ネビラキランドへの道のり
家を購入しました。それも自宅(ネビラキカフェ)近辺の2軒を。
湯田ダムが出来てからまもなく60年になりますが、高台に移転してきた方々も高齢化してきており、このエリアを離れる人もチラホラ出てきました。
これまで、カフェに暮らしていましたが、小さな子どもを抱えた4人家族では手狭になってきており、暮らしと生業の分離という点においてもいくつか家があるのは生活の質の向上が望めそうです。
2軒あるうちの一つは宿にしようと思っています。ネビラキカフェの通りにある家なので、裏には錦秋湖のレイクビューが広がり、ゲストにいい時間と空間を過ごせてもらえる場所を整備していきたいと考えています。
空き家だけでなく、空き地も増えてきて、いずれはそこを公園にしたいという夢があります。公園というよりは広場のイメージが近いかも。どうしても行政が作る公園というのはルールや規制があったり自由に使えないイメージがありますが、ここの広場は私設の自分たちが自分たちでつくる自由な広場。焚き火をしてもいいし、映画を見てもいいし、木に登ってもいい。ここに来たらアイデアや想像力が刺激され、自分の中の何かが開かれていく、そんな広場のイメージ。
これまで、ツアー、カフェと自分の感受性・身体性を起点に生業を作ってきましたが、そろそろそれらを開いて行きたいと思います。開かれたカフェ、開かれた宿、開かれた広場、開かれた〇〇、、、。
感受性・身体性を取り戻せる故郷をこの地上に作り出したい。スペインの哲学者オルテガは国家による社会的自発性の吸収を「生の国有化」と呼びました。大衆化され、安全安心便利がどこでも同じように共有され、どこでもおなじような暮らしができるようになったことは一見いいことのように見えますが、その弊害として自分のアイデンティティに悩み、仲間意識が薄れ、若い世代の死因No1が「自殺」という悲しい現状に繋がっている側面もあると思います。
だからこそ、山奥の雪深いそして美しいここから「生の奪還」ができる場所をつくってみたいと思います。
先日、生まれてからすぐロサンゼルスで30年以上暮らしていたという日本人の方をブナの森へ案内してきました。両親のふるさとは東京にあるようですが、あまり故郷という感覚は薄いようで、休日は野山に繰り出し、釣りをするのが趣味の方でした。
最初出会ったときは、久しぶりの休みだったようで目に疲れが出ていましたが、森をひとしきり案内して、戻ってきたら明らかに目の輝きが違っていました。歩きながらビジョンや考えていることを共有し、森から出る頃には一定期間西和賀に滞在したいとまで言ってくれました。30年ロスにいた経験を活かし、インバウンドのお手伝いができないか考えてくれています。
その時に初めて、この広い西和賀での暮らしは車という移動手段が必要ということを知るのですが、なんとかやり繰りしながら受け入れもやってみたいと思います。今後増えてくる空き家も宿や飲食店にリノベーションしていくだけでなく、シェアハウスとして整備する必要性も出てきそうですね。みんな雪かきが大変と言いますが、雪かきってみんなでやると楽しいんですよ。だからシェアハウス。
最近、自分が何でエネルギーを失い、何でエネルギーを得られるのかがわかってきてそのコントロールもできるようになってきました。その一つとして、人の動きを作ること。カフェをやっているとどうしても動きが制約されがちですが、外の方々とうまくかき混ざりながら新しい開かれた故郷づくりをしていきたいです。
感受性・身体性を取り戻せる故郷、すなわちネビラキランドへの道のりもちゃくちゃくと進んでいます。
zen
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?