ピンチこそチャンス!今だからそう思える原体験が人間力の”軸”になったという話。【前編】
私の原体験のお話は前回かいてきましたが、圧倒的な劣等感というのは考えようにはなりますが、よく言うと圧倒的な自己防衛本能とも言えるなと思う訳です(。-`ω-)
私の幼少期の原体験はコチラをご覧ください_( _´ω`)_ペショ
「自分には何も出来ない」という過小評価が、跳ね返ると圧倒的な成長意欲(生存本能)に変わると実感できた出来事がありました。
それが「リーマンショック」だったのです(/ω\)
一部の方は馴染みがないかと思うので、ここでリーマンショックとは結局何が起こったの?という事を最初に説明しますね(; ・`д・´)
リーマンショックとは?
2008年9月、アメリカの有力投資銀行であるリーマンブラザーズが破綻し、それを契機として広がった世界的な株価下落、金融不安(危機)、同時不況を総称する。同社は低所得者向け住宅ローン(サブプライムローン)を証券化し販売したが、住宅バブルの崩壊とともに、結局は負債総額約6000億ドル(約64兆円)という空前の破たんを招いた。リーマンブラザーズ社の破たんは連鎖的に大手金融機関の経営危機を招き、金融危機を加速化させるに至った。
日本では株価の暴落、受注の激減、山の様な在庫、プロジェクトの打ち切りなど、台風のように強烈な景気後退に見舞われました。
上記が超簡単なリーマンショックの説明です(=゚ω゚)ノ
リーマン破綻から2週間で経済の血液と言えるマネーが凍結し、世界中の中央銀行による大量資金供給という輸血だけでは立ち直れない心肺停止の一歩手前のような状況となり、間一髪で救われていたことに気付いていなかった人は、ある意味幸せだったのだと思います( ゚Д゚)
ちょうど私はこの頃、転職をして何と2カ月目だったのです(; ・`д・´)
その当時の私は27歳と非常に若く、情報もろくに調べず動いた結果この大波に飲み込まれる事になった訳です(/ω\)
この時期、私は前職の自動車販売会社を退職し、人材派遣会社からヘッドハンティングを受けその話に乗り転職をしました(。-`ω-)
お世話になった先輩の反対を押し切り、劣等感の塊だった私はこれまで感じた事のない”求められる喜び”に酔いしれ、報酬も上がった事からその話を簡単に受け入れてしまうのでした( ゚Д゚)
2008年7月、私は4年近く私を親身に育ててくれた会社を後にし、単身地元大阪を離れ地方の人材派遣会社に身を置くことになりました。
大手自動車メーカーの製造工場や造船場などでにぎわうその町では、多くの派遣社員たちが働いており、ほとんどの方が地元でお仕事をしてくれていました(=゚ω゚)ノ
当時の私でも300名近くの派遣社員を管理しており、月の売上でも1億円を超えるという恐ろしい数字を管理していたのです(; ・`д・´)
そんな順風満帆かと思われた日々は3ヶ月ほどで終わりを告げました…
それが先に述べたリーマンショックの煽りです(/ω\)
全く構えてもいなかった私に次々に襲い掛かる非常事態!
・派遣社員の契約解除通達
・ブルーカラーの壊滅的ダメージ
・大量の雇用喪失
訳も解らぬまま会社からの対応指示で日々てんてこまい、外には職を求める人の黒山の人だかり…まさに地獄絵図でした。。
それから年が明け間もなくの2009年1月、遂にその時はきました…
”所属事業所の閉鎖”
いつもの入口に張り紙が一枚…選択肢はありませんでした。
そう、実質の倒産です( ゚Д゚)
頭で理解するよりもかなり速いスピードで私の元から次々に失われていく生活基盤の数々!
・社宅
・社用車
・給料
知識も何もなかった当時の私には成す術も能力もなく…あえなく路頭に迷う事となりました…。
財布に残された残金は何と”5,000円”、もちろん貯金などはしてませんでしたからもう大変( ゚Д゚)
済む場所なし!移動手段無し!帰る場所(実家)なし!
いや…さすがに詰みました(笑)
笑い事ではありませんがもう笑うしかありませんでした(´∀`*)ウフフ
こうして人生で初めての私の生死をかけた”転職活動”が始まるのです!
この時、まだ外は極寒の2月中旬でした(+_+)ブルブル…
私の劣等感は爆発し、人目から逃げるように単身山に逃げ込むのでした。
人生で初めての”野宿”、残高5,000円、反対を押し切って出てきた地元に戻るなんて勇気と選択肢は私にはなく(まだ羞恥心や見栄はあった)、これからどうしようかと真っ暗な山の中で、真黒な心で考えていたのでした。
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