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陰キャの反乱 前編

前記事のカミングアウト。
様々な反響がありました。
前回の続きみたいな感じです。

そんなこんなで陰すぎる学生生活がおわり、普通に就職をしました。
起きる→仕事→帰る→寝る
の繰り返しの毎日、、

「面白い訳ないだろ」

と。

突然そんな言葉が脳裏に浮かび、学生時代に少しやっていたボイパを極めてみたくなりました。
当時「モバゲー」というSNSがあり、そこに「HBB(human beat box)サークル」なるものがありました。

ヒューマンビートボックスとはボイパと似ているのですが、
ボイパ=リズム隊
ヒューマンビートボックス=自分で音楽を奏でる
みたいな認識です。これはそれぞれの考え方にもよるのですが。

当時サークルには今や人気の「HIKAKIN」や、よかろうもん「Daichi」くんなどが所属していたのを覚えてます。みんな当時からズバ抜けて上手でした。

サークルのみんなの音源を聴きながら僕も部屋でコソコソ練習をし、安いスピーカーとマイクを買ってとにかくビートボックスに明け暮れてました。

ある日、親父が「オビヒロまちなか歩行者天国」というイベントの手伝いをしていて僕にこう言いました。

「お前そんな好きでやってんならステージでやればいいじゃん」

普段の僕の性格なら
「やるわけねーじゃん!」
と言うのだろうが
当時ハモネプに憧れたあの陰キャは

「出るわ」

と、決意。
そしてホコテンのステージに出ることになりました。
今でもあの時のことは覚えてます。

緊張で失敗続き

世の中甘くなかったね。
しかしやはり珍しい技ばかりなので、みんなからはチヤホヤました。
「違うんだよ…もっとできるんだよ…」
と悔しい思いでした。
しかし、このステージを見てくれたある人から声をかけられました。

北海道新聞の〇〇と申します。大変興味深いジャンルなので取材をお願いしたいのですが、、

なんてこった。
まじかよ。
そんなことがあっていいのかよ。
と。

名刺を渡され、後日北海道新聞の会社に向かい取材を受けました。
この頃から考えが少し変わりました。

この帯広という地にヒューマンビートボックスを広めたい

そのためにちゃんとしたマイクとスピーカーを買い、もっとライブがしたい。
どうしたらライブが出来るんだろうか。
閃きました。

オビヒロまちなか歩行者天国のスタッフになったら出放題じゃん

安易でした。
あまりに安易。
まさかそこから約10年スタッフやるとはこの頃の僕は知る由もなかった。

次回へ続きます。

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