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映画 その2 

 ノルウェーの中でも人里離れた渓谷「オルデダーレン」という場所を中心に、老夫婦の姿を映す映画『SONG OF EARTH』。この映画では、80才を超えた夫と70才の妻が、フィヨルド(氷河)の美しさと共に生活している姿を娘が撮影したドキュメンタリー映画です。
 私は氷河が雪崩れることにあまりピンときていないのだと思います。たとえ、氷河が崩れ落ち身内を失いながらも住み続ける、住処を変えるなどという思いはみじんもないようです。このフィヨルドの土地で生まれ、そしてこの地で死を迎えることがもっとも自然な姿であり、それ以外は考えられないのだとわかります。
 目でみるだけの映像は、美しい、壮大、雄大、そんな言葉でしか表現できません。ただ、その土地を“歩く”あるいは、“生活する”というのは思い描くことはとても難しいです。
 氷河が雪崩た後に木を植える父ヨルゲン。母も父に寄り添って仲睦まじい夫婦。両親のことを自然の一部分として撮っている娘のマルグリート・オリン監督のことが気になる私です。両親をこのような形で追っていくことができるなんて…。雄大かつ過酷な自然の中で育った人だからこそできるやさしさなのでしょう。
 
 そして、もうひとつの映画『フィシスの波文』。
 京都の唐紙文様をベースに、映画では、渦巻や桐の葉や笹の葉の文様、いろいろな幾何学文様が自然をモチーフとしたものとして映され、だんだんその文様が長い歴史を辿ってきたものだとわかってきます。太古の時代より、渦巻き文様は地球上のどこにもあるの何処其処ではなく、あちこちで生まれたに違いない、と根拠ない確信が湧きます。映画のパンフレットでは、人類学者の中沢新一さんが歴史について詳細を記しておらますし、映画では、ケルト文化の研究者として有名な芸術人類学者の鶴岡真弓さんが、京都の祇園祭の山鉾の前掛・胴掛・後掛などの柄や文様について、ヨーロッパや中東の文様がシルクロードを経て日本に辿り着いたことを説明しておられます。
 私の大好きなデザイナイーのミナ・ペルホネンの皆川明さんは、「心象から生まれた図象」として、「(人間の中の)心象と具体は扉が開かれていて、呼吸するように行き来しているような感覚」とおっしゃっています。そして、図象は「見る者の時代や視点や思考に対して、相対的に伝えてくれる」と表現されています。昔と過去をつなぐ文様としての図象。
 唐長十一代目という千田夫妻が伝統的な手法で唐紙を作り続け、伝える文様、洞窟壁画に刻まれたもの、アイヌの人たちの伝統的な文様など、また美術作品での幾何学文様の面白さなどが詰まった映画でした。
 伝承されたものと、どう呼応できるのか、感じ取り、考えていくことが「フィシスの波文」なのかもしれないな、と感じた映画でした。