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【London life】ロンドンで1度死を経験し、目覚めたときに感じた使命

ある日から、考えることをやめた。

Overthinker= 深く考えすぎてしまう人
Overthinkして、Depression (鬱)になる人がいかに多いことか、

大学生時代に、毎年、映画を100本必ず観ていた。
今思えば、相当なオタクだった。
フランス、ドイツ、香港、中東、とにかく色んな地域の映画を見て、
自分の世界を広げることに無限の喜びを感じていた。

とくに、Happyな映画よりもSadな映画の方が惹き寄せられた。
なんとも言い表せない、複雑な渦の中で共に悲しむことが、
どこかクールに感じていたのかもしれない。

人間は、シンプルで、明るいストーリーよりも、
複雑で、ダークなストーリーの方が共感、関心を持って近づく。
ドラマを渇望している。
ロマンチックに生きたいと願っている。

自分が持っているフィルター次第で、
同じ現実を、悲しく、もしくはHappyに
描くことができる。

退屈な日々に、映画で、人生を生きた気になる。
でも、その時間は一瞬にすぎない。
実際は、自分自身の人生は一生懸命に生きれていなかった。
ただ、その時期も自分に必要不可欠な時間だったと思う。

2022年は色々あった。まあまあ面白いショートムービーにできるかもしれない。Filmarksで星3.6くらいはいくかもしれない。

ロンドンへ渡英し、軌道に乗ってきたタイミングで、
自宅で頭蓋骨を折る事故。普通に生きていれば、頭の骨なんか折らない。
姉の結婚式を日本で控えていたため、まさに一時帰国をする直前だったタイミングだ。

なぜ、今なのか、なぜ、このようなことが起きるのか。

1ヶ月はまともに、立つこともできず、しばらくは心身ともに苦しんだ。

しかし、普通の人は経験できないロンドンの入院生活を経験できたし、UKには入院中もティータイムがあることを知ることができた。

「Would you like a cup of tea?」

死のスレスレを経験したことにより、生きることへの情熱がさらに湧いてきた。

例えば、真っ先に頭に浮かんだ言葉は、
「私は、愛ある言葉を誰かに伝えてきただろうか。」
愛ある言葉をかけたいと思った。でも実際には伝えていなかった。

誰にも伝えてこなかった想いは、
私が消えてしまうのと同時にその想いも同時に消えていってしまう。
想いは、言葉にして生かしていかなければいけない。
誰かに伝えていかなければ、自分の言葉はなかったことになる。

このように感じたりした。

Noteを始めたきっかけもそれだ。
そして、自分が現在、闘っているパニック障害に関して、
このことについて、誰かのことを少しでも救うことができるなら、
言葉にして伝えていかなければいけないと感じた。

骨を折ってから、4ヶ月後、自分は20kg近いバックパックを背負って、
東南アジアを飛び回っていた。

考える前に、動く、
一生懸命に今を見つめる、
動いた範囲だけ、自分の可能性が見えてくる。新しい発想に出会う。

Overthinkする前に動く。
一生懸命に生きる。

私は、ロンドンでの事故をきっかけに"Overthinkすることが好きな自分"を卒業したのかもしれない。

誰にでも、タイミングというものが存在する。

じっと考えて、ひたすら自分と向き合うタイミング。
実際に、動いて、自分を世の中に晒して、可能性を拾っていくタイミング。

どちらも必要な時間。

来年は、どんな自分を見つけるのか検討もつかない。
いくつになっても、自分という存在に驚かされ続ける。

そして、いつまでも、驚いていたいと願う。


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