24歳最近の話。
まもなく社会人二年目を迎えようとしている。
新卒で入社して3か月で辞めた前職とは大違いで、何とか続いている。
社会人になったあたりから、ずっと、
何か大切だったものとか、もう少し前までは敏感に感じていた事をじわじわと忘れていってしまっていて、
さらにそれが加速しているような感じがしたから
これが大人になるってやつかなんてだいぶ前に落とし込んだ期はしていたけど。
またこんな痛々しい文字に残しておきたいと思った。
まぁ、結局文字に起こすってことは音楽の話だし、2月3日からこれを書き始めていつ書き終わるかもわからないけど。
ここ数日で、音楽に関して普段とは変わったアプローチ?で刺激を受けることが多かった。
とある場所で、SEKAI NO OWARI(以下:セカオワ)に好きな人と出会った。
人生で初めて自分のお小遣いでCDを買った、いつもギャーギャー人にうるさく言っている、自分にとって「ルーツ」となっているバンドだ
なんせ今年7月で25歳になる私が14歳くらいのころから好きなバンドで、かれこれ10年近く聴き続けているくらい。
その方とお話をしてから、久しぶりにアルバムを聴き返したところ、やはり音楽とはすばらしいもんで、聴いていた時の風景、香り、はたまた感情なんてもんも思い返してしまった。
なんてことない学校の返り道だったり、友達と少し離れた場所に遊びに行く風景だったり。
大体思い返す風景は夕方ばかりだった。
少し切なくて、でも情けない表現をするのであれば、心が温まる感じで。
何かのきっかけでとある音楽、アーティストが、
思い入れ深くなって好きになったり、
友人からの勧めがきっかけになることは多々あったが、
音楽がきっかけで過去の感覚をはっきりと取り戻せた瞬間がきたのは初めてで
やっぱり生活に音楽はしみついていて、これからも忘れそうになった過去に戻してくれる新しい武器を手に入れた気がして、とっても嬉しかった。
親の車で流れていた音楽を聴くと懐かしくなり、結構覚えていて歌えるのはほとんどこれだったのかと。
今聴いている音楽が未来だけじゃなくて、過去にもおいていけるのが幸せだ。
また、セカオワを聴いた時に今日のことを思い出すのだろうか。とってもワクワクする。
そんな音楽を夢見て、誰かの過去にも未来にもなりたくてバンドをやっていたわけだが、
つい先日、一番長く、誰よりもがむしゃらに活動していた友人のバンドと、協力会社で働く人のバンドが解散を発表してしまった。
双方、解散の本質的な意味は私には図りえなくすさまじく、その判断に至るには苦しい道のりであっただろう。
はるか昔から、音楽だけで食っていくのはほんの一握りだと言われ続けているが、改めて実感した瞬間だった。
夢を諦める瞬間って、大袈裟な表現かもしれないけど多分ほとんど人生一回死ぬくらいの感覚なんだろうなと。
それが怖くて、いやで、感じたことのない悲壮感があるから私はまだAcorn(やっているバンド)を諦めてないと色んな人に会うたびに口にしているんだと思う。
「やっているバンド」から、「やっていたバンド」
文字だけならたった1文字、一気に意味合いが変わってくるのが怖すぎる。
まだまだ私は夢を諦める勇気がなくて、ずっとその場で足踏みどころか立ち止まって、大丈夫大丈夫、仕方ないと言い訳してる。
そんな情けない状態から、必死で続けて、その結果辞めるに至った選択に、リスペクトしかないし、そこまで行けなかった自分の弱さを痛感した。
対等なレベルとはとても言えないけど、どうかまたすぐ、彼らと笑って話せる日が来ることを祈るし。
欲を出すならば、またもう一度
同じ板に着かせてもらえますように。
ずっと掲げている、私の中での思想に近い音楽に対する話がある、
音楽は人にとったら救いだとか、生活だとか、まぁライト層にとったら娯楽だとか。
音楽と聴き手にとっていくらでも捉え方がある中で。
私にとったら音楽は呪いに近いものがあると感じているのだ。
聴いたその瞬間から、もう逃げることも、忘れることもできない。
上に記したように、もう聴いたその瞬間から未来にも過去にも繋がってしまう。
夢を持つにも、諦めるにも、
新たな人と出逢うにも。
全てこの呪いがついて回る。
多分、死ぬまで、もう離れない呪い。
でも、忘れかけてた大切な過去を思い出させてくれるし、
また未来を向くきっかけにもなる。
まぁ、またみんなとケラケラ笑い合えるきっかけになるならこんな呪いも悪くないか。
こんな呪いなんて厨二紛いなこと言ってる内は、
まだまだ自分は子供なんだなと思う日々で
それでも大切な何かをふわっと忘れて、音楽を聴いては思い出して、結局これを繰り返していくのだろうなと思った。
そんな、24歳冬の所感。間も無く春。
春が1番切ない季節だと、思うんですよね。