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純粋な悪の数よりも正義感の中にある悪の数の方が多い

純粋な悪意は寧ろわかりやすく、その数は少ない、どちらかというと突発的な破壊衝動に近い。本当の悪意は正義感から育まれるし、その正義感はあらゆる悪意に繋がる。

その正義感から他者を殺すこともあるし、正義の数だけ悪意が発生する。

正義感が低いと逆に悪意の数が減る、何故ならその正しさの証明における相手の否定が無いから衝突が少ない、興味がない分そこに執着しない、ここに知能や倫理観の理解がプラスされると尚更執着しない。


戦争

これそのものは正義感から発生している、その考えが間違えていると執行したい、その悪を滅ぼしたい、宗教観での戦争が多いのもこの正義感から来ている。

その都合だったりもプラスされ、邪魔だから排除したい、都合のみなら大きな戦争になりにくいし正しさの証明と相手の否定といったものから発展しやすい、都合から正義感が生まれるという逆のパターンならある、結局その都合という意味では同じ意味。


愚者の正義感は悪意の塊

例え自身がいかなる罪を犯そうとも、そこに妙な正義感が生まれると何の倫理観も持たずに大義名分として他者を殺すことに違和感がない、それはその者の都合によって決まっている。


純粋な悪意

単純にイラついているから叩くとか、心地良いから叩くとか、どちらかというとSMのSの要素、気分の要素、突出した欲望。その環境が悪ければ勿論悪意に染まるが本質的には正義感で行わない、その心地よさから実行する、サイコパスというよりもシリアルキラー。


創作物に登場するサイコパス

シリアルキラーをサイコパスと表現しやすいし見る者も理解しやすい、実際のサイコパスはどちらかというと正義感が薄く、だからこそそこに執着しないから冷淡で算段を立てやすい。かといって感情も理解しているから演技もできるし実際に悲しむこともある、その概念は悪意もないし善意もない。

算段を立てるからこそ利害を理解する、利害があるから無駄な正義感を持ちにくいし、損得から判断する為に純粋な悪意で実行しにくい、逆にシリアルキラーは痴漢行為に及ぶ思考に似ている。

過去の殺人犯の話はほぼ快楽的で冷淡というより烈情的、実際は賢さなど皆無で突出したエネルギーのようなもので犯行をする、それがシリアルキラー。

犯罪行為のその殆どが正義感か欲望か他者との比較から来ている。

シリアルキラーは基本的に知能が高くないのが現実で多く、サイコパスはシリアルキラーではない。かといってサイコパスは誤った正義感が働く場合がないこともなく、そこでの理由は割り切りで行動することに切り替えて考える、よってやはり行動しにくい。


怒り

これは憤りと似ていて、動物含め人間が怒る理由はどうにもならないことに絶望して怒る。理を重んじている程に短気に振る舞うように見えるのはその相手側が理解していないとして怒っているから。

その怒りは突出したエネルギーになる為に、その嫉妬がどうにもならなければ怒るし、その都合がどうにもならないことに怒ることで最悪殺人や自死を選択する。

理不尽さに対処がないから一向一揆やデモ行為があったし、怒りのその沸点の元はそのどうにもならないことへの苛立ちの連続やその限界値を超えることで怒りが発生している。

猿は集団で生活することで整合性が取れているがそのリーダーから攻撃された弱い猿はその相手にどうしようもないから憤り、怒る。

その怒りはさらなる弱い個体に向けられその最下層にいる猿はどうにもならないから結局物に八つ当たりをする。


他者からしてわかりにくい要素

破壊衝動に仮定がある場合は怒り(憤り)、仮定が無い場合はシリアルキラー。その仮定から狂うこともあるし、無いのにも関わらず狂った人がいる理由がこれだ。脳障害による衝動もその仮定があり、生まれもってその脳障害だとしてもその瞬間はその衝動はないに等しく、その憤りから発生しやすい。


間違った正義感という概念はおかしい

正しい正義感はどちらかというと正義感が薄いことに起因する。正義感が強いことで悪意が発生するのだから、そこに強い正義感が仮に正しい正義感だとすると悪意が必ず発生するので矛盾になる。

動物愛が強ければ人を殺すし、愛した者に対して制裁として不倫した相手や婚約者を殺すし、その都合が働く。

こうしなさいこれをやめなさいという論者が人に対してそこに正義感が入るとその論者が殺意があるかのように説教するのがその理由。


習慣

悪意の習慣がつくと際限がない、正義感が強くその悪意が働いた時にその悪意が習慣づくこともあり、強い正義感は危うい。

普段から反社会的な活動をしているとその解決方法も反社会的な行動になるのと大差ない。


正しさ

この概念の理解はかなり難しい、悪意に見える善意もあるし、悪意が結果として良くなることもあるし、善意や正義感が悪意になることもあるし、その善意を悪意と捉えることもある。心地よさを重視しようにもその各々によって変わり、正しさに洗脳されれば多少の事案が重大な話に発展もする。

結局はその都合によって判断している。


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