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2020年9月8日今日の一枚

NHKの「SWITCHインタビュー達人達」の番組予定をみてちょっと驚いた。

亀田誠治さんの相手として、パラ陸上長距離で伴走者をつとめる中田崇志さんがキャスティングされていたからだ。まあ、東京パラリンピックまであと1年というタイミングであるから、タイミング的にはバッチリな話題なんだけれども、選手ではなく、裏方である中田さんにスポットが当たることは、かねてより、中田さんの独特のキャラクターに注目していた身としては、いいぞ!NHK!とうれしくなった。

中田さんは変わってる。というか、相当変わった人だ。でも、本人は至ってまじめだったりするから。また面白い。はじめて中田さんを観たのは10年くらい前だろうか。北海道マラソンを観ていると、実業団選手より先行してスタートから飛び出している市民ランナーがいる。胸には「関東RC」という文字。「テレビに映りたい人」がスタートダッシュして飛び出すということはよくある。だいたいそういう人は数百メートルで吸収されてしまうものだけれども、この「関東RC」のユニフォームの人は意外ともった。たぶん、それが強烈な印象に残っていたのだろう。その数年後、こんなシーンを目撃する。

てっきり目立ちたがり屋さんだと誤解していたあのランナーが世田谷記録会の最終組で実業団や学生をぶっちぎってゴールする姿を目撃したのだ。このツイートをあげたころから、中田さんから「こんにちは」と声をかけられるようになって、いつの間にか友達になった。よくよく考えると、これが2012年6月。中田さんは、そのままロンドンパラリンピック5000mで和田伸也さんの伴走者として銅メダルを獲得する。このニュースで、あの目立ちたがり屋さんだと思っていた中田さんが、伴走者をしていることを知る。ふりかえってみると、このときの世田谷記録会はロンドンパラでのラストスパートの切り替えを試していたようなのだ。

他のパラ競技のことはさっぱり知らなけれども、中田さんを知ったことでパラ競技、とりわけパラ陸上の長距離部門だけは観るようになった。そのうち、国際試合を観たくなった。2014年。インチョンでアジア大会が行われたそこでは、大迫傑が10000mで2位にはいったことが記憶にある。ツイッターを探すと、このアジア大会へはマニアさんがひとりで現地にいってた。

アジア大会のあとには同会場を使って、アジアパラが行われる。かねてより、作家の浅生鴨さんに「ロンドンパラリンピックが如何にもりあがっているか?東京パラリンピックはチケット争奪戦になる」と聞かされていたこともあって、「じゃあ、アジアパラから二人で追いかけよう」ということになって、ふたりでインチョンへ行った。国際レースでの和田・中田ペアを観てみたかったからだ。

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会場について、とにかく迷った。チケット売り場が見つからないのだ。ぐるぐるぐるぐる競技場の周りを歩いているうちに、誰もいない通用門みたいなものを見つけて、こっそり中に入った。そしてびっくりした。

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観客など誰もいない。どうやらチケットなどない。観客もいないから無料なのだ。そんな中、フィールドでは砲丸投げがはじまった。プログラムには5000mが夕方にある。と書いてあった。そこで中田さんの走りが観れると思いきや、その日の5000mは視覚障害部門ではなく、車椅子部門であった。次の日から、インチョン中の会場をまわり、さまざまな競技を観にいった。車椅子テニスの国枝慎吾選手の試合でさえも、観客はほとんどいない。どうやら、ロンドンパラが特別であっただけで、アジアで一番大きな大会でこれなんだから、なんかもっと知ってもらう術はないものか?そういうことを考えるようになった。(すでにロンドンパラで有名になったSuperhumansテイストのCMはインチョン中で流れていたけれども)ちょっと見た目が変わるくらいじゃ人は動かないものだと実感した。

とりあえず、浅生鴨さんは「視覚障害の伴走」に興味をもったことで、「伴走者」をテーマにした小説を書くことになった。そして、その取材のため、翌年、ソウルで行われたIBSA(視覚障害)のワールドゲームを観に行くことにした。つまり世界大会だ。今度は下調べもちゃんとやったから、車椅子ではなく、和田・中田ペアが走る視覚障害の部の5000mを観ることができた。

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中田さんの伴走と他の伴走のスタイルが違うことに気づいた。多数の伴走者がアウト側と走るのに対して、中田さんはインレーンを走るのだ。

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そして、ウォッチは腕に巻くのではなく、手にもつスタイル。レースはトルコ選手との一騎打ちとなったが、スパートタイミングがずれ、和田・中田ペアは銀メダルとなった。

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このとき、中田さんは「自分がスパートのタイミングを間違えた」と反省しきりであったが、そこで視覚障害という目が見えない競技だからこそのかけひきがあることを知った。単に選手の目となり、正確なラップを刻むことだけが、伴走者ではないらしいのだ。「じゃあ。続きは駒澤公園で」。ひきつづき中田さんから話を聞くことになった。こうして中田さんと浅生鴨さんが出会い、取材を重ねていくうちにできた小説が「伴走者」だ。ついにテレビドラマにもなった。表紙のこの手も和田・中田ペアのもの。(だったはず)

たしか取材をしていた2015年に行ったOTTには和田・中田ペアに市民ランナーのPMとして参加してもらうことにした。中田さんにワイヤレスマイクをつけて「どういう指示を出して走ってるか」実際にやってもらうことにしたのだ。

小説伴走者で書かれている視覚障害マラソンの世界は中田さんが常日頃、国際試合で行っている「ルールの中でできる心理戦」を描いている。中田さんの面白いところは「ルールの範囲内でできることはなんでもする」ということだ。リオパラリンピックが終わったころ、ジョグをしながら話を聞いたのは「レースが終わって和田さんの身体が硬いことがわかった。これから4年間かけてストレッチを覚えて柔軟性を高めればストライドが伸びる!」と嬉しそうに話していたこと。(確かにいまだに和田さんは記録を伸ばしている)ヴァイパーフライを和田さんと自分の分を確保するために、ロンドン出張のたびにNIKEストアで大量に買ってくること。自分のフォームが視覚で理解できない和田さんのために、上下動の動きを数値化。ヴェイパーに最適化したフォームを数年かけて作り上げた。和田・中田ペアは圧倒的なベテラン選手でありながら、パラ世界陸上1500mで4位に入り、東京パラ内定を得る。

クリックして、写真をみてほしい。揃いのヴェイパーでゴールになだれ込む姿が写ってる。ここまで東京パラに向けてつみあげてきた、中田さんであったが、ヴェイパーがトラック競技で使えない問題はパラ陸上界にも。

今日の一枚はバーチャレ世田谷のときに撮った中田さん。バーチャレ世田谷がおさえていた前の時間が中田さんが主宰する「マラソン完走クラブ」の練習会であったのだ。世田谷大蔵運動公園のトラックではロード用のアルファーフライとトラック用のドラゴンフライの反発。そして、それに最適化したフォームを探る中田さんの姿があった。

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中田さんは本当に変わってる。本人は至って真面目なんだけど笑


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