ジュジュ →種の器←

 シイマがその日の修行を終えて宿に戻ると、サザ・ヒーウィは神妙な面持ちで言った。
「シイマ、話がある。そこに座りなさい」
 これは叱られる時の声である。やれやれ、この年になっても説教かよ。内心不満に思いつつ、シイマは大人しく食堂にある窓際のテーブルにつく。
「おまえの境遇を思えば、致し方のないことだと思うが、これだけは言っておかねばならんと思ってな……」
 サザは重々しく口を開く。
「言いたいことがあるなら、前置きはいいから、ハッキリ言ってくれ」
 椅子の背もたれに体重をかけて、シイマは強く言い放った。サザは指を組み、目を閉じる。
「シイマ、女性をじっと見るのをやめなさい」
「は?」
 シイマは思わず硬直した。
 サザは語気を強めて繰り返す。
「旅の道中、店の売り子や宿の娘、女性に会うと、じっと見ているだろう。やめなさい」
「えっ……長く牢にいたからさ、たまに庭には出してもらえたけど、女なんて遠目にしか見たことないんだよ。珍しくて……」
「それは分かっている。やめなさい」
「ああ……そうだな、失礼だよな」
「何より、相手がその気になるだろう。もし言い寄られたとき、断ることができるのか?」
「えぇ……? ううん……?」
 シイマは腕を組んで、俯き、首を傾げる。しばらく考えて、顔を上げた。
「無理かも……?」
 サザは掌で机を叩いた。
「そんな調子でどうする。自分の立場をわきまえなさい。もしうっかり手でも出したら、とんでもないことになる」
 流石にそれくらいのことは、シイマにも分かる。王の血筋にある自分が、宿場町で子孫を残したら大事である。
「大丈夫だよ。イライラしたら、踊るから」
「それで我慢できるのか」
「うん」
 シイマはこっくり頷く。サザは数秒、疑うように目を細めていたが、音もなく席を立った。
「分かっているなら、いいんだ」
 サザが食堂を出ていくと、シイマは溜息をついて、テーブルに突っ伏した。
 なんで俺が叱られなければならないのか。
 シイマは監禁されている間にも、しっかり背が伸びた。鍛えているから、体の見栄えもいい。すれ違う女がじっと見てくるから、ついついこちらも見てしまう。
 ああ、もやもやする。サザに信じてもらえないのは嫌だ。
「もっかい、踊るか」
 あれこれ思い悩むのは苦手である。シイマは踊るために外に出た。リズミカルにステップを踏みながら、街道を走り抜けて、森に向かう。
 人混みを抜ける頃、シイマは違和感に気づいた。誰かに追われている。振り返らなくても、音で分かる。相手は一人だ。
 シイマは気づかないふりをして、森へ入っていく。
 人目につかないあたりまで進むと、シイマは振り向いた。
「そこにいるんだろう。出てこい」
 風が森を吹き抜ける音。身じろぎもせず、息を潜めている気配がする。
「出てこないなら、こっちから行く」
 シイマが足を一歩踏み出すと、木の後ろからすらり、と小柄な人影が現れた。
 ゆっくりと、シイマに近づいてくる。
「……アイヴェンの次なる国王陛下、シイマ様」
 聞き慣れた言葉の響き。キテパの者だ、とシイマはすぐに気づいた。
「誰だ、おまえ」
 シイマは槍を構えて、姿勢を低くする。髪の毛の先にまで殺気が満ちる。
 キテパの者は、地面に膝をついて頭を垂れた。
「シイマ様、私はコール国王に遣わされた器にございます」
「コールの器は、俺が殺したはずだ」
「片割れの器〈キテ〉ではなく、私は種の器です」
「なんだそれ」
 槍を握る手に力を込めて、シイマは聞き返す。
 頭をさらに低くして、種の器を名乗るものは信じがたいことを言った。
「王の種を保管し、運ぶ器です。王の代わりに女を孕ませます」
「意味がわからない」
 シイマは眉を顰めた。植物の種とは違うのだ。そんなこと、できるわけがない。
 種の器は顔を上げ、真顔で説明し始めた。
「シイマ様は長年の監禁生活ゆえ、ご経験がないかと存じますので、誠に恐れながら、ご説明させて頂きますが……」
「待て。流石にそれの仕方は知っている。そこじゃない。王の代わりに孕ませるって、どんな仕組みだ」
「ええと、私が王の種を預かっておりますので……」
「どこに?」
「はあ、腹に」
「どうやって?」
「それの仕方はご存知なのでしょう?」
 シイマは槍を下ろして、顎を擦りながら、地面にあぐらをかいて座った。
「……詳しく聞きたい」
 詳細を聞き終えたシイマは、信じられない思いで、種の器……ジュジュをじろじろと観察した。
「つまり……おまえがコール国王……ココルとあれをすると、王の種が体に保管できて、おまえが女を抱くと、生まれるのは王の子ども……」
「そうです」
「キテパって、やっぱり、おかしいだろ……」
 シイマは頭を抱えて、呻き声をあげた。正座しているジュジュは、膝の上に乗せた拳に力をこめて、シイマを睨む。
「我が国を、侮辱するのですか!」
「侮辱っていうか。人間のできることを、あまりにも超越している」
「何をおっしゃるのやら。キテパの王家は、天より訪れた神の血筋にございます。一般的な民とは、違うのです」
「それは、そういう伝説だよな」
 シイマはキテパ王家の初期教育を受けているから、そういう設定であることは心得ていた。
「作り話だと思っていらっしゃるのですか……ふふっ」ジュジュは呆れたように目を細め、鼻で笑った。「キテパの王家は、本当に天から降りてきたのです」

「南歴三百十三年頃、天に光が満ち満ちて、大きな空翔ける城から、キテパ王家の先祖となる神々が降り立ちました。この土地は寒冷な山々が多く、人々は飢えと貧しさに苦しんでいましたが、神々の叡智により、山から豊かな資源を採掘し、その富によって痩せた土地に作物を育てることが可能になったのです。人々に愛され、神はこの国の王となりました。私も、傍系の一族ではありますが、キテパ王家、すなわち神々の子孫なのです」
 得意げに語るジュジュを見ながら、シイマは耳の穴に小指を突っ込んで、耳垢をほじっていた。
「つまり、キテパの王族に妙に双子が多いのも、その双子がおかしいのも、おまえが人間離れした体を持っているのも、神の血筋によるものだと」
「んんっ、いささか聞き捨てならないことを言われた気がしますが……まあ、そういうことでございます、陛下」
「その話を信じるとして、だ……」
 ふうっ! 小指についた垢を息で吹き飛ばして、シイマは言う。
「その王の種を使って、何するつもりなんだ」
 ジュジュの目つきが鋭くなる。声色が一段、低くなった。
「我が王は……、アイヴェンの王家に、神の血を入れたい、とお考えです」
 シイマは組んでいる脚の位置を変えて、頭を掻く。
「…………国王も王子も王女も殺されたから、俺しかいないんだが」
「遠縁の傍系にまだ生き残りがいらっしゃるでしょう。それに、シイマ様には妹君がいらっしゃるのでは」
「いない」
 シイマは迷いなく答えた。
 ジュジュが前のめりになる。
「調べはついておりますよ」
「知らない」
「嘘をついても、無駄です」
 ジュジュが食い下がると、シイマは立ち上がって、槍を再びジュジュへと向けた。
「あいつを巻き込むことは許さない……。こんなことなら、コールのことは、二人とも殺しておくべきだったな」
 唇をきゅ、と結んで、ジュジュはシイマの顔をまっすぐに見上げている。二回、深く息を吸ってから、ジュジュは徐に言った。
「私は……我が王のためなら、殺されても構いません。本来なら、すでに処分されていた身です。コール様は実の親より、私を大切にしてくれました。そのご恩を忘れることはありません」
 シイマが槍を握り直す。穂先が軽く音を立てた。氷のように冷たい、怒りに満ちた声で、シイマは言う。
「ならば、死ね。エリエを巻き込む輩は許さない。妹は田舎で幸せに暮らしてるんだ」
 穂先がジュジュの首に当たる。
 浅く息をしながら、ジュジュは声を振り絞った。
「キテパの血をいれることはアイヴェンの王家にも利があります。それより、エリエ様が本当に幸せに暮らしているか、今までに調べたことがおありですか?」
 急に寒気がして、シイマは数秒、言葉を失う。
「どういう意味だ」

#槍と器

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