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全員に全く同じ順序で教える時の学校の状態は・・・(「脱学校の社会」イヴァン・イリッチ著)

最近は、古い書物も紐解いています。その中には、現代にも当てはまる内容のものもあります。特に、課題として指摘されている部分は、確かに今、そうなっていると思うことがよくあります。

学校は最悪の状態にあるときには、学級の仲間全員を同じ部屋に集め、数学、公民、および字などを、個人差を無視して全員に全く同じ順序で教えるのである。学校が最良の状態にあるときは、個々の生徒は、いくつかの限られたコースの中から一つのコースを選択することが許される。 しかしとにかく学校では、教師の目標を中心に、同年齢者の集団が形成されるのである。それに対して望ましい教育制度の下では、一人一人の活動が特殊化され、その活動のためにそれぞれが仲間を捜すというようなものになろう。

「脱学校の社会」イヴァン・イリッチ著 P.168

上記の引用の中で、「全員に全く同じ順序で教える」とあるのは一斉講義型の授業がイメージされ、これは最悪の状態だと述べられています。また、「一つのコースを選択することが許される。」「一人一人の活動が特殊化され、その活動のためにそれぞれが仲間を探す」とあるのは最近話題の自由進度学習がイメージされ、これは最良の状態だと述べられています。
これは、今の教育界の状況と重なる部分があるように思います。

では、この書籍はいつ書かれたのか。
答えは、1977年です。
今から、46年前です。
この頃から、このような指摘があったにも関わらず、抜本的な改善はしないまま現在に至っていると考えられると思います。
では、この著者は、対策として何を提言しているのでしょうか。

生徒に教育内容を効果的に「注入する」ための新しい学校形態を模索している現在の傾向は、むしろその逆のものを模索するように逆転させられなければならない。つまり個々人にとって人生の各瞬間を、学習し、知識技能・経験をわかち合い、世話し合う瞬間に変える可能性を高めるような教育の「ネットワーク」をこそ求めるべきなのである。

著者の文章を理解してかみ砕くことは、まだ私にはうまくできていませんが、「ネットワーク」というつながりを大事にしていることは分かります。
子供同士もそうでしょうし、教員同士もそうでしょう。そして、指導主事同士もそうだと思います。
インターネットがある現在では、時間的・空間的な障壁がなくなりつつありますので、これを使えばイヴァン・イリッチの提言に近いことが実現できる可能性はあるでしょう。そして、人生の各瞬間をより良いものにしていくことで、一人一人が幸せを感じるウェルビーイングの状態になるのかもしれません。

温故知新。
古きに学ぶことは多々あると感じる今日この頃です。

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