夢で逢えた…ら
「東京」と名のつく作品にハズレはないと豪語してきている日々
それだけ人々に思いの強い町なのだろう。
都市?
久しぶりの旅行記。
なんだかとっても大切で、文字にして残しておきたいことがたくさんあったので記していく。
相変わらず帰りの新幹線で急いでかき、
文章の統一感もなくぐちゃぐちゃに書いていくが許して欲しい
ー1日目ー
東京に今回の旅の目的があるが、
横浜で古着のイベントがやっているので寄ってから向かおうと思う。
古着屋を営む弟からは、
あのイベントはクソだから行く価値はない
1時間持たない。
なんてボロクソに言われていたが、
そこまでいう必要はないだろうと思いつつ向かう。
入場待ち列に並ぶと10月半とは思えないほどの気温。暑すぎる。滝のように湧き出る汗。
万を辞しての入場後、あり得ない価格の古着たち。
10万円超えのTシャツが乱立。
暑さからか価格からかはわからないが、
眩暈さえ感じてきたので離脱。
弟の言う通り。30分すら持たなかった。
せっかく横浜に来たのだから、どっか寄って行こうとも思ったがコスモパニックの非常口を定期徘徊と
怪しいインド雑貨を売っている店でネックレスだけ買って移動。
横浜→都内まで一時間もかかるんだな、死ぬほど遠い
少し寄り道をして、本来の目的。
今回東京に訪れた1番の目的。
バンドの初期メンバー、もとい、大学の先輩が結婚するとのことでその報告を直接聞きに行くものであった。
ここまでだと、なんだそんなことかと言った感じだが、私にとってはとっても大きな出来事であった。
そのメンバーには大学生活、就活、バンド活動。
全てものすごくサポートしてもらっていて、
私のわがままにも最後までずっと付き合ってくれていたのだ。
そんな人に私は最後ちゃんとお礼も言えずに離れ離れになってしまった。
離れ離れといっても、先輩は就職、私は大学からグダグダとニート期を過ごすなどで疎遠と言うべきか。
会うのは5年ぶり。
私の中で、ちゃんと何か胸を張って結果を残せたら。お礼を言える状況になったら。
そしたら声をかけて会おうと思っていたのだが
もう1人のバンドメンバーからもう会えばいい。
結婚される今こそタイミングがいい。
ってことで呼んでもらったのだ。
正直めちゃくちゃ怖かった。
あんなにお世話になって、助けてもらったのに何事もなかったかのようにちゃんとお礼も言わずに疎遠になってしまったことが。
頼ってばかりだった、わがままだった自分の情けなさが。
合わす顔がないの一点で逃げてたが向き合うべきだろうと。
いざ時間になり会うと、自分の口からは当時のような雑談、雰囲気の会話がポロポロでてきて、なんだか学生時代の部室のような会話ができていたことに驚いた。
でもやはり心は落ち着かなかった。
謝らなきゃ。
食事の席に着くと、もうお酒を飲む前に言わなきゃと。
ちゃんと感謝と謝罪を。
伝えると、若気の至りだ、気にすることはないし立派な大人になっててよかったよと伝えてくれた。
じゃあ今からボコボコにしてやるからよなんて冗談も交えてくれて。
あの頃から何も変わらず、優しく、全て私の行いを支えてくれていた。
どれだけ助けられたのだろうか。
やはり当時の自分の未熟さが情けなく感じた。
それと同時にさらに頑張らなきゃいけないと再確認できた。
涙も出なければ、声も出なかったけど、絞り出すようにありがとうございますだけは、伝えれた。
そこからは結婚の話や、今何をしているかなど、言わば王道な会話をポツポツ続けて
帰り際に結婚祝い第一弾だと少しだけいいお酒を買ってプレゼントさせてもらった
第一弾にしたのは、まだまだ返しきれない恩の大きさからと、また会う口実が欲しいと言う、少しばかりの照れ隠しだった。
帰りに改めてお礼を伝え、解散。
電車の中ではあの頃みたいなLINEでの会話
この四年、ずっと心に引っかかっていたものが取れた感じがして、自分が悪かったのに笑って大人になったと言ってくれた先輩の優しさに触れて、
少しだけ電車の中でLINEを見ながら泣いてしまった。
まだまだ返せてない恩がある。
少しずつ確実に、胸を張って生きていけるようにしたい。
ー2日目ー
ほんとはこの日の日中に古着のイベントに行くつもりであったのだが、昨日終わらせてしまったので退屈である。
と言うことで、とある用事を済ますために六本木へ。
全然そんな気はなかったが、沸々と思い出がでてくる。
六本木、田舎育ちの私からしたら大都会のイメージで、軽い鬱になり放浪ばかりしてたときに歩き散らしていた場所二つのうちの一つであった。
もう一つは葛西。
正直あの頃を思い出して胃が痛くなる。
あまりいい思い出はない。
当時(今も)聴いていたラジオパーソナリティーの広告がデカデカと貼ってあり、笑が溢れた。
まぁいい思い出はないけど、少しずつ少しずつ成長できているのだ、もっと笑って過ごせる様に努力しなきゃなと身が引き締まる思いであった。
が、しかしだ。まだ私は愚かなのである。
このあと、お酒を飲める場に行き、引くほど酒を飲んでしまい、取り返しのつかないことになってしまった。
人生で初めてだ、あそこまで酔って動けなくなるのは。
どうやらどれだけ酔っても意識は残るらしい、記憶もバッチリだ。
動けなくなって、口らか吐瀉物を撒き散らしていると警察の方にお声がけいただく。
「どこ住んでるの?そこまで帰れる?」
「愛知です。今日は帰りません。」
まぁそんな無駄な会話は今考えれば必要無しだし、すっとすぐそこで泊まってくので大丈夫ですと言えばいいものを、情けない自分。
まぁここまで吐くかと吐き、念のためと病院に連れてってもらい、診断すると胃腸炎と酔いのダブルパンチだと。
自分が100%悪い。人に迷惑をかけてしまってめちゃくちゃ反省はしているけど、少し自分の限界が知れてよかったのと、楽しかったのでとっても良かった。
このあと丸2日は酔いを引っ張るけど。
まだまだ自分の限界も知らない子供だけど、
少しずつもっと成長しなきゃと、さらに思った。
正直体調が戻ったから今は笑い話だけど
絶賛体調不良中はほんとに死ぬかと思った。
気をつけろ自分。戒め。
5リットルは出た。
ー3日目ー
絶望的に酔いが抜けず。
でも少しでも早く宿を出なきゃと思い、せっせと支度をして外に出る。
結果。新宿のジョナサンで昼前まで動けずに吐き気と闘っていた。
朝ごはんは受け付けず、食べたものを消化するので精一杯だった。
これはまずいと思い、OS-1を摂取しながらマッサージへ向かう。
少し体調も治り、諸事情でもう一泊増えたのでチェックイン。
自分なりの聖地でも回ろうかと、4年間勤めたバイト先へ顔を出すとタイミングよく先輩がまだいらした。
軽く挨拶を済ませて、大学にも行ってみる。
行って入るわけにもいかないので外から景色を眺める。
景色が少しだけ変わって見えた。
その後、突然東京に来ていた地元の友達と会い、ピザを三切れ食べ
別の東京で働きに来ている地元の友達と会い、
生姜焼きをほんの少し食べて眠った。
ほんと申し訳ないが、この日の記憶は薄い、必死で体調と戦っていて気づいたら一日終わっていたのだ。
ー4日目ー
ほどほどに体調も良くなり。
朝、ホテルのチェックアウトに並んでいると、海外からのお客様がチームラボへの行き方を教えて欲しいと困っていた。
店員さんもパソコンで和訳を調べたりしている様子なので、
一か八か!!!と思い声をかける
意外と簡単な英語続きで、自分でもびっくりするくらい会話ができた。
無事行き方がわかったようで笑顔でお礼と初めてHave a nice dayなんて言われてしまった
教科書でしか聞いたことない。
なんだかいい日になる予感がして所用へ。
そんなこんなで旅が終わる。
東京の景色が少しだけ変わって見えた
好きだった店がなくなったり。
新しい好きな場所が増えたり。
それぞれの人生が新しく進み始めたり。
あまりにも私にとってこの5年は大きすぎた。
強くなれたと思うし思いたい。
まだまだ強くなれると思っている反面、
威勢や圧力は弱くなってしまったと思う
仕事を気にする様になってきたし、周りの目もきにする様になってきた。
でもまだまだ失敗して、学んで
相変わらず自分の好きには正直で胸を張って
自分の中で東京をさらに大きなものにしていきたい。
別に東京に住んでるわけでも働いているわけでもないのにね。
あまりにも、東京と言う都市が、私にとって
世の中にとって大きすぎる気がしたので文に残しておきたかった。
乗り換えアプリの検索履歴が、少しずつ
都内から名古屋近郊に変わり始めるのが
毎度少し寂しい。
p.s.
4日目、とっても楽しかったんです
なんか上手に文字にできないし、詳しくは話せないし、その場でうまく話せてなかった気がするから。
ベタな文字にするのであれば、この時間がずっと続けば!!なんて思ってました。言葉にすればいいものを、私はまだまだ未熟ですね。
また行けたらすごく嬉しいです。
それだけ伝えたくて、見てるだろうかの。
あと書きです。