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多言語を話せる事は社会で価値がある?

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ひろゆきの新刊だよ!

多言語を喋る事のメリットって、「なんかAIができて通訳が自動的に出来るようになったり、google translatorとか使えば関係ないよね」っていう人もいるんですけど。

3カ国以上の言語を喋れる人って、ボケづらかったりするんですよね。
一応そういう論文もあるんですけど。

要は、生得的に得てる、例えば日本人だと日本語を喋るんですけど、生まれた時から喋ってるネイティブの言語って無意識に喋れてしまうので、言語を使う事に脳の部分を使うのってそんなに大きくないですよ。

ただ2カ国語目とか3カ国語目になると、大人になってから覚えた言語なので、ある程度どんな時でも自然に喋れてる訳じゃなくて、微妙に脳に負荷がかかって喋れてたりするんですよ。

なので結果、「脳が割と幅広い分野で使われるのでボケづらい」っていうのがあったりするんですよね。

あと、割と人って年取ると頑固になりがちじゃないですか?
頑固になって新しい情報を得づらくなるとか、新しいモノを拒絶するとかっていう、性格の変化っていうのが歳取るにつれてなりやすいんですけど。

2カ国語以上の言語を喋ってる人って、頑固になりづらいんですよ。
で、これも年を取ってから新しい事を覚えざるを得なかった人って、要は、「自分が出来ない」、要は、普通に彼らの思い通り喋るという事も出来ないし、普通に生活していても新しい単語とかを知ったり覚えたりっていうのがあるので。

それを覚えないと、「まぁまぁ生活もキツいよね」ってなるので、「新しく自分の目の前に出たモノを覚えなければいけない」っていう修正が結構最後まで残るんですよ。

じゃあ、「2カ国目を喋れるようになりました。50歳です」っていっても、なんか聞いた事ない単語言われたら、「えっ?それ何?」というのであるとか、辞書調べたりとかで、「知らないモノは調べなければいけない」っていう考え方になるんですけど。

「50歳日本人です。ずっと日本で育ってました」って時に、知らない単語、例えばTik Tokとか言われても、「別に聞いた事ねーし、別になんかITとかなんかだろ?別にいいよ。俺いらねーし、そんなの」とかっていうので。

「そんなモノを知らなくても、俺は今まで生きて来れたし、今後も必要無い」みたいな切り捨てをしちゃったりするんですよ。

因みに僕もウマ娘をインストールしてないくらい、新しいモノに興味が無かったりするんですけど。
とはいえ、そうなりがちなので。

なので、「言語を覚える事」っていうのは、翻訳が出来るとかっていう外国人と話せるって言うことじゃなくて、実は本人の脳の使い方に大きな影響があるというのも考えておいた方がいいんじゃないかなと思います。