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手足を動かすことの価値

東京オリンピックの延期が決まり、東京では不要不急の外出を避けるよう東京都知事が言っていましたが、ついこの前までは人の命よりオリンピック開催(経済優先)のような発言をしていたので、この国(人類)の未来が不安になりました。

岩手県ではまだコロナウイルスの発症は無いようですが、中央のことから遠い西和賀でも、自粛ムードが広がります。地区の総会の懇親会まで無くさなくてもいいのではないかと思いましたが、これを機に一個一個見直しがかかるのはポジティブにとらえていいことかもしれません。

カフェづくり順調に来ています。

先日は表のカウンターを作りました。

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土台のつくりを大工さんにアドバイスいただきながらつくりました。

設計図を自分たちでつくるところからでしたが、これがやってみると意外と難しい。しかもいざ木材を買ってくると強度がどうとか心配になり想像以上に手間取りました。頭の中では想像できているのに、いざ形にするというのはまた違う次元の話なんだと一つひとつ手を動かしてみてわかることばかりです。水平が取れたと思って固定してみると今度は別な場所が水平じゃなかったり、一つ進んではまた一歩戻るかのような作業が続きます。

壁の色は何色にするか、天板は?、模様はなにか入れる?

1日作業にかかっていたはずなのに、想像以上に進んでいなくて落胆したり、塗った色が意外にマッチしてたり、一つひとつの動作に一喜一憂しながら完成したカウンターの喜びは感動的でした。

自分たちでカウンターを作ってみてわかった大きな気付きは、見えるところを形にするとモチベーションが上がるということです。それがシンボル的なところだとなおさらやる気がでます。

この勢いでトイレのドアにチャレンジしました。

ここでもまたたくさんの悩みどころに出会います。引き戸にするか普通の扉にするか、枠の色はどうするか、窓からの光を入れるために窓をつけるか、とか。

設計図を何度も見直し、近くのホームセンターに通っては一個一個無いものを買い揃えていきます。一日を終えてみて、枠組みしか出来なかったときは、自分の能力の無さに落ち込み、大工さんに頼んだほうがトータル的に安上がりのような気もしてきます。

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自分たちでカフェづくりをしてみて気づいたことがたくさんあるのですが、一つは、価格にとてもシビアになったことかもしれません。売られている商品を見て、この商品にどれくらい労力がかかっているのだろうか、これを作った職人はこれを一つ作るために何個くらい失敗したのだろうか、ついつい買いに出かけると値段で安い方を選んでしまいがちですが、自分で手足を動かしてみると、世界の成り立ちが少しだけ垣間見ることができるような気がします。工業製品じゃなくて一つひとつ手間をかけた商品から見える聴こえてくる、裏側にいる血の通った人の存在。

以前の自分なら、何も悩まずお金を出して購入していたことでしょう。

安定したサラリーは入ってこず、一挙手一投足が自分の人生、ましては未来や世界を作っている感覚。それがたった一つのカウンターを自分たちで手掛けたという喜びにつながってきています。

人間であるということは、とりもなおさず責任をもつことだ。人間であるということは、自分に関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ。人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、世界の建設に加担していると感じることだ。
サン・テグジュペリ 『人間の土地』

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次は本丸の玄関。ウォーミングアップはだいたい完了しました。

また、もう一つ気がついたのは、自分たちで手を動かすようになって、いろんなことに興味関心が湧いてきたことです。あの屋根の色はなんでああいうう色なんだろ?、壁の素材はどういうのだろう?、どうやってこのスベスベをだしたんだろう?とかです。

前の自分なら気が付かないことも一つひとつ気になりだしてきます。

もしかして、気が付かなかったのは、忙しかったり、忙しいふりをしてただけなのかもしれません。それが、立ち止まって周りを見渡し一つひとつのことに考える癖がついてきました。思い出したのは小さい頃のあのなんでも興味を持っていた頃の自分。しかし最近は、まわりがこう言うからとか、当たり前だとか、普通は〜だからだ、とか「ああ、こういうもんなのね」で片付けていました。本当に自分の手足を動かすようになって小さい頃の気持ちをもう一度思い出してきたような気がします。

まだまだ無限にやることがありそうで、本当にカフェをオープンんなんてできるのか?と不安になる日もありますが、一つひとつ手足を動かす喜びを身にしみて感じています。

コロナの騒動以前からそうだったと思うのですが、自分たちに圧倒的に欠けているのは暮らしを自分たちの手で作るという感覚のような気がしています。本当にこれは必要なことのか?、もっといいやり方があるのではないか?一つひとつの問に対して思考停止にならず、真摯に向きあうこと。

一人ひとりの自治が積み重なってこの国の自治につながるんだと思います。

zen

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