「フォロワーのまま終わりたくない」と思った僕は医者を辞めて起業を選んだ
仕事に特に不満はない。毎日それなりに充実しているし楽しい。
でも、このままでいいのだろうかーー。
その思いが拭いきれない。
30歳の僕は岐路に立っていました。このまま医者を続けるのか? それとも、もっと別の可能性に懸けるのか?
これは医者としてのキャリアを歩んでいた僕が「起業」を選んだ話。
人生やキャリアに悩んでいる人の参考になればと思い、これまでのストーリーを語ってみたいと思います。
医者として充実した毎日。それでも……
慶應医学部を卒業した僕は、信濃町にある慶應病院で循環器内科医として働いていました。カテーテルを使って心臓の疾患を治すことが主な仕事です。
土日も含めて昼夜問わず動き回り、目の回るような忙しさでした。
でも、医者としての技術を日々磨きどんどん上達していくことが楽しかったし、それによって患者さんを救えることにもやりがいを感じていました。
ひとことで言えば、順風満帆。
ただ、ふとした瞬間に「このままでいいのかな?」とも思うようになりました。きっかけはフランスから帰ってきた僕のボスの存在でした。
「このまま"ボスのフォロワー"で終わるのか」
僕のボスは最新のカテーテル技術をフランスから持ちこみ、その技術が心臓の血管治療の世界をガラッと変えてしまいました。
フランスから帰ってきたボスが自分では絶対にたどりつけない世界をバッと見せてくれた。"バン"と業界のブレークスルーが起きた感覚がありました。
「うわあ、すげえなあ……」
そんな羨望の思いとともに訪れたのが「ちょっとこのままじゃいけないな」という思いだったのです。
ボスはすごい。この技術はすごい。……でも、同じところを目指していてはボスの世代が第一線を走り続けていくのをただついていくだけで終わっちゃうんじゃないか。しかもそれは、少なくとも向こう20年くらいは続くだろう。僕にはそれが永遠のように思えました。
もちろん次のブレークスルーを待つという選択肢もあります。ただ、それがいつになるのかはわかりません。新しい技術が生まれるタイミングで動くのはギャンブルに近い。そのうち「このままじゃダメだ」と強烈に思うようになりました。
夜な夜な起業本を読み始める
僕は医者の技術を極めるのではなく、起業することを考え始めました。「フォロワー」になるのではなく自分で道を切り拓こうと思ったのです。
アイデアはありました。
「食事療法を教えてくれるアプリ」です。
例えば糖尿病の人がその日の食事をスマホで撮ると、その食事のカロリーがわかるうえに糖尿病の人向けのレシピが出てくる。これまでの治療の経験から「こんなアプリがあったら便利だろうな」と思っていたんです。
とはいえ、いきなり医者を辞めるのはさすがにリスキー。
僕は仕事と並行しながら準備を進めていきました。相変わらずの忙しさでしたが、病院での勤務を終えて家に戻ったあと夜な夜な起業本を10冊くらい読み漁りました。
さらに僕は友人2人に「こんなこと考えてるんだけど手伝ってくれない?」と声をかけました。広告代理店に勤めていた小学校時代の同級生と医者の友だちです。
2人とも事業を立ち上げた経験なんてありませんでした。うまくいく保証なんてない。それでもワクワクする気持ちのほうが勝ちました。
読んでいた起業本には数々の成功のストーリーが書かれていました。斬新なアイデアとビジネスモデルで世界を塗り替えていく。そんなキラキラした話がたくさん載っていたのです。
「よーし、俺も世界を変えるぞ」と夜な夜な一人、意気込んでいました。
投資家との立食パーティー
僕は次に、投資家を探すことにしました。
「起業といえば投資家回りだよね」くらいの感覚でした。
僕は渋谷で開かれていた起業家と投資家が集まる会に参加しました。
立食パーティーみたいなところで投資家っぽい人を捕まえては事業のアイデアをプレゼンしました。「こんなアプリを作りたくて……」と話すと「なるほどね。あの人なら興味持ってくれるかも」と、さらに他の投資家のところに連れて行ってもらったり。
そんななかひとりのエンジェル投資家が興味を持ってくれて、投資してもらうかどうかというところまでいったのですが、結局投資は受けませんでした。なんとなく自己資金でできるし、上場とか売却まで想像することもできなかった。「まずは自分でやってみるか」と思ったんです。
「お前、キャリア的にはトップ5%くらいだぞ」
起業に向けて動き始めて数ヶ月。
うまくいく兆しはまだ見えませんでしたが、僕は勤務医を辞めることにしました。副業だと中途半端だし、本業との両立は時間的にも限界でした。
辞めることを伝えると、直属のボスからは「もったいない!」と猛反対されました。「同年代の中だったらお前、キャリア的には今トップ5%ぐらいだぞ。このままやっていけばいいんじゃないのか?」と。
ボスが切り開いた王道のルートは、10年くらい日本で2〜3本大きな論文を書いて、そのあとヨーロッパに留学し名をあげて帰ってくる、というものでした。「俺のコネクションを使って欧米のトップ施設に行かせてやるのに」とも言われていました。
僕もそのルートを歩むものだ、と思っていました。
でも、それだと先人たちの背中を追っかけていくだけになってしまう。もちろんものすごく学びにはなると思うのですが「フォロワーになる」という方向性自体があんまり面白くないなと思ってしまったのです。
しかもボスがフランスに行ったタイミングというのは、まさに技術革新が起きているとき。そのタイミングだったから「跳ねた」わけで、その波が落ち着いた後に同じ道を辿ってもしょうがないな、と思いました。
「やっぱり辞めさせてください」
半ば強引に病院をあとにした僕でしたが、その後の起業がこんなに大変なものになるとは夢にも思ってもいませんでした。
コーディングをちょっと勉強する
後戻りできなくなった僕は、本格的にアプリの開発を進めていきました。
もちろんアプリ開発なんてやったことはありません。いちおう僕もコーディングを勉強しました。(Pythonだったと思います。)そうやって簡単なおもちゃみたいなものは作れるようになりました。
ただ、さすがにアプリを自分で作るのは無理がある。
そこで代理店の友だちが、仕事で知り合ったエンジニアを連れてきてくれました。そのエンジニアの方に稼働してもらいつつ、あとはオフショア開発に頼りました。ベトナムにいるエンジニアとSlackでやり取りしながら開発を進めていきました。
自分で考えてもほんと世間知らずでめちゃくちゃな感じでした。それでも見よう見まねでいろいろやってるうちに、アプリはそれなりにいいモノが完成しました。
あっけなく空中分解
結果から言うと、失敗しました。
いま見ても、けっこういいモノができたと思うのですが「そこからどうマネタイズしていくか?」みたいなところがクリアできなかったのです。そこはもう経験不足。ビジネスのバックグラウンドがなさすぎた。
食事療法を教えてくれるアプリなので病院に営業すればなんとかなるだろう、と思っていました。でもそんなにうまくはいかなかったのです。
ぜんぜん買ってくれない。なんなら1円も出してくれない。
「へえ、なるほど、そういうアプリね……え、でもお金かかるの? なら別にいいかな」という感じ。それどころか、何かを売りに来たと思われただけで下に見られるような空気がありました。「そんなの誰が使うの?」みたいなことも言われました。
そうこうしているうちに完全に空中分解してしまったのです。
空中分解と言ってもチームがバラバラになったとかではなく、ふつうにお金が尽きてしまった。「このままやっててもキャッシュ回らなくなるしやめようか」と話し合ってやめました。
いま考えればいくらでもやりようはあったのですが、調達のノウハウなどもなく断念したのです。わりとポジティブな性格の僕ですが、このときばかりはけっこう落ち込みました。
ただ一方で、こんな思いもむくむくと湧いてきたんです。
「これで終わるわけにはいかないぞ」
「最初からキャッシュを生めるモデルでいこう」
次に作ったのは労務管理系のシステムでした。
アプリのときの反省もあり「最初からキャッシュが生めそうなモデルでいこう」と思いました。
ちょうど1回目の起業で知り合った投資家から「こういうものを欲しがってる企業があるから、それを作れたらある程度のキャッシュは回るんじゃない?」といった話ももらっていました。
最初に知り合ったエンジニアを通じて他のエンジニアとも知り合えました。開発はエンジニアの彼らにやってもらいつつ、僕は投資家とのやり取りだったり、キャッシュフロー、PL/BSといった経営の基礎を学んでいきました。
作った労務管理のシステムは、従業員の疾患を入力するとそのリスクを予想して適切な生命保険がわかる、というようなもの。エンジニアの技術と僕の医者としての知見も活きました。
この事業はいきなりうまくいきました。
ある程度ターゲットが絞られていたので、その企業相手に「どんな機能があると良さそうですか?」と聞いて、そのオーダーに応じて作っていったので、すんなりとお金をいただくことができた。
最近よく「作ってから売るのではなく、売れてから作るほうがいい」という話を聞きますが、このときはそれが自然にできていたのです。売り先がある程度決まってから作るからちゃんと儲かりました。
ただ結局、この事業も1年半くらいで手放してしまいました。
ある会社から「このサービスごと買い取れないか?」と言われたのです。僕としても「このサービスをさらにスケールさせよう」という思いはあまり湧いてきませんでした。僕が携わるよりもその会社がやったほうが伸びそうだな、という思いもあったのです。
またもや振り出しに戻りました。
「さて、次は何やろうかな?」
2つめのサービスの譲渡が見えた時点で「次は何やろうかな?」と考えていました。1回目にアプリ、2回目にシステム。次は「人との接点」がある店舗ビジネスをやりたいなと思いました。
「ただ、飲食って感じでもないしな、どうしようかな?」
店舗ビジネスをやるなら何がいいかなと思いながら、駅前の不動産をふらふら見ているなかで「やっぱり医者の経験もあるし、クリニックをやってみるのは面白いかもな」と思ったんです。
起業を経験したことで、ある程度ビジネスのバックグラウンドは身につけられた。そのうえで医療の世界に戻るのも面白いかな、と。
試しに知り合いがやっているクリニックや病院で少し働いてみました。
そのとき「医者として」ではなく「ビジネスの視点で」病院やクリニックを見直してみたのです。すると、いろんな課題が見えてきました。
「クリニックって、顧客にとってなんて悪い体験なんだろう!」
顧客視点で見てみたり、キャッシュフローなんかも意識しながら見てみると「これ、もっと改善できるぞ」というところが山ほど見つかったのです。
課題を洗い出すため40以上のクリニックに潜入
その後も40カ所くらいのクリニックで働いてみました。医者をパートタイムで募集しているところはけっこうあるのです。東京周辺のいろんなクリニックを転々としながら、課題を洗い出して整理していきました。
クリニックの課題ベスト3はこんな感じです。
①待ち時間が長い
課題でいちばん多かったのは、待ち時間の問題です。いわゆる「チェックイン、チェックアウト」の部分が非効率。呼ばれる前に何十分も待たされたり、診察が終わっても待たされるクリニックはまだまだ多くありました。
②情報のある場所がバラバラ
2つめは情報のある場所がバラバラ、という問題です。紙が多すぎる。パソコンはあるけれどネットワークにつながっていない。情報がローカル保存されていて、クラウド化されていない。そのため情報整理が非効率になっている場面によく遭遇しました。
③コミュニケーションがアナログ
あとは地味なところですが、ドクターと看護師、ドクターと受付や事務の人とのコミュニケーションも改善の余地がありそうだな、と思いました。チャットを入れれば一瞬で済む話なのに、まだまだ口頭でやりとりしているクリニックは多くありました。
起業してみて感じたのは「ユーザー目線」の大切さです。
これは特にアプリを作ったとき、嫌と言うほど感じたことでした。「便利だよね」くらいの需要ではお金は払ってもらえない。
翻って医療の世界は、そもそも「お客さん」という意識があまりありません。であれば、今の僕の知見をクリニックの世界に注ぎ込めば多くの人に喜んでもらえるようなクリニックができるはずだ。
何十軒ものクリニックで働きながら、それは確信に変わっていきました。
クリニックに「最高の顧客体験」を
クリニックに「最高の顧客体験」を取り入れたい。
そう決めた僕は、早速物件を探すことにしました。
昼間人口と夜間人口のバランスや駅の利用者数も見ながら、競合が少なくて、賃料が抑えられそうな物件を探しました。見つけたのが京急線の大森町駅前。ここは近くに内科はあったのですが小児科があまりなかったので、ちょうどいいだろうと思いました。
物件を借りたら内装です。コンセプトは「0歳から100歳まで」。老若男女に親しまれるような白を貴重とした内装にしました。
苦戦したのは医療事務と看護師さんの採用でした。
医療従事者の採用プラットフォームで募集するわけですが、知名度もないのでなかなか人が来ない。医療事務の方は3人確保したのですがオープン前日に突然1人辞めてしまった、なんてこともありました。
クリニックを街のインフラにしたい
こうして2019年9月2日に誕生したのが医療法人社団「エキクリ」です。
「駅前」に「クリニック」を展開して、コンビニのような街のインフラにしたいという思いから「エキクリ」と名付けました。
僕らの特徴は、顧客目線でクリニックを作り直したことにあります。
わかりやすいところで言うと土日祝も含めて週7日開いている、ということ。当たり前ですが人の体というのは365日「営業」しています。いつ体調を崩すかわからない。休日も開いていることは安心につながるだろうと考えました。
町のクリニックながら複数の専門科があることも特徴です。例えば内科にしても、心臓の専門家がいたり、肺や腎臓の専門がいたりする。専門の医師は大学病院に行かないと会えないことが多いですが、うちのクリニックには専門の医師にパートタイムで入ってもらっています。
あとはデリバリーのスムーズさです。WEBから簡単に予約ができたり、極力待ち時間を少なくする。お会計もスムーズにできるようにしています。(いずれはWEB上で支払いが済んで、会計もなくしたいと思っています。)
それは一生をかけてやっていきたいことだろうか?
少し長くなりましたが、最後にもうひとつ起業の後押しになった言葉を紹介します。
それは医療機器メーカーの人がふと漏らした「この機械はいずれどの医者がやっても同じように治療できるようになりますよ」という言葉です。
技術がどんどん向上していくと、誰がやってもそこそこうまくできるようになる。最近AIが話題ですが、それは医療の世界でも同じ。個人の技への依存は減っていき、誰もが高度でいい治療ができるようになる。
少しでも技術を上げたいと必死に腕を磨いていた僕には衝撃でした。医者になってからはずっと何かに取り憑かれたように働いていました。研修医のときに1ヶ月くらい帰れないこともありました。
僕としては自らの腕を磨きたいと思っているけれど、メーカーの人はどんな医者がやっても安全性高く高度なことができるような世界を目指している。
僕はそこで「このままカテーテルの技術を極めても仕方ないかも」と思ったんです。
目的は多くの患者さんを救うことであり、元気にすることです。僕が腕を上げても治せる人は限られる。世の中は変えられません。それよりも、どんな医者がやっても安全性高く治療できるほうがインパクトは大きいだろう。
そう思ったのです。
おそらくこのまま医者をやっていれば教授にはなれるだろう。学会で偉くなれるかもしれない。医者が集まるような会議で教育者的な立場で話せるようになれるかもしれない。
……でも、それはずっと一生かけてやりたいことじゃない。
それよりも、日本のクリニックの質や体験を底上げして多くの人を幸せにしたい。そこに人生の時間を使いたいと思ったのです。
*
「エキクリ」はその後4店舗まで増えました。
それでも、まだまだ始まったばかり。至らない部分も多くあります。
問題点は日々改善していきながら、今後も10店舗20店舗と増やしていきたい。そして、質の高い医療を提供し、町の人の健康や安心、豊かさを支えるインフラにしていきたいと思っています。
Xでも発信しておりますのでフォローしていただけるとうれしいです!