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9割の強がり。1割の弱さ。

三人兄弟の末っ子の私は、二人の兄の勉強ができないが故の母親の苦悩を目の当たりにしたせいで、自分だけは母親を心配させてはいけないという意識から中学、高校とそれなりに成績はよかった。共働きで、買い出しや食事の支度を任されることも多かったから、小さい頃から、“しっかりした子”とよく言われた。そんなふうに言われて育ったもんだから、しっかり者でいるために何をするにもちゃんとやらなきゃという意識が働く。実際いい加減な仕事や雑な仕事をする人を見るとイライラするし、自分だけはそうなるまいと思ってやってる。
ある程度のことは自分で出来てしまうし、解決しようと努力する。人に頼るということをあまりしてこなかった。これからもそういう自分は続くと思う。

でも、10年以上勤めた会社をしょーもない理由で辞めてわかったことがある。
一人でなんでもできる。誰の助けもいらねーと言ってられたのは自分が組織に属していて、自分から発信せずとも誰かが支えてくれていたからで、どこにも属さない自分はすごく弱くて、つまり私は全然強くなかった。それがわかって心底落ち込んで、おかげで鬱になったけど、厄介なことにそれでも誰かに助けを求めるという行動が素直にできなかった。

生き方の理想として、漠然と “かっこよくありたい” というのがある。弱さを見せることが、カッコワルイとかではなく、弱さを見せる対象をあまり増やしたくない。というのが本音。
自分と、自分が好きな人くらいでいい。
弱さを見せてそれが受け入れられた時、その人は私の中で初めて特別な存在になる。そうなると人が変わったように大胆になれる。

頼る。
甘える。
弱音吐く。
が、何のためらいもなく素直にできる。

40歳を目前にして、もうそういう相手を日常の生活から見つけたり、出会うことは難しいだろうと思っていた。正直もう、一生ひとりということも覚悟していた。
それでもかまわないと思いながら、そういうのも結局は強がりなんだな。と思うようになる。歳をとれば人との付き合いは自然と減るし、連絡を取り合う回数も減る。孤独を嘆いて病んでしまう前に彼に出会えてよかったし、失わないように大事にしたいと思う。