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私事のはなし。

39年間生きてきて、人に語れるような面白い話はない。だから、彼と一緒のときは私は完全に聞き役になってる。
彼がする面白い話や、それを楽しそうに話す姿が今の私の精神安定剤みたいなものだ。

noteを始めたのは、彼と過ごしていて忘れたくない出来事を記録しておきたかったからなんだけど、今回は少しだけ私自身の事を書く。彼が自分の為にも書いて欲しいと言ったので書く。

四年程前に大手アパレルの仕事を辞めた。理由は自分のしょーもないプライドが、続けるという選択肢を作ることさえも邪魔したから。24歳で入社して三年周期で自分の行く末を何度も何度も自問自答して、結局は居心地のいい組織の中にいることしか出来なかった11年間。

好きなことを仕事にしたはずだった。大人達が言う、「…とは言えまだまだ学歴社会」という言葉を真に受けて短大に行った後に3年間ほぼ無遅刻無欠席で服飾の専門学校に通った。毎日朝5時に起きて学校へ行き一番いい席で授業を受けていた。見たことがないものを創り出すことがファッションの評価軸だった時代に真面目に地道に課題をこなすだけの学生生活だったけど、充実していた。

最初に大きな会社に入って、いろんなものから守られて生温く社会人生活をスタートさせてしまったおかげで、刺激も苦労も無く毎日が過ぎるだけだった。

「しなくてもいい苦労なんかしない方がいいに決まってる。」

そう言ってくれた人もいたけど、やっぱりなにか物足りない生活だった。
27歳で実家を出て一人で暮らす自由さと不自由さがやっと分かった頃に、台湾のインディーズバンドにハマって追っかけをしたことから、私の中の何かが変わった気がする。小さなライブハウスで観る個性の塊や熱量の高さにいつも興奮していた。日本でツアーをやれば全ての会場に行ったし、台湾でのツアーも観に行って、メンバーと顔見知りになる程だった。この頃が私の本当の青春といってもいい。アンダーグラウンドな世界を知ったことで、つまらない仕事もやり過ごせたし、好きなバンドが増えて、ステージの上で何かに反発するみたいに音を出す同年代のたくさんの人たちの姿がとてもキラキラして見えて、羨ましくて、楽しくて、ライブハウスに行くたびに救われたような気持ちになった。
一方で、本当に好きなことにただ真っ直ぐに向き合って、好きなことをする為に必要な選択をしているだけという生き方を見せつけられているようで、生温い自分の生活を変えたいとも思っていた。
違う何か新しいことをやってみたい。本当に好きなことは何なのかを探したい。
漠然とそんな事を考えるだけで、何かを始める事からも逃げ続けていたし、自分から会社を辞める理由を作る勇気さえもなかったときに会社から異動を命じられて、それに反発した。引き留められたし、いろんな人にいろんな事を言われたけど、ずっと辞める理由を探していた私には〝辞める〟という選択肢しかなかった。

辞めた後のことを何も決めずに半ば勢いで辞めたから、その後の2年くらいはいろんな意味でつらかった。でも、世の中にとても素直にやりたい事をちゃんと選んでやり続けるという生き方をしている自分と同年代の人間が、こんなにたくさんいるんだと気づかせてくれたインディーズのバンドマン達や、ライブハウスという場所に私が30代で出会えたことにはやっぱり意味があった。
あの空間に詰まっている根拠のない希望や、キラキラした永遠の青春みたいなものを体感したから、今も自分の居場所は他にあると思える。そして巡り巡って彼に出会えた。
台湾のバンドを追いかけて、アンダーグラウンドな音楽に私が30代で出会っていなかったら、彼と出逢うことも出来なかった。好きなことに真っ直ぐで、やりたいことに迷いがない彼にいつも励まされる。憧れの存在だし、尊敬できる人で…。この人と一緒に居れば今までした事がない経験も出来るし、見たことのないものをたくさん見せてくれる。彼と知り合わなければ出逢う事がなかったであろう人達にも出逢えた。そうやって実際にもうたくさんの経験ができている。彼のやりたい事が私のやりたい事になり始めている気がして、未来のことを不安に思う瞬間が減った気がする。それはとてもいい傾向だし、幸せな事だと思う。過去に私が選んできたことが彼との出逢いに繋がっているなら、今は自分を少し褒めてあげたい。そしてなによりも彼に感謝したい。彼のこれまでの人生のひとつひとつの選択が今の彼に繋がっているなら、その全てが無駄ではなく、今のこの楽しい瞬間のために必要な選択だったんだと思えるような時間を一緒に作りたいと思う。

笑。自分の話も最後には彼の話になった。。。