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Episode1:クレオパトラになりたい
初めまして、エジカパトラです。
最近TikTokでよく聞く曲、魔性おーんな フェスラインがマドーンナ
るるるるるるーーるるるーーるるるる、!るるるるるるーーるるるーー!!
の一節、あるパートを聞いた時にふと思ったのです。
クレオパトラって結局何者なんや。と
クレオパトラといえば、有名なエジプト人。歴史上最も有名な女性の一人。の割に、何をした人なのかよくわかっていません。
謎多き美女というイメージが強いです。
そして、それこそがクレオパトラが人気である理由な気がします。
謎の多きエキゾチック美女。政治や一国を狂わすほどの美女、なのに短命で自死してしまった儚き美女。教科書に載る存在。
亡くなった2000年後(クレオパトラの没年は紀元前30年前)もTikTokの歌詞に名前が入ってバズれる存在。
結局彼女は何者なのか?ーーーーー
そしてふと思ったのです。
小さいころからなぜか惹かれていた古代エジプトの世界に思いを馳せながらもう一度勉強をしてみようと。
そしてその過程でなにか、現代のクレオパトラになれるヒントがあるのではないかと。()
古代エジプトの文化・歴史を勉強し現代のクレオパトラになるヒントを探る、そんなnote(どんなnote)初投稿です
まずエピソード1としては絶世の謎爆美女、クレオパトラについて
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クレオパトラとは
クレオパトラ7世(紀元前69年 - 紀元前30年)は、プトレマイオス朝エジプトの最後のファラオ(王様)です。彼女はその知性、美貌、政治的手腕で知られ、エジプトの独立を守るためにローマ帝国のジュリアス・シーザーやマルクス・アントニウスと同盟を結びました。
クレオパトラは9か国語を話す知識人であり、文化・経済を活性化させるリーダーでもありました。
彼女の人生は劇的で、最後はローマのオクタヴィアヌス(後のアウグストゥス)との戦争に敗れ、自ら命を絶ちます。しかしその死後も、クレオパトラは象徴的な存在として、文学やアート、現代文化に影響を与え続けています。
特に自ら命を絶ってしまった劇的な最期と、政治への関りが彼女を有名にしている要素なのかも、、!
クレオパトラの最期
紀元前30年、ローマ軍に敗北し追い詰められたクレオパトラは、自ら命を絶つという決断を下しました。この最期の行動は、ただの敗北の終焉ではなく、彼女が築き上げた「女王」としてのイメージを守り抜くものでした。ローマの捕虜として晒し者になることを拒み、威厳とプライドを貫いた彼女の姿は、後世にまで語り継がれる象徴的な瞬間です。
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死因には諸説ありますが、毒蛇(アスプ)を使って命を絶ったという伝説は、劇的で詩的な結末として語られることが多いです。この選択により、彼女は自分の死を「敗北の記録」ではなく「壮大な伝説」に変えたのです。
つよいウォンナですね、、、
死後と美貌が織りなす【永遠の女王像】
クレオパトラの死は、彼女の美貌と象徴的な意味をさらに引き立てる出来事でした。彼女は死の間際に美しく装い、最期の瞬間まで自分を「女王」として演出しました。
彼女の死後、ローマでは彼女のイメージが誇張され、「誘惑する悪女」や「神々しい女王」といった二面性を持つ存在として描かれます。この曖昧さがクレオパトラを単なる歴史上の人物から、時代を超越した神話的な存在へと昇華させたのです。
要するにギャップが大事ということですね。メモメモ
戦略家としての女王
「死期」や「美の象徴」だけではなく、卓越した政治家であり戦略家としてエジプトを統治したことでも有名なクレオパトラ。
クレオパトラの時代、エジプトはプトレマイオス朝として約300年にわたり続いていましたが、ローマの軍事的・経済的影響力が急速に増大していました。エジプトは豊かな穀物生産地としてローマにとって重要であり、同時にローマの支配を受けるか独立を守るかの瀬戸際に立たされていました。
このような中、クレオパトラが王位に就いたのは紀元前51年。当時19歳という若さでしたが、彼女はすぐにその知略を駆使して、ローマの権力者たちとの交渉に挑みます。
ジュリアスシーザーとの同盟
クレオパトラの政治的戦略が最も顕著に表れたのが、ローマのジュリアス・シーザーとの関係です。彼女は兄弟であり共同統治者であったプトレマイオス13世との権力争いに巻き込まれ、王位を守るためにシーザーを味方につける必要がありました。
伝説によれば、クレオパトラは自らを絨毯の中に包んでシーザーのもとに運ばせ、劇的な登場で彼の注意を引いたと言われています。この行動は、彼女の機転と大胆さ、そして相手の興味を引きつける方法を心得ていたことを物語っています。
シーザーとの同盟により、クレオパトラはエジプトの王位を取り戻し、エジプトをローマの支配下に組み込ませることなく独立を維持しました。また、シーザーとの間にカエサリオンという子供も設けました。
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マルクス・アントニウスとの愛と同盟
シーザーの死後、クレオパトラはローマの有力者であったマルクス・アントニウスと同盟を結びます。二人の関係は単なる愛情ではなく、明確に政治的な意図が含まれていました。アントニウスはエジプトの富を利用することでローマ内部での勢力を強化し、クレオパトラはアントニウスを通じてエジプトの独立を保つことを目指しました。
二人は共同でローマ帝国の東方を支配する計画を立て、ローマとエジプトの新しい未来を示そうとしました。
しかし、この行動はローマ内部で反感を買い、最終的にオクタヴィアヌスとの対立を招きます。そして、アクティウムの海戦で敗北したことにより、二人の運命は悲劇的な終焉を迎えました。
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美貌を超えた魅力
彼女の統治は、エジプトがローマ帝国の拡大によって圧迫される中で、国家の独立を維持するための闘いそのものでした。ローマの権力者たちとの外交や同盟は、エジプトを存続させるための計算された政治的決断であり、その行動には強い意志と国家への責任感が現れています。
歴史家プルタルコスは、クレオパトラが美しさだけでなく、声や会話の魅力でいかに人を惹きつけたかを強調しています。彼女のカリスマ性は、知性、感情のコントロール、そして自分自身を物語として演出する力に根ざしていました。
私たちも、自分の持つ特性を深く理解し、それを最大限に活かすことで、周囲の人々に強い印象を与えられるのかもしれません。
クレオパトラへの道のりは遠いが続く。。。
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