陰謀論者にとって、世界は「白/黒」の2通りにしか見えないのかもしれない。
このことはあらゆる作品で語られている(例えば『進撃の巨人』など)
ので、特にオタクにとってはほとんど常識のようなものだと思う。
そもそも、「正義の反対は悪」、すなわち世界が「善/悪」「敵/味方」といった二元論でキレイに割り切れたのなら、人類は様々な倫理的な問題に悩み続けることはないはずだ。
それに、仮に世界が「善/悪」に分けられるとしたら、どうして自分が「善」の側にいると信じて疑わずにいられるのだろうか?
善と悪を規定する画一的な基準など、そんなものあるはずはない。
ところが、ヒトにはどうしても物事を単純化したがる本能があるからか、
どうにも世の中を「善/悪」の二元論で語りたがる人は少なくない。
そんな人々の典型的な例が、いわゆる「陰謀論者」だと思う。
「世界は『黒幕』の意思によって操られている」という単純な世界観
「いわゆる『悪の組織』や『黒幕』といった存在が世界を裏から支配している」という世界観は、古今東西様々な作品に見られる設定である。
しかし、このような世界観が現実の世界にも当てはまるかというと、そうではないはずだ。世の中のシステムは複雑で、そこまで単純に理解できるものではない。
世の中のは思ったほど「ドラマチック」ではない
ヒトには様々なバイアス・思い込みが存在するが、その中には出来事をやたらとドラマチックに解釈する「ドラマチックバイアス」のようなものがあると思う。
例えば、
「傘を忘れた日に限って雨に降られる」というよくあるジンクスもその1つだ。
冷静に考えれば、自分1人が傘を持ってきていないからといって降水確率が急に上がるなんてことは当然ありえないとわかる。
しかし、感覚的には
「傘を忘れた かつ 雨に降られなかった」経験よりも、
「傘を忘れた かつ 雨に降られた」経験の方がショッキングで印象に残りやすいから、
「傘を忘れた→雨に降られる」という誤った連想をしてしまう。
実際には前者の回数の方が多いのだろうが、後者は雨に降られて不快な思いをしたという感情の動きがあるため、記憶には前者よりも後者の方が残りやすく、実際よりもリスクを過大視してしまうというわけだ。
この「ドラマチックバイアス」に加えて、ヒトは因果関係を求めたがるので、何か悪い出来事が起きれば、その原因は何か知りたがる。
こうして、「コロナは人口削減のための人工兵器!」「あの地震は人工地震!」とか言い出す陰謀論者が生まれるのだ。
すべてが計画通りに行くとは限らない
仮に『悪の組織』のようなものが存在したなら、彼らは世界を自分たちの思い通りに支配するため、あらゆる計画を練ることだろう。
ところが、計画を実行に移したところで100%上手くいくことなどほとんどないのが現実で、計算外の事態が起こって計画が失敗することはざらにある。
むしろ、特に自然災害などはあらゆる要素が複雑に相互作用しあっている「カオス」であるからヒトがどうこうできるものではないし、世の中の現象は誰かの意志で引き起こされるものよりも”偶然”発生するものの方が多いのではないだろうか。
「複雑さ」を受け入れられない人たち
あらゆる物事が出来るだけ単純に説明できるのならば、どれほど楽だろうか。
しかし、正しさを求めようとする限り、複雑さと向き合わざるを得ないのが現実だ。
真実に至るためには、直感や想像を排して事実を整理して論理の飛躍のないように仮説を構築し、あらゆる面から仮説を検証していく、といった地道な努力が求められる。
ただ、これは頭を使うし非常にめんどくさい営みだ。
だから、知的忍耐力のない人はそのめんどくささに屈して、手軽な「答え」に飛びついてしまう。
また、特に最近は「多様性」を尊重することが求められるが、
未知の価値観を目にしたとき、理解しようとも受け入れようともせず、瞬間的に拒絶するような人も同様に「複雑さを受け入れられない人」だと思う。
世界を「白」か「黒」かの2通りで表すことなどできない。
白が70%、黒が30%の「黒寄りのグレー」かもしれないし、
「白か黒」の2色だけでは表せない、(白,黒,赤)=(40%,10%,50%)の「ピンク色」かもしれない。
何か問題にぶつかったときは、単純でわかりやすい答えに飛びつきたくなる衝動を抑えて理性の力をしっかり働かせ、慎重に粘り強くあらゆる面から仮説検証をするように心がけたいものである。
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