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仕事における幸福の追求は、本当に幸福を生むのか ー『幸福学 (ハーバード・ビジネス・レビュー [EIシリーズ]』

アメリカでは年収75,000ドル以上は経済力と幸福度が必ずしも比例しないという。
では幸福とはなにか、そして幸福感を得るためにはどうすればいいのか、それが気になって読んでみたのがこの本。

前半の章の中心になっている「地位的財産より非地位的財産が重要」という主張は、それ自体は巷で何度も聞かれている話である。こうした主張は心情的には同意できるが、一方で一般論というか「願望」を言っているだけでは、という疑問は晴れなかった。
自分としてももちろんカネより大事なものがある、幸福とは財産の大きさでない、そういったことを信じたいし信じて生きている。
だが、このEIシリーズは背景となっている学術的なデータを示さず学者の主張がメインになる傾向があるため、あくまで哲学レベルの話にとどまり、自分の信条に対して科学的な後押しを得ることはできなかった

むしろ後半の論文にある、幸福感を重視する世相に対する批判的な見方などの方が仕事における「幸福」の是非をより願望から切り離してフラットに考えられているように思えた。例えば以下あたりの言及は興味深い。(最後の「幸福を測ることは魂の温度や愛の色を特定するに等しい」はさすがに身も蓋もないが)

相次ぐ研究で、職場満足度と生産性の関係で矛盾する結果が報告されている幸福の追求は疲弊を招く。マイナスになることすらある

・仕事に幸福感を求める人は、しばしば感情的な飢えをおぼえる。さらに期待通りの反応が得られない場合、過剰な反応に至る。自分を幸福にしてくれるのが上司だと思うと感情的にもろくなる

・幸福の追求は孤独につながることもある。幸福感を重視する人ほど孤独な環境で孤独感を感じやすいことがわかった

幸福の追求というより、長期的な達成という方が適切。日々の生活で幸福を感じていれば長期的な達成につながる、は間違い

・そもそも人々は、幸福とは何かを厳密にはわかっておらず、その測定方法も知らない。幸福を測ることは魂の温度や愛の色を特定するに等しい

また終盤の章には、そもそもの幸福と仕事が結びつけられた歴史的背景が述べられていて興味深い。以下引用。

台頭したばかりの中産階級にとって、怠惰や悪弊はパフォーマンスを低下させるばかりか、充足感までをも奪ってしまうと信じる方が都合がよかった

・アメリカ人は幸福の希求と人間の死の折り合いをつけることに、誰よりも熱心であった。誰しもが抱く恐怖や悲しみの軽減を目的とししたため、精神的報酬の再定義として多くの共感を呼んだ

・1920年以降に幸福ブームが起きた。書籍にとどまらず、仕事と幸福を関連づける動きに拍車がかかった

1960年以降は消費者主権運動であるコンシューマリズムは、製品と幸福を結びつけることで売り上げに拍手がかかることに気づいた。これこそ、今日まで幸福が引き継がれた理由

ワークモチベーション、ワークエンゲージメント、ウェルビーイング等、企業や労働者を煽る「成功」や「生きがい」に関わる概念の裏側にビジネス、さらに言えばポリティクスがあることを忘れてはいけない。
そんな仕事と幸福の関係を考えるうえでの取扱いの難しさ、留意点を確認した一冊であった。




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