象は静かに座っている
234分間、画面に吸い付けられてしまった。初めて観る中国映画。河北省が舞台の「象は静かに座っている」。
<あらすじ>
貧と富が溶け合うことなく、混在する社会を4時間の間ずっと感じ続ける。少年ブーは16歳。20代のヤクザっぽいチェンはいつもタバコを吸っている(映画を観ながら、咳込みそうになるほど)。その弟シュアイがブーともみ合い、運悪くシュアイは階段から落ちて死んでしまう。彼らの住む土地は廃鉱になった廃れた町。学校も廃校の予定だ。ブーは友達のリンが好き。貧しいアパートで母と暮らす思春期のリン。母は必死に働くが家の中は荒んでいる。そのやるせなさから、学校の男教師と関係を持ちながら、なんとか日々をやり過ごしている。そこに、同じ貧しいアパートで暮らす老人ジンは、同居の娘夫婦から家を追い出されそうになっている。ジンにとって、飼い犬が心の支えになっていたにも関わらず、その犬は皮肉にも金持ちの飼っている大きな犬に襲われ死ぬ。そして、ブーは「満州里に象を観に行こう」と決めリンを誘う。一緒に行かないと言ったはずのリン、そしてジン(+孫)までも、「象を見る」ために、満州里へと夜行バスに乗る。河北省から2300km離れたロシアの国境に近い内モンゴル満州里にいる「サーカス(動物園)で座り続ける象」に会いに行くために…。
さて、この映画では象の姿はない。ただ「座り続ける象を見ようとする」その理由は、虚しい救いのない日々の生活から別の世界へ抜けるため。4人は夜行バスに乗る。深夜、バスが途中下車した谷間に、突然、響き渡る象の咆哮。そこに象がいるわけではないのに…。果たして、この映画で象は何を暗喩しているのか。その事をフー・ボーが語ることはない。観る私たちが探り続けるだけ。
映画監督・脚本・編集を29歳だったフー・ボーは、公開前の2017年に自死したそうだ。監督自身が書いた原作小説「象は静かに座っている」(フー・ボー著、藤井省三訳、新潮社2019年12月号)は、雑誌「新潮」に翻訳されている。登場人物も映画よりグッとシンプルで、動物園の象の描写がある。訳者の藤井は次のように解説する。
「村上春樹の短編小説『象の消滅』は1980年末の中国で話題を呼んでおり、その系譜にも位置づけられよう」(p.320)}
象の持つ力とはいったい何なのだろう。