陰キャの反乱 中編
続き
ホコテンで広報部員として入りライブを何回かこなして行くと、「このネタはウケる」「このネタはディープすぎてまったくウケない」などと理解をしていきました。
そしてある日、、、
十勝毎日新聞の取材が!!
道新に続いて勝毎。
十勝の二大新聞社を制覇したのである。
しかし、これだけじゃ終わらず。
NHK北海道のテレビ取材がキター!!!!
勝毎の記事を見てくださってオファーをくれました。
これはまさしく確変。
人生の確変である。
さっそくテレビクルーが家に来て、
「どこで練習してるんですかー?」と聞かれたので「だいたいお風呂場ですかねー」と答えたら
お風呂場のシーン撮ってもよろしいですか?
…………
あかん。
あかんよ。
裸はあかん。ヌードシーンか。
と、「あ、いやー部屋でもめっちゃ練習してます!」
と苦し紛れに部屋へ移動。
部屋での撮影をしながら時には当時働いていた職場の撮影もやり、一週間テレビクルー付きっきりの生活をしました。
唇なくなるんじゃないかってくらいビートボックスやった。
放送後日、、
地元各所のイベントのオファーが数件。
親戚、友達から連絡きたり。
親の元にも連絡が結構きてたみたいで、
その連絡に親父が少し泣いていたのを今でも覚えてます。
少しだけ、ほんの少しだけ親孝行が出来たきがしました。
そしてイベントオファーは続き、、
難敵が、、、
地元のクラブからのオファー
クラブ、、
学生時代を謳歌せず壁が友達陰キャマンにはとてつもなく恐怖の場所でした。
「殺されるんじゃないか…」
クラブにそんなイメージを持ちつつ受けました。
オーガナイザー(イベント主催者)の方から連絡を受け、イベント開始は22:00
自分の出番は夜中の1時から2時
ねむ
眠いのだ。
自分の出番が回ってきて、いざビートボックスをすると。
自分のビートに乗ってくれる方がチラホラ。
正直、ふつうのイベントに出ると「どこから声がでてるの!?」とか「まじびっくり!」
とビックリ人間的扱いされるなか、
クラブは音楽として聴いてくれたのです。
これは嬉しかった。
この出来事で僕はクラブのイベントにもかなり出るようになりました。
ここで問題が
当時の仕事がかなり忙しくなり休みがない
緊急事態です。
そして仕事が忙しくなった僕はライブを断り、ホコテンにも参加出来なくなりました。
また
起きる→仕事→帰る→寝る
の日々が続きました。
だめじゃん!!なにやってんの!!
と当時の仕事を辞める決心をして、転職をすることにしました。
転職先は日曜日定休なのでホコテンにまた参加できることになりました。
しかし、、、
ライブオファーがなくなる
忙しい時に断り続けた結果
誰からもオファーが来なくなりました。
切ねえ。
そして、ホコテンの完全裏方に徹することを決めました。
当時はAKB48の帯広コピーグループ「OBH48」のスタッフをしたりしてました。笑
これはこれで楽しかった。
人を支える立場ってこんなに楽しいと思わなかった。
裏方にどっぷりハマっていくのであった。
続きは次回
エキロランへのきっかけについて語ります。
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