったりして交際に至ったのかは省略させていただきますが、このたび結婚することになった方は、その失礼な自己紹介文を読んだ上で私を一目見ようと思い立ってくれた大変貴重な人材です。もう少し自分を大切にしたほうがいいと思います。

 ここで相手の方について簡単に説明させていただくと、自分より三つほど歳上で、酒癖が悪く、物好きで、とても穏やかな気質の人です。
 もう少し具体的に申し上げるならば、海岸でシーグラスを探すのが大変上手です。シーグラス、ご存知でしょうか。波と砂に洗われて表面がざりざりになったガラス片です。
 ちょっと遠出して砂浜へ行くと、大小様々な砂と小石の上を私の目がつるつる滑っていく間に、あちらこちらで綺麗なガラスのかけらをしっかり見つけ出してくれます。そうして拾い集めたシーグラスを持ち帰り、綺麗に洗って瓶に詰めては嬉しそうに戸棚に飾っているのです。

 思えば、生活のすべてをそうやってきらきらと輝かせられる人でした。
 お気に入りのカレー屋さんのこと。隣の席に座っている素敵な後輩のこと。窓の外に住んでいるヤモリのこと。私なら気にも留めずに忘れてしまうような些細なことを、ひとつずつ拾い上げては笑顔で報告してくれます。
 その幸せの解像度の高さが、一緒に過ごす日々を柔らかく照らしてくれているのだと思います。

 そんな人だからでしょうか。
 一緒に住み始めて半年ほど経った頃、スーパーで晩ごはんの食材を探していたときのことです。何が食べたいかなあと考えながら、ふとその主語が自分ではないことに気付きました。いつのまにか自分が食べたいものではなく、その人が好きなもの、食べたいと思っていそうなものを探していたのです。
 それは暮らしの中で醸成されたあたたかな気持ちが、はっきりと輪郭を持った瞬間でした。この人とならこの先ずっと一緒にいられる、一緒に生きていけると思ったのです。
 一ヶ月、二ヶ月……と共に生活していく中で、その気持ちが覆ることは一度もありませんでした。数学的帰納法に基づいて考えれば、nヶ月目(n→∞)も覆らないでしょう。この実に合理的な推論によって、わが人生にこれまで思いもよらなかった結婚という選択肢が浮上したのでした。

 割と早い段階で一緒に住み始めたのは、生活の相性を――もちろん誕生日にプレゼントされたキーケースの中に堂々と合鍵が鎮座していたことも理由のひとつですが――確かめるためでした。
 どんなに気が合う人でも、譲れないポイントというのは存在します。たとえば白ご飯にシチューをかける人とかけない人が一緒に住むと献立が初めてシチューになった日から数えて三日以内に破局するのはよく知られている通りです。他にも洗濯物の干し方、料理の味付け、トイレットペーパーのエンボスの有無、どれも大事なことです。福岡銘菓ひよ子饅頭を東京のお土産として買ってくる人は万死に値します。
 とにかく、そのような不一致は時には避けられないものですから、一緒に暮らしていく中でお互いに抱いた不満を伝え、改善していく必要があります。サービス開始前にはクローズドβテストを実施するのと同じですね。

 しかして、一年間のクローズドβテストがおこなわれたのでした。
 実に様々な改善点が見つかりました。とはいえ見つかった改善点はだいたい自分もできていないところばかりでした。たとえば以下の通りです。

 ・整理整頓すること
 ・お酒を飲みすぎないこと
 ・課金しすぎないこと
 ・夜更かししないこと

 見つかった上記の改善点が改善されたのかというと、これが少しも改善されませんでした。なぜなら特に不満ではなかったからです。自分も同じだしな~棚上げして指摘なんてできないよな〜~などと思いながらのほほんと過ごしていたのです。あちらも同じように考え、同じようにのほほんとしていたようなので、つまり二人で変わりなくのほほんとしているだけでした。
 結果として、本棚には本が、床には埃が、棚にはお酒が、籠には洗濯待ちの服が、冷蔵庫には賞味期限切れの調味料が、無限に溜まり続けました。
 幸運だったのは、どちらもそれを気にしないためストレスだけは一切溜まらないことでした。あ、あとお金も溜まりませんでした。これは割と困っています。

 そういうわけで、今後は二人で協力し、そこそこ健康でそれなりに文化的で、最低限足の踏み場のある生活を送っていけるよう取り組んでいきたいと思います。
 これまでより少しだけ丁寧な暮らしを心がけていこうと思っているんですが、具体的には何を買えばいいのでしょうか。北欧の家具とか?あとなんか、あの、瓶にいっぱい刺さった匂い棒みたいなやつとか?
 ひとまず、北欧の家具を置くためのスペースを作るところから始めようと思います。

 話があちこちに逸れてしまいましたが、そういうわけで結婚のご報告でした。
 皆様におかれましては、今後ともご指導ご鞭撻のほど何卒よろしくお願い申し上げます。


 もちろん趣味の執筆も続けていくつもりです。
 少しだけ重くなった左手の薬指も、ほら、どうやらタイピングには支障なさそうですから。


2024.05.29
奈良にて

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