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脳を歩かせてあげよう🥿

こんにちは、「えっか」です。
初めてのnote投稿をご拝読くださった方も、そうでない方も覗いてくださりありがとうございます。

今日は奇抜な題名になりましたが、実体験進行中の思いとして書き留めたいと思います。

前回の記事の通り、私は「自信がない者です」という者なんです。
どうしてそう思うのかも歳を重ねた今日、ようやく少しわかった気がします。
それは核となる部分に「自分へ問うてこなかった」ということ。

日々暮らしの中でどこかしら選択もしくは意思決定が必要になることは日常茶飯事だと思います。その時その時の選択・意思決定が必要な時に、必ず周りに誰かがいてくれた事を盾にして委ねて〜、甘えて〜の成年になっても大事に抱えていた自分が居たように思うのです。

昨今になって「何かが違う」「このまま人生を終えるのは嫌だ(デカいこと言ってます)」と違和感を感じることがありました。
その違和感を気にしてこなかった分、これはまずいと思い始めました。それから私はいまだ渦中でありますが自己理解からの自分との対話を意識することを始めたのです🌿
「自分は自分だからよくわかっている」と安易に思っていましたが、自分が自分をみようとしないと見えないものだとわかりました。なぜなら鏡や映すものがないと自分の容姿は見えてこない。自分をわかっていると言うのは、当然のように鏡に映った自分を見て自分を知った気になっていただけだろうと。
それがわかるようになれば、意識して自分をみることで自分との対話も出来る。いずれかは意識せずとも感覚で捉えて、自分が道を作っている感覚がしっかりとわかるようになるだろうと思うのです。

ここまでくるとようやく今日の題名に触れることが出来そうです。
決断する時に思うことは、「怖い、心配、出来るのか」と始めに負の壁が現れます。これに何度も屈してタイミングを逃したり、縁も逃してきたかもしれません。ただこの壁は自分がマイナス思考だからとか言うものでは一概にないと私は思います。生きてく上での本能が危険を察知しての防御体制かと。
自分が動けるのは足があるから動ける。足を動かす時は「足を動かすぞ!」と意識して動くことはない。
足は、意識したことを脳への伝達で動いてくれる。だとしたら行動にストップかける脳を歩かせようと思ったわけです。
自分に問うてみてこっちと思えばそのままを信じて歩かせてみよう。
脳に足が生えたと思って🦵
そして不安の壁はあるものだとわかった上でジャンプしてみよう。

『信じた行動に時間が経てば、きっと自信に繋がると思うのです🌈』


長い時間お付き合い下さりありがとうございました📔。

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