ライダーコント1

息子のライダーアタックに対抗すべく策を講じた結果

3歳の息子が、"仮面ライダー" を神格化したことから全ては始まった。

(写真は仮面ライダーゲイツとリュウソウジャーの夢のコラボ)


芽生え

息子がそもそも仮面ライダーにハマったのは、尊敬する近所の小学生の少年Kの影響だ。少年Kと書くと少しアレな感じが漂ってくるが、礼儀正しい、しっかりとした少年で、全くもって問題なし。

少年Kは娘と同じ空手の道場に通っているのだが、同級生の中でも頭一つ抜きん出ている感じで、娘の送り迎えにくっついていっている息子が、練習中の彼を見て憧れを抱いたのも無理はないくらいだ。

そんな彼の家族とは娘が同級生で同じクラスということもあり、家族ぐるみの付き合いがあるのだが、交流の中で子供が着れなくなった服や不要になったおもちゃをよく横流しし合っている。

そして、今回息子に横流されてきたのが、"仮面ライダー ゲイツ" 、"仮面ライダー ディケイド" 、"仮面ライダー ドライブ"、"仮面ライダー ゴースト" の人形数体と、"仮面ライダー 鎧武" の変身ベルトと各種ロックシード、"仮面ライダー エグゼイド" の変身ベルトと各種ガシャットだった。

1:18で縮小されたソフビな主人公と派手な光と音が鳴る機器は一瞬にして幼子の心を奪ったようだった。それは、三種の神器を祀るがごとくライダーグッズをおもちゃ箱に大切にしまっていたことから容易に読み取れた。機器そのものが魅力的だったのはもちろん、崇拝する少年Kがライダーグッズを使っていたという事実が息子の行動に影響したのは間違いない。

『なんと微笑ましい光景なんだ』

3歳は色んなことができ始めて、感情のままに行動できる年だ。そんな行動は、ガチガチに固められた息苦しい社会を生き抜く大人の心をいつもほっこりさせてくれる。


布教活動

私は子供の成長を噛み締め、息子はライダーをリアルに噛み締めて~ので平和な時が流れた。

そのような中、息子に変化が訪れた。息子は溢れんばかりのライダー愛を一人で抱え切れなくなったのだろうか、息子の家族へのライダーアタック(布教活動)が開始されたのだ。

まず、アマゾンプライムで過去の作品を手当たり次第見せられ、ライダー大百科を一緒に読まされ、おままごとと戦いが融合した謎のシチュエーションの人形遊びに付き合わされ、そして、息子がベルトを装着して自らがライダーになりきっている時に敵役をさせられるといった感じである。

仮面ライダーと向き合っている時の息子はガチだ。

例えば、各ライダーの特徴について息子が熱く語っている時に、話半分で聞いていると顔を真っ赤にして怒られるし、敵役として対峙している時のライダーパンチは大人でも普通に痛いレベルだ。

通常、息子の熱い語りとライダーパンチのループは息子の体力が尽きるまで行われるが、大抵はエナジードリンクを飲んだかのごとくブーストされた底なしの体力となっており、こちら側から強制終了を掛けない限り無限ループに陥ってしまうこと必至である。

また、受けた攻撃に対してこちらが反撃する際にも注意が必要だ。下手に打ち負かすと金切り声を上げて泣いてしまうので、接戦を繰り広げた後にこちらが負けるというCSを最大限に高める流れにしなければならないのだ。


葛藤

というわけで、息子のライダーアタックを真面に食らうと疲労感が半端ないので、私はどちらもwin-winの関係になるような策を講じた。そして、楽しませながらも息子の体力をしっかりと削り、自らは疲れないという3方良しの策、"公園の遊具に相手をしてもらう" という策を自分稟議に掛け、無事決済が下りた。

無限の体力を誇る遊具は息子の打って付けの相手だ。息子がいくら底なしの体力と言っても、所詮は人の子である。無限の体力を誇る遊具には決して勝つことができないはずだ。遊び終わった後にはすっかりライダーアタックの勢いもなくなっていることだろう。

ということで私は、「付いてきたら、うまい棒あげる」といった安い連れ去り犯が使いそうな甘い言葉でまんまと息子を外へと連れ出し、公園へと向かった。道中、うまい棒の持ち合わせがないことに対して突っ込まれないよう、話題を仮面ライダーの話一択でゴリ押しし、何とか気を紛らすことに成功した。

しかしながら、私は1つ重大なミスを犯してしまっていた。公園も気を抜けない場所であるということを目先の疲労から逃れたいばっかりにすっかり頭から抜け落ちてしまっていたのだ。公園にはブランコ、砂場、滑り台、石の動植物の置物があるのだが、ブランコと動植物の置物が特に危険だということを・・・。

例えば、幼児用のブランコは前準備として、座ると腰までスッポリと覆うようなボックスに息子を抱えながらはめ込むという作業が必要だ。正直、バタつかせる足をボックスの底部に空いた2つの穴に狙いを定めてはめ込むというのは、なかなか骨が折れる作業なのだ。

また、遊んでいる最中にもアシストが必要だ。自分でブランコを漕ぐことができない息子の背中を押してやる必要があるのだが、SNSのタイムラインのごとく押し込み強さのリクエストが激しく切り替わっていくため、決して気を抜くことができない。

そして、一番厄介なのは遊び終わった後である。単純にはめる作業の逆をやるだけと一瞬思えてしまうが、重力に逆らって息子を抱きかかえながら穴から足を引き抜くという作業は、子供の足をバタつかせないという前提で成立するものであり、少なくとも "うまい棒" に頼っている男にとっては、"ひのきの棒" で洞窟の最深部を目指すレベルと同じような感じだ。

100歩譲ってブランコはよしとしよう。しかし、動植物の置物だけはダメだ。なぜなら私は、過去に爆弾を背負っていた時期があったからだ。かつて息子と相撲を取っていた時に、上手投げを狙って息子の腰回りのズボンを引き上げた瞬間に腰が逝ってしまったのだ。回復まで2週間、激痛が走るといった理由から、常にオードリーの春日みたいな妙に姿勢のいい状態にしておかなければいけなかった悲しい過去を今でも思い出す。

置物の遊び方は単純だ。置物の上に乗るというだけである。しかし、置物の高さは1m程度あり、幼児が決して自力で登れる高さではない。そうなると、聖☆お父さんの登場である。もちろん、降りる時は言うまでもない。

置物が単体だったら、まだ救いがあった。置物はウマ、ラマ、キノコの謎の組み合わせ3個体である。3本の矢、三枚のお札、三位一体、3つ揃ったら1セットで考えるのが世の常、息子は1つで満足するはずもなかろう。つまり、1つでも置物に乗ってしまったら最後、乗り降りの3コンボ確定である。

『せっかくだから息子を楽しませてやりたい。しかし、いつサイレントボマーによって私の腰に爆弾がセットされるかわからない。どうしたもんか・・・』

といった葛藤が一瞬頭に過ったものの、私の体は正直だった。

私の足は息子をブランコと置物軍団から引き離すように公園内を迂回し、滑り台へと息子を導いていった。春日に恨みはない、しかし、もう一度春日に成り切る自信はないのだ。

そして、いざ息子が滑り台で遊び始めると私は、自分の力で登れたことを褒めたたえ、上手に滑れたことを褒めたたえるといった形で、滑り台に関わる息子の一挙手一投足を全力で称賛することで息子の気がブランコと置物広場へと向かないようにすると共に、息子への後ろめたさを打ち消した。

因みに、この全力で褒めるという行為は息子にとって気持ち良かったことらしい。

息子は滑る度にテンションを高めていき、最終的には褒めることなしに自分の滑りを自慢げに見せてくるようになったのだ。ここまでくれば、後は息子のAuto機能が彼自身を無限ループへと誘ってくれるだろう。

私はホッと一息ついて、公園の木製ベンチへと腰掛けた。私の予想通り、息子は飽きることなく滑り台を暫く滑り続け、夕刻を知らすチャイムを迎えることとなった。途中一度、ブランコの方に行きそうになったが、砂場にいい土が入荷したというとっておき情報を流すことで、何とか引き止めることに成功した。


再生

息子をしっかり疲れさせ、家に着いたのは17時半前だった。その頃、妻は夕飯の支度中であり、そんな妻に向かって、息子は公園の滑り台での武勇伝について語り始めた。

「怖くなかった、何回も滑れたぁ~」

そして、次第にテンションが高まってくる息子。

『そ、そんなパワーが一体どこから湧き出てくるんだい・・・』

そんな息子を支度中の妻が当然相手にできるわけでもなく、再生されたパワーを私へとぶつけてくる。

『公園行く前より、元気になっとるやないか~い』

私は息子のライダーアタックを受けながら、先を見越した作戦を立てれなかった自分を悔いた。そして、疲れさせるという意味では褒め過ぎるのもいけないということを学んだ。

でもやっぱり、『息子が元気なことが一番じゃないか』と結果に対して解釈を捻じ曲げることで納得し、いつもの生活へと戻っていった。

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