相談はされる側じゃなくする側のスキルを高めなきゃいけない問題
こんにちは!いけかよです。
みなさんは、自分自身がしんどいとき、苦しいときってどういうふうにして乗り切っていますか?
友達や信頼できる知人に相談する?本を読む?占いに頼る?
どれも間違いではないですよね。それにより悩みが解決せずとも、少し気持ちが楽になるだけでも価値があるかもしれないし。
いけかよはどうするかというと、基本的には「相談はプロにする」と決めています。つまり、お金を払ってしっかりがっつり話をきいてもらって、解決するとこまでもっていくということです。
もちろん、仕事の愚痴だとかそういうレベルの煩わしさは友達と飲んで聞いてもらうということはありますけど、基本的にほんとに悩んでいるときはプロに依頼します。
カウンセラーさんだったり、お医者さんだったり、占い師さんだったり、セラピストさんだったり。
他にも、基本的に「自分の意思の力では無理だ」と思うことはプロに伴走してもらいます。パーソナルトレーナーとか、英語のコーチとか、ギターの先生とか。
しかし、ちょっと思うのは、これだけいろんな「お悩み相談受け付けます」的なサービスって世の中に溢れてるのに、うまく機能していない気がすること。
それって、相談を受ける側ではなく、する側にも原因があるのでは?と思ったので、ちょっとその話を書いてみようと思います。
相談するシステムが機能してない?
たとえば心理カウンセリング。日本人は、精神科だとかのメンタル疾患を「恥」と思う風潮がまだありますよね。「自分の力でなんとかせねば」という思い込みです。心療内科とかカウンセラーとかにかかることを頑なに拒否する友人も、わりといます。
もちろんそんな安いもんでもないし、気軽に行けばいいってもんでもないし、当たり外れもあるし、無理強いするものでもありませんが、このあたりに「相談する/される」がうまく機能してない原因がある気がするのです。
それのわかりやすい例が産業医とかスクールカウンセラーです。
ある程度の規模の会社だと産業医がいたりしますよね。
以前、外部パートナーとしてお世話になっていたそれなりの規模の制作会社では、スタッフの残業時間によってそれぞれに「今月多いよ!」とアラートを出したり、ストレスチェックなどを行って、その結果によって産業医との面談を促したりしていました。
しかし、そんなことをしたとて、スタッフが元気になるかといえば全然そうじゃない。
それどころか、どんどん人がやめていくという現象も起きていたりする。
かつてわたしも会社員だったときそうだったからよくわかるんですけど、そういう人って、イライラを溜め込んで愚痴を吐く飲み会やって、周りに対して絶望して攻撃的になって、病んで…っていうふうになり、辞表を出す。
辞表を出すならまだいいかもしれなくて、出さないまま、イライラを増幅させながら仕事を続けるとなると、どう考えたって心身に悪影響を及ぼしますよね。
でも、辞めちゃうっていうことにも、心身を病むっていうことにもならないために産業医っていると思うんですけど、ちゃんと産業医に相談してる人なんているんでしょうか??
少なくとも、わたしはきいたことがない。
会社の誰か偉い人が連れてきた?精神科医なんてスタッフからしたら「お前誰やねん」でしょうし、「医者から上司に症状をリークされたらめんどくさい」みたいな猜疑心もあるでしょうから、構造からして問題があると思います。
しかし、そのシステムだけに問題があるわけではなくて、やっぱり相談「する側」であるわたしたちのマインドにも、多少の変容は必要だと思うのです。
相談するのが下手なわたしたち
わたしは、他の国の人のことはよくわからないけど、国民性もすごくあると思うのでここでは「日本人は」という表現を使います。
日本人は、相談するということがすごく下手だと思うんです。
その原因は3つあると思っていて、
①人に相談することを恥だと思っている
これは先に書いた通りです。
あとの2つは
②自分が苦しんでいることに気づいていない
③自分が悩んでいることを言語化できない
この②と③について、詳しく書いていきます。
自分が苦しんでいることに気づいていない
これって、極端な例が「ブラック企業でずっと働き続ける人」とかですね。
イメージできると思います。パワハラやモラハラが横行していて、早朝から深夜まで働き詰めで、完全に体もおかしくなっているのに、やめない人(具体的な誰かやなにかを指しているわけじゃないです、念の為)。
そういう人たちって、病みすぎてもう冷静な判断ができなくなって、とにかく仕事をせねば、という思考停止に陥っている状態。明らかに苦しい状態なのに、仕事をやめるとか誰かに建設的な相談をするとかいう思考になれないわけです。
つまり、苦しんでいる自分を自覚できていない状態。
まあ、ブラック企業の場合はちょっと極端ですけど、恋愛や夫婦関係をはじめとするあらゆる人間関係でも似たようなことはあるんじゃないでしょうか。
わかりやすい暴力や暴言を吐かれたりするわけじゃなくても「なんとなくモヤモヤする」とか、「なんとなくこの人といると嫌」とか、そういうこともあると思うんですけど、真面目な日本人はそういう感覚を見ないようにする癖がついているようにも思います。
そんな心の機微にいちいち反応していたら日常生活を送れない、と思う人もいるかもしれないし、自分が「苦しんでいる」ということを認めてしまうのはある意味すごく怖いことでもあります。
たとえばそれまでどんなに尽くして手料理を振る舞っても「ありがとう」なんて言ってもらえなかった奥さんがいたとしたら、それがその人の常識です。でも、同じことをして別の人から「ありがとう」って言われたら、価値観変わると思いませんか?
「え、これってそんなに感謝されることなの…?」
そして、「え、もしかして、アタシって不幸だった……?」って気づく、みたいな。
今よりももっと自分にとって心地よい状態、場所ってあるんじゃないか。
そういう希望とも言えるものに目を向けるためには、今自分がどんな状態にあるのかを分かっていなければいけない。
そのためには、自分の心の機微をしっかりキャッチして、辛いかもしれないけど「自分は今苦しんでいる」ということを自覚することがすごく大事です。
でも、真面目で我慢強くて優しい人は、ここで「もっとしんどい人もいるんだから」とかって理屈をつけて、本当は苦しんでる自分から目をそらしちゃうんですよね。
それって美しいことのように見えるかもしれないけど、裏を返せば結局現状は何も変わらないという、むしろ怠慢なんじゃないかといけかよは思います。
だから、もしなにか満たされない思いがあるのだとしたら、自分が押さえつけている「苦しみ」があるのかもしれない。本当はもっと「こうなりたい!」と目指すものがあるのかもしれない。
自分の目指す理想とかけ離れた状態にあることを「苦しみ」というのだから。
自分が悩んでいることを言語化できない
②の「苦しんでいることに気づいていない」はクリアできて、自分の苦しみや葛藤を自覚できている場合でも、相談がうまくいかない人って、その自分の苦しみや葛藤を言語化できない、という傾向があるようにも思います。
もちろん、苦しみを言語化と言っても、ダイエットみたいに「●kgまで痩せたいんです」みたいなシンプルでわかりやすいものから、複雑な人間関係の苦しみみたいに「状況もモヤモヤして気持ちもこんがらがって自分でもどうしたいのかわからない」みたいなものまで、いろいろあると思うんです。
でも、残念だなと思うのは「とにかく困ってるんです」とか「とりあえず話きいてください」みたいな相談の仕方です。
断っておきますが、相手が本当に相談にのるプロならば「とりあえず話きいてください」でもOKだと思うんです。そこから丁寧に相手の話を紐解いて、本当に解決すべき問題はなんなのかを導き出してくれるのがプロだと思うので。
でも、そうじゃない相手の場合はちょっと考えないといけません。
自分は、何に困っていて、何を解決したくて、どういう結果を求めているのか。その結果に至るまでに、どんな助けが必要なのか。
そんなロジカルに考える余裕がないから人に相談するんやんか!!ということもあるでしょう。でも、いけかよがすごく大事だと思うのは、「自分が何に困っていてなにを解決したくてどういう結果を求めているのか」を言語化できたら、悩みの8割は解決するんじゃないかなということなんです。
往々にして、誰かに相談したいと思うレベルの悩みというのは複雑です。いろんな要素が絡み合っているから、問題の本質というものが見えてこないことも多い。
でも、それをしっかり見つめて、ぐちゃぐちゃに絡んでいる紐をほどいていくことによって、悩み相談する相手も間違わなくなるんです。
これすっごく大事なことで、相談相手を間違っちゃったら大変です。
恋愛の悩みをキャリアコンサルタントに相談したらトンチンカンな結果になりますよね。それくらいだったらいいけど、相談相手を間違うと、傷ついている心がさらにえぐられることもありますから、ほんとうに相談相手を間違っちゃいけない。人生が狂ってしまうことすらあります。
そうならないために、自分が悩んでいることを紐解く、つまり言語化するってことがすっごく大事なんです。
言語化は、ひとつの「整理」の方法です。自分の気持ちと向き合って、自分が苦しんでいることや求めていることを言語化する。周りで起きていることを詳しく言語化する必要はありません。それよりも、自分の気持ちや思考に集中する感じ。
例えば、仕事のストレスで暴飲暴食が続いて、1年で20kg太ってしまった状態に苦しんでいたとする。
もちろん、痩せたいと思うでしょう。
でも、ここでも安直に痩せたいからダイエット!とかではなくって、自分の気持ちに集中します。自分は、何に苦しんでいるのか?太っていること?食べるのがやめられないこと?意思の弱い自分?それともストレスの元凶である仕事?
そもそも、何を食べすぎてる?食べることは快感?それとも不快?食事でどうにかなる?
痩せるにしても、運動?運動は好き?嫌い?やるとしたらどんなことなら続けられる?
こんなふうにいろんな側面から考えて、自分の気持ちや思考を言語化するんです。すると、問題が整理されていって、自分が本当に目指したいことが明確になるんです。
その結果によって、ただ痩せたい!という悩みは人によって「食事をコントロールしたい」とか「運動習慣をつけたい」とか「この仕事をやめたい」とか、目指す着地点が違ってくるはずなんです。そしたら、相談するにしても相談先が違ってくるのはおわかりいただけると思います。
そして、その相談先を間違っちゃったら、時間もお金も努力も無駄にしてしまうかもしれない。本当は食事をコントロールする前に、仕事を変えることを優先したほうがすべてうまくいくかもしれないのに、というふうに。
ていうか、そこまで自分で考えて整理できたら相談することすら必要なくなってくるかもしれない。
そう考えると、相談が下手な日本人にとってはこれが一番いいのかもしれないんですよね(笑)。
正直さが鍵になる
突き詰めると、悩みとか苦しみとかから抜け出す一番の方法は「自分に正直でいる」ということなのかもしれません。「自分はこうありたい」という理想があって、そこからずれている状態のときに大小様々な苦しみが生まれるからです。
それが、すごく強い悲しみだとか苦しみだった場合は、迷わずそこから脱却する手段をとるかもしれないけど、日常的に生きてるときに感じる苦しみって、「モヤモヤ」とかちょっとした「イライラ」とかなんとなくの「憂鬱」だったりとか、ちょっとわかりにくい感覚ですよね。
こういうものって、しっかり見つめていないとキャッチできなかったりします。
キャッチできないから、ずっとその状態を解決できず、モヤモヤする日が永遠に変わらないわけです。
でも、自分の感覚をキャッチする感度を高めてくれるのが、自分自身に対する「正直さ」なのかなって思ったりするのです。
人間として、正直な人って魅力的でもあります。
でも、他者に対する正直さよりも大事なことは、自分に対する正直さ。
●●したい!とか●●がほしい!とか●●でありたい!とか。
逆に、それがあるがゆえに、自分の弱さとかずるさとか苦しみとかも真正面から受け止めて、ちょっとヘビーな思いも経験するかもしれない。でも、それって幸せになる第一歩です。
あなたはいまどんな思いでいますか?
それを認めて、言葉にできますか?
とはいえ、いけかよだってそんな偉そうなことは言えません。自分で自分の気持ちをつかみきれないことは、ままあります。そして、言語化することに限界があることも、わかっているつもり。
でも、だからこそ、今日も今日とて言葉を紡ぐのです。
では、また!
Text by いけかよ(よむエラマ編集長/エラマプロジェクトCPO)