恩返し
noteを書くのも久しぶりである。
母親がTwitterを始めたので、昔書いて放置していたこの文章を載せてしまおうと思う。母親のTwitterとこの投稿に何の関係があるのか?
それはまあ、読めばすぐにわかる。
大学生になってから、本格的に小説を書き始めた。
大学一年生の頃は「小説家になろう」というWebサイトで作品を投稿していたが、やがて「カクヨム」という新しい小説投稿サイトが誕生した。使ってみて、シンプルで見やすいサイトデザインや機能が気に入った(小説家になろうは古くからあるサイトなのでデザインが少し野暮ったい)ので、メインのプラットフォームをカクヨムに移すことにした。それからずっと、そこに作品を投稿している。
そして、それらすべてが、母親に見られている。
というか読まれている。
このnoteはまだ見つかっていない。でもたぶん母親がTwitterでも始めようものなら速攻で見つかると思う。
(追記:これを書いてから二年後の現在、ついに母親がTwitterを始めた。もう終わりだ)
おかげでR-18小説なんかとてもじゃないけど投稿できないし、何なら小説の中にそういうシーンを入れることさえ微妙に躊躇う。プロ作家とか自分の親含めた何十万人に自分の書いたアレなシーンを読まれて平気なのか。平気なんだろうな。どういう神経してるんだ。
しかしまあ、文句を言うわけにはいかない。
父親は仕事で子供と生活時間帯が決定的にずれていたため、我が偉大なる御母堂は三人の子供を実質的に一人で育て上げたのだ。
自分の時間とか、なかっただろうなあ……と思う。
読書とミスチルが好きな親である。おれの趣味の三割ぐらいは母親から受け継いでいる。趣味にさえ時間を使えない生活というのは、想像しているよりもはるかにきついだろうと思う。
思えば夜、寝る前のわずかな時間に母親は本を読んでいた。それだけが楽しみだったのかもしれない。
そう考えたとき、別にこれでいいかなと思ったのだ。いや、面と向かって親孝行とかするのは恥ずかしいじゃん。でも母親が、おれの書いた作品を読んで楽しんでくれているのなら、本好きの母親に対する何よりの親孝行をしてることに……ならない?
なりそうじゃない?
なると思う。たぶんね。
ここまで育ててくれたおかげでこんなもの書けるようになりましたよ、って感じ。経過報告。学会発表。
だいたい、小中学時代に読んだ本の半分は母親が図書館で借りてきたやつである。自分が今まで積み重ねてきた経験も、まあそのほとんどが親にさせてもらったものである。
人が書く文章には今までの人生とか経験が嫌でも滲み出すものだとおれは思っている。つまりはおれの文章の根幹をなしているものすべて、親の助力なしには手に入れられなかったわけだ。
親がいないとそもそも生まれてないし、ね。
一人暮らしこそ始めたものの、まだまだ多大なる援助を受けている身としては、親孝行できる機会を逃してはいけないと思うわけである。
そんな感じで、母親に読まれるのは仕方ない。楽しんでくれてることを祈るばかりだ。
妹に読まれてるのも、まあいい。年が近いし、一緒に育ってきたおかげで読んできた本も似通っている。本と漫画に関して、一番趣味が合うのは妹である。あいつは定期的におれの家まで漫画を読みに来る。
でも、かかりつけの歯医者にまで作品読まれてるのはおかしくない?
いくら親と仲がいいからってそれはおかしくない?
歯医者やぞ?
しかも忙しさを理由にご無沙汰してると、怒られる。普通に怒られる。客商売とは?
そういうわけで、母親に読まれつつ今日も頑張っている。最近はあまりカクヨムのほうまで手が回っていないけれど、それでも一年に五、六個の短編を書いている。速筆が取り柄みたいなとこある。ここらへんもいつかカクヨムに載せよう。
………
ちなみにこの前、ちょっとグロテスクなシーンを書いてみたら母親から苦情がきた。
すいません。