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映像ディレクションの作法(10)文字と映像

今回は、文字と映像、つまりテロップについて考えてみましょう。
映像と文字が組み合わさった時に、何がどうなっているんだろう、考えると色々難しいし、結構複雑です、この問題。ディレクターなら、誰でもなにげなく使う「下位置テロップ」ひとつとっても、考え始めると色々ありすぎるのです...。

映像と文字情報は住む世界が違う
考え始めると色々ありすぎる...状態になる理由の根本は、そもそも、テロップ=文字情報=言葉、と、映像情報とは、立脚する次元が別ものだというところに由来するんだ思います。住む世界の違う情報を一つの画面で組み合わせる事によって、様々な効果や現象が現れます。

人間は言葉に最大限の注意を払っている
まず情報の「強さ」という面を考えてみたいと思います。
言葉と映像を比較すると、言葉よりも映像のほうが直接的でリアル、言葉は一度脳で解釈されるので正確だが間接的で解釈に手間がかかる。
で、「だからこそ」、人間は「言葉」に最大限の注意をはらっているのではないか。これが、今回の仮説です。なので多分、映像と文字列(言葉)を同時に見せた時には、まず目が行くのが文字列のほうではないでしょうか。別の伊方をすれば、人間にとって文字列(言葉)は「要注意物件」なのだと思うのです。

人間にとって、情報としての優先順位が高いと思うのです。受け取る人のアタマを真っ先に持っていく力があります

かたや、映像情報は多面的でどちらかというと、曖昧な情報です。なので、映像情報と言葉が組み合わさった場合、その瞬間の力関係でいうと言葉(=テロップ)のほうが強い。
それを見た瞬間にどちらが先に視聴者の意識に届くかという事でいうと言葉のほうが圧倒的に強く、結果速い、のでは、と思います。

言葉=テロップは、映像を引っ張るし、それ以上に、言葉は「人を引っ張る」力を持っている。
そして、映像をみている人の視線は、テロップが出たとたんに、テロップに引き寄せられる。つまりテロップは視聴者の意識に「優先的に」割り込みができる力があります。テロップがない状態だと、視聴者はその映像の意味をその都度考えているわけですが、その手間を省き意味を与える、というのがテロップの役割と言えそうです。

映像とテロップの鉢合わせ現象
となると、映像と文字情報を組み合わせる場合には「文字情報=テロップ=言葉」の強さ、速さを考慮に入れる必要があります。テロップの方が、映像情報そのものよりもいち早く視聴者に届く。
つまり、「映像を見せたかったら」、テロップは映像の見せたい場面からやや距離(時間)を取る必要があるでしょう。見せたい場面に同時にテロップを出してしまうと、「見えない」のです。つまり「読んでしまう」。

ただし、テロップは、映像情報の理解のために入れる必要がある情報です。あまりに距離を取り過ぎてしまうとテロップは十分に機能してくれません。そこでの距離の取り方は、つかず離れず、関係性を保ったまま邪魔をせず、という「さじ加減」の領域での判断になってきます。おそらく、秒単位の判断ではまだ粗く、フレーム単位の繊細な判断が要求されます。

また、テロップの文字サイズについても同様で、主題に直結する大切なテロップなら大きく注意を引くように、また、なんなら見逃してもらってもかまわない、些細なフォローテロップなら小さめに、などここにもさじ加減が要求されてきます。

名札としてのテロップ
映像というのは、写真でもそうですが、そのまま1カットぽつんとあるだけではいろんな意味を持ちうるし、実際多面的なものです。あるワンカットをある時間再生して「さあ、何かを感じなさい」と言われたらみんなかなり勝手な(多様な)事を感じるでしょう。
うさぎが一頭写っている1カットを見た場合「うさぎが写っている」以外に「かわいい」「毛並みが良い」地域によっては「太っていてうまそう」と思うかもしれません。

かたや、言葉は意味を伝えるためにあり、多面的なものをひとつの意味に収斂させる働きがあります。「かわいそうなうさぎ」という文字には、耳の長い例の哺乳類が、なにか悲惨な目にあっている、という以外に取りようがありません。

テロップとともに映像を見せた時、どうなるかというと、多面的な映像に、言葉による名札がつくのだと思います。

実際には小学校で飼育されているごく普通の状況にいるうさぎなのに、「かいわいそうなうさぎ」というテロップを入れる事で、悲惨な目にあっているかわいそうなうさぎであることにされてしまう、そういう意味を与えられてしまう。
いろんなものに見える石ころに「うさぎ」と名札をつければ、うさぎの形に見えてくるような、そんな事が起こるわけです。

テロップの二つの特性、
●テロップは、見る人の目線をまっさきに惹きつける
●テロップは映像に意味を与える(名札をつける)

これらを意識することで、単なる下位置テロップにも「考慮すべき色々」が生じてくることになります。これについては、のちほど別の章をたてて考察してみます。

テロップによる意味の先回り効果(時短)
最近のテレビ情報番組はテロップだらけで、番組を見ているというよりも「番組を読んでいる」に近いのですが、これも、視覚・聴覚情報を視聴者が解釈する手間を省いて てっとりばやく言語に置き換えてあげているわけで、情報伝達の効率を高めている、もっと言えば、視聴者に先回りして「意味を与えている」ということだと思います。
なので、テロップは、視聴者の考えたり想像したりする余地を塞ぐ役割もになってしまう、という側面があります。

僕は、よく言われるように、最近の日本のテレビはテロップ入れすぎだろう、とは一概には思いません。ディレクターが必要だと思ったら、100でも200でも入れれば良いと思います。要は目的、という事でしょう。
映像をじっくり感じて欲しい時に、やたらとテロップで補足(意味を規定)してしまうのは言うまでもなく、間違った演出ですが、情報を正しい順番で効率よく伝えていきたい情報番組などでは、視聴者の頭を次々に先取りして時短を目指すのもディレクションの一つだと思います。

#今回のまとめ
・文字と映像は違う世界に住んでいる
・テロップは映像にラベルをつける
・テロップは真っ先に視聴者の頭をもっていく力を持つ